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幻想的な演出 観客魅了 阿寒湖アイヌシアター・イコロで「満月のリムセ」上演開始【釧路市】

2024-05-08 | アイヌ民族関連

2024.05.07釧路新聞

 釧路市阿寒町阿寒湖温泉の阿寒湖アイヌシアター・イコロで、新演目「満月のリムセ」の上演が始まっている。4日に行われた公演では観光客ら30人が鑑賞。踊りと音楽、映像を融合させた幻想的な演出で観客を魅了した。

 同演目は、アイヌ民族の精神で、地球上の生き物は役割を持ち、互いに支え合って生きているとする「ウレシパモシリ(育て合う大地)」をテーマに制作。キタキツネの神(カムイ)である「イレンカ」が地上に降り立ち、アイヌの人々と交流する姿を描いている。

 舞台は俳優の宇梶剛士さんのナレーションで進行。劇中ではお盆を投げ合う娯楽舞踊「ヘクリサラリ」や弓の舞「ク・リムセ」が披露されるほか、音楽に合わせて、やんちゃな「イレンカ」が劇場を縦横無尽に駆け回り、観客を楽しませた。

 阿寒アイヌ工芸協同組合の西田正雄代表理事は、自らも出演する舞台を「いろんな古式舞踊が見ることができ、阿寒湖畔のアイヌ文化の一端に触れられる。ストーリーも分かりやすいので、ぜひ見てもらいたい」とアピールしている。

 入場料は大人2200円、小学生700円。上映時間は約30分で、10月31日まで午後3時から毎日上演される。

 なお、同シアターでは午前11時、午後1時30分、同8時から、それぞれアイヌ古式舞踊の公演があるほか、同9時からは阿寒ユーカラ「ロストカムイ」が上演される。

阿寒アイヌシアター・イコロの新演目「満月のリムセ」

https://hokkaido-nl.jp/article/33834


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ネパールにおけるダリット女性の権利促進活動の紹介

2024-05-08 | 先住民族関連

IMADR2024.05.7

IMADRのパートナー団体であり、長年、ネパールのダリット女性のエンパワメントのプロジェクトを一緒に行ってきた FEDO(Feminist Dalit Organisation ) から、2023年の年次報告書が届きました!FEDOはカーストおよびジェンダーに基づく差別を撤廃するために、ダリット女性により1994年に設立されたネパールの非政府組織です。今回はFEDOの活動について少しお伝えします。

FEDOは「公正で公平な社会」を目指し、権利保持者であるダリット女性を中心に据え活動を行っています。人権に基づくアプローチを駆使しながら、FEDOは次のような5つの分野に焦点をあてています。

  1. 経済的エンパワーメント

(写真:生計向上のために家畜を飼育する女性)

ネパールでは、資金へのアクセスが限られていることが経済的エンパワーメントの大きなハードルの1つになっています。国民の多くがインフォーマル・セクターに従事し、不安定な労働環境で働いています。FEDOのプログラムの1つである女性起業家育成プログラム(Women’s Entrepreneurship Development Program)は、女性起業家に対しビジネスキルや金融リテラシー、マーケティングスキルを教え、エンパワーメント行っています。同様に、青年雇用基金(Youth Employment Fund) では、資金援助や研修、指導を提供することで若い起業家を育成しています。さらに、シードマネー助成金により、多くの起業家の事業開始を可能にしています。

  1. リーダーシップと参加

ネパールには多様な文化や民族、複雑なカースト制度が存在します。公平な代表と意思決定プロセスを保障するためには、包括的なリーダーシップの育成が必須です。そのためのプログラムの1つが、ネパールの7つの州における州レベルでのダリット女性ネットワークの形成です。ダリット女性が直面している具体的な課題に取り組むことを目的とし、州政府と協力しながら、「ネパールにおけるダリット女性の正義、平等、尊厳に関する州会議 (Conference on Justice, Equality and Dignity of Dalit Women in Nepal) 」を開催しました。また、FEDOは文書作成能力や人権侵害に取り組むストラテジーに焦点をあて、ジャーナリストや市民活動家を含む人権活動家のトレーニングも行いました。

  1. 人権と司法アクセス

(写真:市民社会の地域ネットワーク会議の様子)

ダリット女性はカーストとジェンダーによって制度的差別や疎外に直面し続けています。特にダリット女性は法制度のなかで疎外され、司法へのアクセスが制限されており、救済を受けるのが困難です。特にダリット女性の中で広がる非識字率と法的権利に関する知識不足により、さらに司法へのアクセスに制限がかかります。FEDOではこうした問題に向けた様々なプログラムを行いました。その1つがダリット女性最前線指導者フォーラム(Dalit Women’s Frontline Leaders Forum)で、暴力や差別の影響を受けているダリット女性に法的支援とアドボカシーを行うためのフォーラムです。また、効果的なチームマネジメントや効率性の向上、対立解決のためのトレーニングも行いました。

  1. 包括的なガバナンスと社会正義

ダリットや先住民族、女性、性的少数者などのマイノリティが直面してきた歴史的不公平は、ネパールの社会正義に深く影響を及ぼしてきました。FEDOはロビー活動を行い、ダリット女性関連の政府計画やプログラム、政策への予算分配の増加やキャパシティ・ビルディングに寄与してきました。合計723人のダリット女性が地方レベルの社会的説明責任運動(公聴会、GESI監査、社会監査、予算モニタリング等)に従事しています。さらに、FEDOは1481人のダリットおよびダリット女性が土地所有権、社会保障、雇用、予防接種や補助金などの政府サービスを受けられるように働きかけ、法的認知も高まりました。ダリットやダリット女性のニーズに応えるため12項目の政策改善にも寄与しました。

  1. ジェンダーに配慮した人道支援

(写真:2015年に発生したネパール地震の被災地の様子)

ダリットコミュニティ、特に少女と女性、が直面する交差性差別への取り組みは、ジェンダーに配慮した人道支援に置いて極めて重要です。ジェンダーに配慮した支援は、安全な空間や医療、カウンセリングを提供することによって、ダリット女性や少女の明確なニーズを理解し、それに応えることが求められます。そのために、計画と実施をダリットコミュニティとともに行うことが、文化的に適切でニーズにあった人道支援をするために必要不可欠です。FEDOの主要な救援物配布プログラムでは、食料品と非食料品の両方が迅速に配布されました。

IMADRとFEDOが実施したパルサ地区のダリット女性エンパワメントプロジェクトの報告(2018年度版)はこちらからご覧いただけます。

FEDOが他団体の支援を受け行っているプロジェクトには以下のようなものがあります。

Enhancing Human Rights of Dalit Women and Girls in Nepal 

(写真:青少年ネットワークのミーティング)

Foundation for a Just Society (FJS) がパートナー団体の本プロジェクトはバルディヤ郡、カイラリ郡、スルケート郡、モラン郡、マクワンプル郡でダリット女性と少女のエンパワーメントを目的に行われています。本プロジェクト中には以下のような取り組みを行いました。

ー10回メディア交流プログラム

成果:メディア関係者はダリット女性、経済的に恵まれない人々、社会から疎外された人々の問題を取り上げることを約束しました。

ーカーストやジェンダーに基づく暴力事件の抗議集会

成果:合計16,000人の女性と少女が参加しました。

ー12の市民教育キャンペーン

成果:約1,000人が参加し、出生届、死亡届、結婚届、移住届など政府が提供する必要不可欠な権利を学びました。

ー10回地方レベルでの交流

成果:市役所、法執行機関、市民社会組織、メディア関係者など合計200人が参加し、ダリット女性に資源と司法へのアクセス向上と地方政府の説明責任について話し合いました。

Strengthening Governance for Development and Social Justice of Dalit Women  

(写真)

Brot für die Welt (Bread for the World) がパートナー団体の本プロジェクトはダヌシャ郡、ドティ郡、カスキ郡でダリット女性のエンパワーメントを目的に数年に渡り行われています。本プロジェクト中には、以下のような取り組みが行われています。

ー小規模事業の形成

成果:各地域で30グループのダリット女性による小規模事業が形成されました。3地区で58人のダリット女性が小規模事業を開始し、33人の女性が60,000~150,000 ネパール・ルピーの収入を得ました。

ーダリット女性への教育

成果:ダリット女性ネットワークのメンバーやリーダーがカーストに基づく差別やジェンダーに基づく暴力への憲法上の規定や法律への知識を受けました。

ーダリット女性リーダーへの人権に基づくアプローチとアドボカシー・スキルのトレーニング

成果:合計270人のダリット女性リーダーがアドボカシースキルを向上させ、ダリット女性の社会運動が活発化しました。トレーニングで得たスキルを地方レベルに適応し、地方政府への働きかけを行い、ダリット女性のニーズや懸念に対する政府の説明責任と対応力が高まっています。

▶︎その他のプロジェクトやプロジェクトの詳細はFEDOの年次報告書またはウェブサイトを参照ください。

▶︎ FEDO の2023年度年次報告書(全文英語)はこちらから。

*本記事掲載の写真は全てFEDO2023年度報告書より引用しています。

https://imadr.net/fedo-nepal/


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バック・トゥ・ザ・アウトバック めざせ!母なる大地のLCのレビュー・感想・評価

2024-05-08 | 先住民族関連

Filmarks2024/05/07 20:31

バック・トゥ・ザ・アウトバック めざせ!母なる大地(2021年製作の映画)

3.6 面白かった。

題名でも使われている「 Outback 」という言葉は、もちろん場所を指しているわけだが、どんな場所かを知っていると、主人公たちの旅を見守る気持ちが強くなったりするかもしれない。そうでもないかもしれない。

オーストラリアと呼ばれる大陸にも先住民族がいた。

アボリジニという呼称で聞いたことのある人もいるかもしれない。この呼称が差別的に使われようになったことから、今では「 Indigenous Australians ( Indigenous People との表記も。オーストラリア先住民)」という呼称を使おう、という提案が採用されている。

さて、彼らの大陸を西洋人が発見してから、先住民の数は脅威的な速度で激減した。海の向こうから運ばれた疫病の蔓延とか、スポーツハンティングの標的になったり(今日はアボリジニを17匹狩ったぜ、という記録が保存されているみたい)とか、集団餓死させてみたり、水場に毒を流してみたり、挙げ句の果てにはある法律が採用されたりもした。イギリス人兵士はアボリジニを自由に捕獲、殺害する権利を有する、という内容である。

そんなこんなで、当初は100万人程いたとされている先住民は、ある時300人程まで人口を減らしたりする。

そんな彼らが固有文化を維持し続けた場所、それが Outback (内陸の人口希薄地帯)だった。何故維持し続けることができたのか。こういう時、よく観察される例としては、厳しい自然環境があったりする。アウトバックもその例だ。

本作に目を戻してみる。

動物園からアウトバックへ帰ろう!と行動を起こすのは、殆どが「危険な化け物」「悪い動物」と紹介される者たちだ。

気色悪く思われ、泣き叫ばれ、逃げられ、攻撃もされる。

ただ彼らは彼らであっただけ、ということも描写されていて、人を毒で殺したいという気持ちは持っていないのだが、実際に牙も毒もある蛇なので、人としては警戒せざるを得ない。

そして動物園の外には、海とビルの灯りが見えた。先住民の痕跡が殆ど残されていない地域。彼らはそこから、様々な協力を得つつ内陸へと向かうのである。「あなたも醜い、私も醜い、それは新しい美しさ」という合言葉と共に。

先住民族がかつて狩りの対象(動物という認識)だったことから、作中のキャラクターたちと同じように醜い存在として扱われていたことは想像に難くないだろう。

また、先住民族もおとなしくやられ続けたわけではないのだが、作中のキャラクターたちも各々に力を発揮して困難を切り抜けようとする。

動物園側の人たちは、彼らを追いかけて、追い詰めて、最後にどんな判断をするのか。

アウトバックで主人公たちを出迎える家族とは、具体的にどんな存在なのか。

そんな景色にも、単に動物園の人と動物というだけの見方とは、少し違うものが見えてきたりするかもしれない。

本作、易しい物語には違いないのだが、ほんの少しの知識の有無で、きっと彼らの旅を見守る心持ちが変わったりする。そんな作品。

https://filmarks.com/movies/99933/reviews/174636042


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これは「人類の絶滅」を示唆していないだろうか…リョコウバトの「いびつな繁栄」と「無慈悲な絶滅」が教えること

2024-05-08 | 先住民族関連

現代ビジネス5/7(火) 6:48

かつて北米の野生鳥類の3分の1はリョコウバトだった

 先日、ある学会で一般公演を行った。講演者は2人で、私は化石など過去のことを話し、もうひと方は未来のことを話した。その方は、未来の話の中で、人類の絶滅についても少し触れられていた。その話を聴きながら、私はリョコウバトのことを思い出していた。

【画像】「ホモ・サピエンスの起源」本当にアフリカ…?  意外な所を示唆するヒント

 リョコウバトは絶滅種である。しかし、かつては北アメリカにいる野生の鳥類の3分の1はリョコウバトだったという見積もりがあるくらい繁栄していた種で、その数は19世紀の半ばには50億羽に達していたという。

 1866年にはカナダのオンタリオ州南部で、空が暗くなるほどの巨大な群れが目撃された。その群れは、幅が1.5キロメートル、長さが500キロメートルに及び、通り過ぎるのに14時間もかかったと伝えられている。

 リョコウバトは胸の部分が赤い特徴的なハトで、時速100キロメートルで飛べたという。開けた場所だけでなく、森の中でも自由に飛べたらしい。リョコウバトの基本的な生息地は森林だったのである。そして、1本の木に、あまりにも多くのリョコウバトが止まったために、木が裂けて倒れることもあったらしい。

リョコウバトを激減させた理由とは

北米の鉄道の発達が、リョコウバトを目的とする狩猟者の行動範囲を格段に広げた gettyimages

 また、名前からもわかるように、リョコウバトは毎年大移動をした。夏は北アメリカ北部の五大湖周辺で繁殖して子どもを育て、冬は南部で過ごすのだが、そのときに通るルートは毎年同じではなかったらしい。リョコウバトの巨大な群れは、その通り道にある木の実や果実をすべて食べ尽くしてしまうので、それらの植物が回復するまで、数年間はそのルートを通らなかったのかもしれない。

 そして、リョコウバトは人間の食料にもされた。栄養たっぷりで美味しくて、手軽な食料として人気があったらしい。しかし、19世紀の前半までは、それほど大量に狩られることはなかった。その理由の一つが、この、毎年移動ルートを変えることだったようだ。他の渡り鳥と違って、決まった移動ルートがなかったため、リョコウバトの群れがどこにいるかはわかりにくかった。そのため、待ち伏せされて大量に狩られることが少なかったのだろう。

 しかし、電報と鉄道の発達によって、状況は変わった。電報が発達することによって、リョコウバトの群れの位置を遠くの人にも知らせることができるようになった。そして、鉄道が発達することによって、多くの狩猟者が列車に乗って、リョコウバトのもとへ向かったのである。

 リョコウバトを狩るのは簡単だったらしい。群れに向かって散弾銃を1回撃てば、何十羽ものリョコウバトを撃ち落とすことができた。ある記録では、1発で99羽を撃ち落としたという。

 撃ち落としたリョコウバトは、羽毛を毟り取って樽に詰め、塩漬けにされた。そんな、リョコウバトの樽ばかりを積んだ列車が、都会に向けてたくさん走っていたらしい。とくに脂ののった仔鳩は人気があり、ニューヨークやシカゴのレストランにおける人気メニューだったという。

 そうして、19世紀後半になると、リョコウバトは急激に数を減らしていった。

リョコウバトの最後の1羽「マーサ」

アメリカ、オハイオ州のシンシナティ動物園で飼育されていたメスのリョコウバト「マーサ」。飼育時の写真(Enno Meyer)

 人間による乱獲がおもな原因だが、森林の伐採も追い打ちをかけたらしい。そして、1910年になると、ついにリョコウバトはたった1羽になってしまった。それは、アメリカのシンシナティ動物園で飼われていた、マーサというメスのリョコウバトだった。

 そして、1914年9月1日の午後1時に、アメリカのシンシナティ動物園の職員が、床に横たわっている彼女を見つけた。それが、リョコウバトが絶滅した瞬間だった。

古代都市にリョコウバトはあまりいなかった

推定62万立方メートル分の土から作られた高さ約30メートルのモンクス・マウンド。カホキア墳丘群州立史跡で最も高い建造物(gettyimages)

 あんなにたくさんいたリョコウバトが、人間の無慈悲な乱獲により、100年ほどで絶滅してしまった。とんでもないことだ。それはまったくその通りなのだが、話はそこで終わらないのではないだろうか。

 たしかに19世紀には、リョコウバトがたくさんいたのだろう。しかし、空が暗くなったり樹木が避けたりするほど多くのリョコウバトがいる状態は、やや不自然な感じがする。バランスのとれた安定した生態系とは思えないのだ。果たしてリョコウバトは、ずっと昔からそんなにたくさんいたのだろうか。

 アメリカのイリノイ州のミシシッピ川の東に、アメリカ先住民が築いたカホキアという古代都市の遺跡がある。11~13世紀にかけての最盛期には、面積が約16平方キロメートルに達し、モンクス・マウンドと呼ばれる高さ30メートルに達する墳丘がそびえていたという。

 このカホキアの遺跡を調査した報告によると、リョコウバトはほとんど住民の食料になっていなかったらしい。なぜ、あんなに美味しいリョコウバトを、アメリカ先住民はほとんど食料にしなかったのだろうか。

 いや、アメリカ先住民も、リョコウバトを食料にはしていたのだろう。ただ、古代都市における食料の中で、リョコウバトが占める割合が小さかったということだ。おそらく、その理由は、リョコウバトがあまりいなかったからではないだろうか。かつてはリョコウバトの個体数が少なく、群れの規模も小さかったという説は、他の考古学的証拠からも支持されているようだ。

 リョコウバトが少なかった理由は、おそらくアメリカ先住民がその個体数を抑えていたからだろう。アメリカ先住民は、リョコウバトを食べたり、リョコウバトのエサである植物を食べたりしていた。そのため、両者は競合関係にあり、個体数もバランスが取れて安定していたのである。

先住民族の社会の崩壊がリョコウバトを繁栄させた

イエローストーン国立公園のシカ(gettyimages)

 しかし、約500年前にヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくると、状況は変わった。ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症やアメリカ先住民に対する虐殺と奴隷化が、アメリカ先住民の社会を崩壊させ、人口を激減させた。

 その結果、アメリカ先住民とリョコウバトのバランスが崩れて、リョコウバトが大発生したのではないだろうか。もし、そうだとすれば、19世紀にリョコウバトが50億羽もいたことは、異常な状態だった可能性がある。

 かつて、アメリカのイエローストーン国立公園で、オオカミを駆除したためにシカが大発生して、森林が大打撃を受けたことがあった。

 これは生態系のバランスが崩れた例として有名だが、19世紀の北アメリカにおけるリョコウバトの大発生も、イエローストーン国立公園におけるシカの大発生のようなものだったのかもしれない。

ヒトの質量は、野生の哺乳類全体の質量の約9倍

 もしもアメリカ先住民が激減したために、19世紀の北アメリカでリョコウバトが大発生したのだとすれば、そのあおりを食って多くの野生の鳥類が絶滅した可能性が高い。北アメリカの自然が保持している、鳥類を養うための資源は、有限だからだ。

 そして、ある種が大発生している生態系は、一般には不安定で、その状態が長期間にわたって続く可能性は低い。さまざまな種が絶滅の危機に瀕するだけでなく、大発生している種自体も不安定で、個体数が激減する危機に晒されている可能性がある。もちろん、それは北アメリカに限らない。地球全体で考えても、生物を養うための資源は有限なのである。

 生物体の質量を炭素で見積もった研究(*)によると、私たちヒトの質量は、野生の哺乳類全体の質量の9倍近くに達しているという。これだけ多ければ、他の種を絶滅に追いやることはもちろん、私たちヒト自体も、このレベルを長期的に維持していくことは難しいだろう。

 もしそうであれば、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか。学会の一般公演を聴きながら、私はそんなことを考えていた。

 (*) Bar-On, Y. M. et al.(2018)The biomass distribution on earth. Proceedings of the national academy of Sciences of the United States of America, 115, 6506-6511.

更科 功(分子古生物学者)

https://news.yahoo.co.jp/articles/aa57f5647223a196ba5fb2cd0e5e992932f76300?page=1


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<書評>人類学と骨

2024-05-08 | アイヌ民族関連

北海道新聞2024年5月5日 5:00

楊海英著

研究者に潜む差別意識

評 松本ますみ(室蘭工大名誉教授)

 日本文化人類学会が4月、従来のアイヌ民族に対する研究姿勢について問題があったと謝罪した。だが、日本人類学会と日本考古学協会の動きはまだつかめない。盗掘を含め収集された日本各地の大学や胆振管内白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)にある遺骨の返還へのハードルは依然高い。かつて形質人類学や考古学の学者は、北海道、沖縄、樺太、台湾、「満蒙」や遠く新疆(しんきょう)でヒトの遺骨を収集した。それはなぜか? 本書は、その謎を解くミステリー小説のような構成となっている。

 顔や頭蓋骨の形状やサイズを測る形質人類学は19世紀の西欧帝国主義国家で発達した。身体的違いがヒトの優劣を決めるとしたこの学問は白色人種の優越を証明しようとした。しかし後発の帝国主義国家日本で形質人類学は西欧と違った形で発達をみた。旧帝国大学の形質人類学者たちは競って植民地を含む日本の勢力範囲内に住む人々の頭や遺骨に「人類学用計測器械」を当てた。頭蓋容積測定のデータは権威ある学問の装いをしていた。東アジアの「盟主」日本人のルーツ探しと「優秀さ」の証明が時代の要請だった。墓あばきや遺骨盗掘は大罪と知りつつ遺骨を集め、計測し、研究成果を発表した学者たち。現地の人々は研究対象でしかなかった。最も多くの遺骨が収集されたのはアイヌ民族で、「アイヌは日本古来の民族説」を立証すべく人権や尊厳を考慮しない研究が大規模に行われた。

 当時の形質人類学の系譜につながる研究者は、ヒトゲノムの時代だからこそ遺骨を使った学問に意味がある、と現在も主張する。また、アイヌ民族や琉球民族の遺骨返還がされるとしても、旧植民地の博物館や大学に眠るモンゴルや新疆からの遺骨はどうなのか。内モンゴル出身の筆者は、ユーラシアで激しい混血は当然で誰もルーツを気にしないのに、日本人のルーツ探しが日本で盛んなのが不思議だという。さらに遺骨問題の放置にこそ、血統に固執する不寛容さに基づく日本の差別意識が見える、とも指摘する。すぐれた文化人類学者による手痛い告発の書でもある。(岩波書店 2310円)

<略歴>

よう・かいえい 静岡大人文社会科学部教授。「墓標なき草原」など著書多数

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1008415/


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<ほっかいどうの本>オホーツクの古代文化

2024-05-08 | アイヌ民族関連

北海道新聞2024年5月5日 5:00

新泉社 2530円

東京大学文学部常呂実習施設/考古学研究室編

常呂遺跡研究の歩み紹介

 オホーツク海沿岸には縄文、続縄文、擦文、オホーツク、アイヌの各文化など、北海道の歴史を考える上で重要な遺跡が数多く分布している。その一つが北見市常呂地区(旧常呂町)の各時代にまたがる遺跡群。ここでは1957年に東大の考古学者らによる本格的な調査が始まり、やがて研究施設の整備や研究者の常駐につながっていく。

 これらの施設は65年の「常呂町郷土資料館」、67年の「常呂資料陳列館」など、地元とも協力しながら順次建設され、73年には文部省(当時)の認可を経て、東大文学部付属「北海文化研究常呂実習施設」が正式に設置された。本書はその正式設置50周年を記念し、常呂を拠点に進めてきた考古学研究の成果と意義を伝えようと、調査に関わってきた専門家ら27人が分担執筆してまとめたものだ。

 4章で構成される本書がまず、第1章「北の海に暮らした人びと」で取り上げているのは、考古学からみた北海道の歴史。旧石器時代から擦文・アイヌ文化期までの動向を解説した上で、常呂での発掘から得られた最新の成果についても紹介している。また、第2章「東北アジア世界と北海道」では、古代における北海道のオホーツク地域とサハリンや大陸との関係を多面的の論じている。北海道史を巡る考古学研究の最前線を知るためにも1、2章は格好の内容といえそうである。

 常呂地区では確認されているだけでも100地点を超える遺跡が登録され、74年には主要遺跡が包括的に国指定史跡「常呂遺跡」となった。さらにその一部は史跡公園「ところ遺跡の森」として整備されている。第3章と第4章では、これら常呂における東大考古学研究室の研究の歩みを具体的に紹介しているほか、大学と地域との連携など地元との息の長い交流についても詳しく触れている。その点についても注目したい。(中舘寛隆・編集者)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1008401/


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