先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ施策、自治体で濃淡 新法施行5年 交付金活用は増/道内140市町村なお未計画

2024-05-24 | アイヌ民族関連

木村みなみ 、武藤里美 会員限定記事

北海道新聞2024年5月24日 0:00

 アイヌ民族を法律で初めて「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法(アイヌ新法)の施行から、24日で5年となった。新法の柱の一つで、施行に伴い創設された政策推進交付金は、2024年度分を含め道内39、道外1の計40自治体への交付実績があり、交付総額は計116億円に上る。地元のアイヌ関係団体と協議を重ね、交付金を活用する自治体が増えている一方、アイヌ民族の意向を反映した計画が未策定のところも多く、実施に濃淡が出ている。

 「新法の施行当初は自治体主導だったが、今はアイヌ関係団体が中心となって活動している。理想的な形になった」。胆振管内白老町アイヌ政策推進室の鵜沢友寿主幹は自負する。

 交付金を活用するには、アイヌ文化に関する事業などについて自治体が5年間の地域計画を策定。国の認定を受けると、事業費の8割が交付される。

■関係団体主体に・・・・・・・

 

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1015753/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ新法5年 抜本見直し求める声も 東胆振・日高 差別や交付金で 「国は対話と交流大切に」

2024-05-24 | アイヌ民族関連

武内敦貴 、石井純大 、斎藤雅史 有料記事

北海道新聞2024年5月23日 21:58

 アイヌ民族を法律で初めて「先住民族」と位置づけ、差別禁止や地域振興のための交付金制度を定めたアイヌ施策推進法(アイヌ新法)の施行から、24日で5年を迎える。同法の付則では、5年経過した段階で必要であれば見直すとしており、東胆振・日高地域のアイヌ民族関係者からは政策の拡充や抜本的な見直しを求める声が上がった。

 新法は第1条で、アイヌ民族の誇りの尊重と共生社会の実現を目的に掲げた。白老町在住で2004~20年に北海道アイヌ協会の理事長を務めた加藤忠さん(85)は「伝統衣装に袖を通すのをためらう人もいた20年前と比べ、今はアイヌ民族であることに誇りを持ち、いろいろな場所で伝統衣装で踊る人が増えた。そうした催しを通じアイヌ文化の認知度も広まっており、良い方向に向かっている」と受け止める。

 民族共生象徴空間(ウポポイ、白老町)の開設を主導した菅義偉前首相と比べ、岸田文雄政権はアイヌ政策への関心の低さも指摘される。加藤さんは「(岸田氏は)アイヌの人たちと一緒に政策を進めようとの姿勢は伝わるが、何をやりたいのかが見えてこない」とした上で「アイヌ民族を取り巻く問題は一気に解決しない。アイヌ協会と国といった具合に、さまざまな段階での対話と交流を大切にしながら、1歩ずつ進んでほしい」と望んだ。

■罰則規定が必要

 新法の柱の一つは差別の禁止(第4条)だ。ただ罰則はなく、実効性を疑問視する声は根強い。例えば法務局が昨年、アイヌ民族への人権侵犯があったと認定した自民党の杉田水脈(みお)衆院議員=比例中国ブロック=は、今も交流サイト(SNS)を中心に差別的発言を繰り返し発信している。

 杉田発言に対する抗議集会を札幌で開いてきた「平取アイヌ遺骨を考える会」共同代表の木村二三夫さん(75)は「(杉田氏の)支持者は『アイヌは先住民族でない』といった妄言を繰り返している。ネット上での発言も含め、差別を取り締まる罰則のある法整備が必要だ」と強調する。

 15日に東京の衆院議員会館で開かれたアイヌ新法の見直しを求める集会で、木村さんは国内外の研究者に持ち出されたアイヌ民族の遺骨の返還や、差別の問題を訴えた。主催者側が全国会議員に案内を出したが、与党議員は1人も来なかったという。「そもそも聞く耳を持たないのは、侮辱も甚だしい。アイヌ民族の声を聞いたふりをして、やり過ごしてきた政府の姿勢が現れている」と憤り、幅広い民族の訴えに真摯(しんし)に耳を傾けるべきだと主張した。

■生まれる地域差

 新法の制定で、自治体がアイヌ文化の継承や地域振興に関する事業計画を策定し、国の認定を受けると支給されるアイヌ政策推進交付金が創設された。24年度当初の交付額は全国38市町が対象で18億7270万円。このうち東胆振・日高の11市町に7億4320億円が交付され、観光プロモーションや生活館の改修などに活用される。

 「アイヌ全体が底上げされるのではなく、地域差が生まれている。和人のための新しい公共事業になっていないか」と指摘するのは、浦河町のアイヌ民族の歴史や文化を学ぶ有志の団体「レヘイサム」代表の八重樫志仁さん(61)だ。

 1984年に北海道ウタリ協会(当時)が独自に決議した法律案には、・・・・・・

・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1015721/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピウスツキしのぶ舞 アイヌ民族研究のポーランド人学者 ウポポイで記念行事

2024-05-24 | アイヌ民族関連

武内敦貴 有料記事

北海道新聞2024年5月23日 18:16(5月23日 19:24更新)

ピウスツキの記念碑の前で舞踊を披露するウポポイの職員たち

 【白老】アイヌ民族など先住民族の先駆的研究で知られ、白老に滞在したこともあるポーランド人学者ブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918年)をしのぶ記念行事が、民族共生象徴空間(ウポポイ)で行われた。

 ピウスツキは1903年(明治36年)8月、白老に約1カ月間滞在。アイヌ民族と交流し、調査記録を残した。ピウスツキの功績を広める狙いで、ポーランド政府が2013年、記念碑を旧アイヌ民族博物館に寄贈し、20年からウポポイに設置している。

 記念行事はピウスツキの命日の17日に行われ、・・・・・・

 ☆エムシリムセのシと二つ目のム、イヨマンテリムセのムは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1015523/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌの権利保護遠く 施策推進法施行5年 繰り返される差別 罰則なく

2024-05-24 | アイヌ民族関連

沖縄タイムス2024年5月24日 4:00

アイヌ女性団体「メノコモシモシ」の多原良子代表=16日、札幌市

 アイヌ民族を先住民族と明記したアイヌ施策推進法(アイヌ新法)の施行から、24日で5年となった。北海道白老町で大規模施設の民族共生象徴空間(ウポポイ)が開業して文化の発信が進む一方、差別への罰則規定はなく、国会議員による差別発言が繰り返される。伝統的なサケ漁は認められず、アイヌ語も消滅の危機に。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1365097


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いぶりアイヌ・ウポポイ応援製品2024新製品の紹介

2024-05-24 | アイヌ民族関連

時事通信2024年05月23日11時16分

[北海道]

~北海道胆振総合振興局は北海道・胆振地域のアイヌ・ウポポイに関する製品を応援しています!~

 

いぶりアイヌ・ウポポイ関連製品応援事業とは?

 胆振地域の事業者による、アイヌ文化振興に寄与する製品や、ウポポイ(民族共生象徴空間)と連携している製品を「いぶりアイヌ・ウポポイ応援製品」としてPRする事業を北海道胆振総合振興局では実施しています。

 この度、2024年に追加した製品を紹介いたします。

いぶりアイヌウポポイ関連製品応援事業パンフレット(表紙)

北海道胆振総合振興局 公式H

ウポポイ(民族共生象徴空間)について

 アイヌの歴史・文化を学び伝えるナショナルセンターとして、長い歴史と自然の中で培われてきたアイヌ文化をさまざまな角度から伝承・共有するとともに、人々が互いに尊重し共生する社会のシンボルとして、また、国内外、世代を問わず、アイヌの世界観、自然観等を学ぶことができるよう、必要な機能を備えた空間です。

※令和6年(2024年)7月12日で開業4周年を迎えます。

 詳しくは、公式ホームページをご覧ください。

ウポポイについて(公式HP)

ページ内目次

 カムイ伝説(鮭とば)

 マスキングテープ/エゾ鹿革slim mini wallet

 イランカラプテTシャツ

 アイヌ料理

 元祖しらおいオハウ定食

※以下の価格は、全て税込みです。

カムイ伝説(鮭とば)

 鮭とばの語源は、アイヌ語で「トゥバ」(鮭の身をおろし縦に細かく切って乾かしたものの意)からきているとされ、その名から歴史を感じることができる製品です。

鮭とば(60g)800 円

販売箇所

 国立アイヌ民族博物館ミュージアムショップ(北海道白老郡白老町若草町2丁目3)

 ポロトミンタラ(北海道白老郡白老町若草町1丁目1番21号)

 熊谷商店(北海道白老郡白老町本町1丁目9-41)

 ホテルいずみ(北海道白老町字虎杖浜312-1)

取扱事業者

 一般社団法人 白老アイヌ協会

 北海道白老郡白老町大町2丁目1番9号

 電話 0144-84-5130

 FAX 0144-84-7066

マスキングテープ/エゾ鹿革slim mini wallet

 祖先をリスペクトし新たな文化を創造しようと取り組むBLUE SALMON。

 そんなBLUE SALMONが愛用するアイヌ文様やアイヌ刺しゅうを表現したマスキングテープです。

マスキングテープ(5種)

売箇所

 BLUE SALMON(オンライン、対面)(北海道白老郡白老町末広町5丁目4番8号)

 ポロトミンタラ(北海道白老郡白老町若草町1丁目1番21号)

 エゾ鹿革を使い、シンプルで無駄のないデザインに仕上げたスリムなミニ財布。

 十勝池田町を拠点に活動するブランド「NAI」と「BLUE SALMON」のコラボ商品です。

エゾ鹿革slim mini wallet 25,000円

販売箇所

 BLUE SALMON(オンライン、対面)(白老郡白老町末広町5丁目4番8号)

取扱事業者

 BLUE SALMON

 北海道白老郡白老町末広町5丁目4番8号

 電話 090-1648-4651

 FAX 0144-84-5089

BLUE SALMON 公式HP

イランカラプテTシャツ

 背面にモレウ(渦巻)とシク(目)の大きなアイヌ文様、左胸にイランカラプテのロゴをプリントしたオリジナルTシャツです。

イランカラプテTシャツ 2,980円 S/M/L/LL/3L(男性規格)

販売箇所

 ポロトミンタラ(北海道白老郡白老町若草町1丁目1番21号)

取扱事業者

 一般社団法人白老観光協会

 北海道白老郡白老町若草町1丁目1番21号

 電話 0144-82-2216

 FAX 0144-82-4517

一般社団法人白老観光協会 公式HP

アイヌ料理

 アイヌ伝統のオハウ、イナキビご飯、ポツポツ。

 そこにアイヌが食べていた食材「鹿肉」や旬の山菜等も使い調理した盛りだくさんなオハウ定食です。

 ※ご注文につきましては3日前までに3名様よりお願いしています。

アイヌ料理(オハウ定食)1,600円

販売箇所

 コミュニティカフェ ミナパチセ(北海道白老郡白老町字社台191番地10)

取扱事業者

コミュニティカフェ ミナパチセ

北海道白老郡白老町字社台191番地10

電話 080-1874-3624

FAX 0144-82-2654

元祖しらおいオハウ定食

 「海の幸」「山の幸」。

 地元の食材を生かし受け継いできたアイヌの伝統料理を「元祖しらおいオハウ定食」としてお届けいたします。

元祖白老オハウ定食 800円

販売箇所

 かふぇ ピラサレ(北海道白老郡白老町本町1丁目1番1号)

取扱事業者

かふぇ ピラサレ

北海道白老郡白老町本町1丁目1番1号

白老コミュニティセンター内

電話 090-1384-0141

お問い合わせ先

北海道胆振総合振興局 保健環境部 環境生活課

電話 0143-24-9572

FAX 0143-22-5170

https://www.jiji.com/jc/article?k=000000355.000088209&g=prt


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牡丹社事件から150年 台湾と宮古、悲劇越え交流 古戦場で追悼式、新たに石碑も

2024-05-24 | 先住民族関連

琉球新報2024年05月23日 14:08

日本軍と先住民との激戦地となった石門古戦場跡に建立された石碑の除幕式=22日、台湾・牡丹郷(ウチナー民間大使の陳保佑さん提供)

 宮古島の住民54人が、台湾の先住民に殺害された報復として、1874年5月に明治政府が台湾に軍事侵攻し、先住民を制圧した「牡丹社事件」から今年5月で150年となる。台湾・屏東県牡丹郷で22日、宮古島市の関係者らも参加し、追悼式が開かれた。大国の狭間で翻弄(ほんろう)されてきた台湾・牡丹郷と沖縄・宮古島市の人々は悲しい歴史を乗り越え、平和と友好の交流を発展させていこうと確認した。

 追悼式は屏東県の主催で、同県の周春米知事をはじめ、牡丹郷の潘壮志郷長や宮古島市教育委員会の大城裕子教育長ら約200人が出席した。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3114566.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴動の混乱続くニューカレドニア 日本人38人 航空機で豪に出国

2024-05-24 | 先住民族関連

NHK2024年5月23日 8時27分

暴動による混乱が続く南太平洋のフランス領、ニューカレドニアに滞在している日本人のうち38人が22日、フランス政府が用意した航空機でオーストラリアに出国しました。

南太平洋のフランス領、ニューカレドニアの中心都市、ヌメアやその周辺では今月13日以降、フランスからの独立を目指す先住民などによる暴動が続いています。
外務省によりますと、現地に滞在している日本人のうち出国を希望した38人が22日、フランス政府が用意した航空機でオーストラリアに出国しました。
21日には、日本人4人がオーストラリア政府が用意した航空機で出国しています。
外務省によりますと、現地に滞在している日本人は短期滞在の観光客を含めおよそ250人だということです。

仏マクロン大統領が現地に到着 事態の早期収拾に意欲

混乱が続く中、フランスのマクロン大統領は、日本時間の23日午前7時前、ダルマナン内相やルコルニュ国防相とともに、専用機でニューカレドニアの空港に到着しました。
マクロン大統領は空港で「できるだけ早く、平和と平穏、安全を取り戻すことが最優先だ」と述べ、事態の早期収拾を図る意欲を示しました。
ニューカレドニアでは、地方参政権を新しく移住してきた住民に与えようというフランスの議会での動きに対し、先住民の票の重みが失われるとして反発が起きていて、フランスメディアはこれが暴動の発端になったと伝えています。
マクロン大統領は、現地で、地元の有力者や治安部隊の関係者などと面会する予定で、みずから事態の収拾にあたることにしています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240523/k10014457901000.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田首相のCOP参加期待=アゼルバイジャン外務次官

2024-05-24 | 先住民族関連

時事通信社 2024年5月24日 5時11分

 来日中のアゼルバイジャンのマムマドフ外務次官は22日、同国で11月に開催される国連気候変動枠組み条約第29回締約国会議(COP29)に合わせ、岸田文雄首相の訪問を招請すると明らかにした。

 「岸田首相はこれまでもCOPに出席しており、今回も参加してもらえると期待している」と語った。時事通信のインタビューで述べた。

 アゼルバイジャンは2025年大阪・関西万博に自前で建設する「タイプA」のパビリオンで参加する方針。マムマドフ氏は「わが国には幾つかの世界遺産があり、古代のルーツや文化について紹介する予定だ」と述べた。

 一方、南太平洋のフランス領ニューカレドニアで独立を志向する先住民の抗議行動などが発端となった暴動を巡って、仏政府がアゼルバイジャンの干渉を示唆したことについて、マムマドフ氏は「完全に不当だ」と反発した。ただ、「フランスは先住民の声を真剣に聞くべきだ」とも強調した。

 11月の米大統領選で返り咲く可能性があるトランプ前大統領については、20年に起きたアゼルバイジャンとアルメニアの軍事衝突の際に仲介を試みたことを指摘。「トランプ前政権とは安定した関係を築いていた」と述べるにとどめた。 

https://news.livedoor.com/article/detail/26455427/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春編(3)/酪農地帯・中標津町で朝の牧場を散策

2024-05-24 | アイヌ民族関連

読売新聞2024/05/24 05:00

 開拓者の精神を受け継ぐ。そんな思いが込められた「FARM VILLA taku」(ファームヴィラ拓)という名の宿は、牧場の高台に立つ。午前6時に寝室から外を見ると、緑色の牧草に覆われた大地が数キロ先まで広がっていた。雪が解けて、放牧が始まる手前の春ならではの光景だという。

 根室地方の中部に位置する中標津町は全国有数の酪農地帯だ。約340頭の牛を飼育する竹下耕介さん(50)は昨年、牧場内に「拓」を建てた。「酪農の日常をじかに感じてほしい」と宿泊客らを対象に、朝の搾乳時間帯に「牧場散策」ツアーを行っている。

 長靴を履いて、「拓」から1キロほど離れた牛舎の中を歩いた。雌の親牛は約200頭。通路の左右両側で元気よく動き回りながら、飼料を食べている。

 牛舎では機械を使って、一度に12頭の乳を搾ることができる。朝夕、約170頭から搾乳する。この日も牛が代わる代わる機械の前にやってきては、手際よく乳が搾られ、パイプを通ってタンクへと流れていった。

 牧場の草地面積は170ヘクタールで、東京ドーム36個分に相当する。竹下さんの父、 日吉ひよし さんが1956年に「竹下牧場」を開き、ほぼ同時期に入植した酪農家から譲り受けた農地も含まれている。

 日吉さんは佐賀県出身。大学生時代、旅行で訪れた中標津の大地に魅せられ、「牛を飼って、食で日本を豊かにしたい」と原野を切り開いた。23歳で牧場を継いだ竹下さんは、牛の体調管理などにIT(情報技術)を活用するとともに、自家製チーズの工房を設け、「拓」には太陽光発電と蓄電システムも備えた。

 「父の開拓精神はそのままに、持続可能な未来のために何ができるか。日々考えている」。竹下さんは熱い言葉で、1時間余りの牧場散策を締めくくった。

標津町ではサケを巡る歴史を訪ねる

 今回の旅は、根室地方でアドベンチャートラベルを手がける知床ねむろ観光連盟(中標津町)事務局長の佐々木亮介さん(39)に企画してもらった。根室地方の「営み」をテーマとする2日間のツアーだ。

 初日は根室海峡に近い標津町に行った。1万年前の縄文時代からサケを取っていた人たちの住居跡が残る「ポー川史跡自然公園」と、江戸時代末期のサケ交易の面影を残す標津神社周辺を歩いた。

 公園とその周りには、地面がくぼんでいる竪穴住居跡が4400か所以上も残り、18世紀まで使われ続けたアイヌのチャシ( 砦とりで )跡もある。案内役を務めた標津町観光ガイド協会会長の井南進さん(73)は「江戸時代には和人が進出してサケの漁場を開き、産業が盛んになった。一方、労働力とみなしたアイヌへの許しがたい行為が、やがて騒動に発展したという歴史も忘れてはいけない」と諭すように言った。

 明治時代になると、天然資源の枯渇でサケが徐々に取れなくなり、漁師は副業として酪農に取り組んだ。内陸部に広がって牧場の大規模化が進み、開拓者も増えていったという。

 2日目は牧場散策の後、「開陽台」を巡った。乳牛の放牧場で、中標津町の酪農開拓の象徴とも言われる台地だ。最後まで同行してくれた佐々木さんは「地元の人と触れ合って、産業や歴史をより深く体感できるツアーを提供していきたい」と語った。

 【メモ】竹下牧場内の宿「FARM VILLA taku」(ファームヴィラ拓)は1棟貸しで、定員8人。「拓」のほか、中標津町の中心街にあり、竹下さんがオーナーを務めるゲストハウス「ushiyado」(うしやど)の宿泊者を早朝の牧場散策に案内している。問い合わせ、申し込みは「拓」かushiyadoのホームページで。

サケを巡る歴史探訪と牧場散策の動画はこちら

https://www.yomiuri.co.jp/local/hokkaido/feature/CO067796/20240523-OYTAT50028/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉城知事「保護の観点で」サンゴ採捕を許可 辺野古新基地建設を巡り 防衛局、埋め立て準備

2024-05-24 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2024年5月24日 5:07

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、玉城デニー知事は23日、大浦湾側のサンゴ類の移植に向けた沖縄防衛局の特別採捕許可申請を許可した。申請は全ての審査基準に適合し「サンゴ類の保護の観点から許可せざるを得ない」と判断。夏場の高水温期の移植は不適とされており、防衛局は準備を整え、移植作業に着手する考えだ。大浦湾側の本格的な埋め立てに向けた作業が進むことになる。(政経部・嘉良謙太朗)

 坂本哲志農林水産相が23日までに許可するよう玉城知事に地方自治法245条8の2に基づく「指示」を出していた。知事が従わなかった場合、訴訟を経て、国が代わりに許可する「代執行」に発展する可能性があった。

 玉城知事は同日、県の事務...

この記事は有料会員限定です。残り561文字

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1365070


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本だけど世界が見える街」知っていますか?中国人の写真家が撮った「大久保」

2024-05-24 | アイヌ民族関連

ハフポスト2024年5月24日

【あわせて読みたい】

JR大久保駅の改札を出た瞬間から、色鮮やかな民族衣装を身につけた人々を目にする。

街を歩けば、さまざまな国のスパイスの香りがし、多言語の看板が目につく。

東京都新宿区にある大久保を8年にわたり写真に収めている中国人写真家・史涵(し・かん)さんは、大久保を「混合の地域」だと表現する。

大久保をテーマにした3回目の写真展を開催中の史さんに、ファインダー越しから見る大久保について話を聞いた。

「日本だけど世界が見える街」知っていますか?中国人の写真家が撮った「大久保」

© ハフポスト日本版

大久保「イスラム横丁」

新宿・大久保と聞くと、コリアンタウンの新大久保を思い浮かべる人が多いかもしれない。

JR新大久保駅の東側には韓国料理店などが密集しているが、新大久保駅の西側、大久保通りを挟んだ向かい側には、ハラル食品店などが立ち並ぶ「イスラム横丁」がある。

その他にも、ベトナム、ネパール、タイ、中国、台湾などさまざまな国と地域の飲食店や食材店が軒を連ねる。まさに、あらゆる民族や文化が「混合」している街並みだ。

史さんは、大久保を「日本にいながら世界が見える場所」だと話す。

「調味料の匂いや、生活の匂い。さまざまな言語で書かれた色鮮やかな看板。大久保の街は、混ざっているから面白く、いろいろな人が入ってきたり出て行ったりする変化の激しい街です。大久保はあらゆる人が受け入れられる。そんな場所だと思います」

「イスラム横丁」の路地

店を訪れる人たちの国籍もバラバラだったり、店の「お隣さん」は国籍やバックグラウンドが異なる人だったりする。隣人同士が助け合い、街が成り立っている。

皆がそれぞれの母語で話している一方で、使用言語が異なる外国人同士は日本語などの共通言語で話す。街に飛び交う言語も、看板やメニューの言語も、さまざまな言葉が入り乱れる。それこそが、文化や言語が混合した「大久保らしさ」でもある。

街の変化のスピードも速い。いつの間にか、新しい外国人店主の店ができていたり、気づけば違う店に入れ替わっていたりもする。

史さんが大久保を撮り始めた8年前からも、街は大きく変わり、さらに多様な国や地域の店が増えたという。

その「変化」こそが、史さんが街の写真を撮る理由でもある。

開発の波。街の歴史を「記録する」意味

史涵さん。大久保の路地で撮影

史さんが大久保の街を撮り続ける意味には、「客観的な街の歴史の記録」のほかに、これまでの自分自身の経験や目線を通して撮影することで、「自分にしか見られない歴史を撮ること」があるという。

変化が速い大久保の街だからこそ撮りがいがあり、通い続けている。

「この8年でも街は大きく変わりましたが、次の5年でもまたどんどん変化していくと思います。だからこそ細かい街の描写を写真で記録し、これまで住んできた方やこれから住む方のためにも、写真という形で今の大久保という地域の歴史を残したいと思っています」

2021年には初の大久保の写真個展「世界の大久保」、2023年には「表情:コロナ禍の中の大久保」を開催した。

大久保地域センターで開催中の写真展の様子。写真は中華料理店「興福楼」の店内と店主

3度目となる今回の写真展は、大久保の地域の「老舗」4店舗が題材となっている。

ここ数年で出来た新店舗に比べ、以前から大久保の土地で商売をしてきた店舗を「老舗」と表現している。

手打ちうどん「伊予路」の店主が足を痛め、「後継者もいないから、この代でもう終わりかな」と、ふとこぼす本音を聞き、老舗店の記録の必要性を感じた。

大久保駅前の中華料理店「興福楼」の店主からは、このまま駅前の開発が進めば、いつか店の存続にも影響が及ぶとも聞いた。

高齢化や再開発の波など、いつまで店が続くかわからないという状況の中で、大久保で生きてきた人たちの「生き様」や仕事に向き合う姿、店舗そのものを撮りたいと思った。

手打ちでうどんをつくる、「伊予路」の店主

今回は、写真だけでなく店舗内の映像も撮り、展示している。店舗内の様子を多角的に見てもらい、そのまま記録に残したいという思いだ。

「人にも命があるように建物にも命があります。どちらもいつかなくなる命です。建物は人より強そうに見えますが、開発によって人の寿命よりずっと短くなることもある。次行った時には建て替わっているかもしれないし、廃墟になっているかもしれません」

さまざまなジャンルの音楽やバックグラウンドを持った人たちがバンドの練習やライブで訪れる「大久保スタジオM」や、アイヌ文化の発信拠点にもなっているアイヌ創作料理「ハルコロ」など、引き続き元気に街を盛り上げる店も撮影した。

さまざまな国籍や音楽ジャンルのミュージシャンが集うスタジオM

情報紙の撮影で出会った大久保の人々

史さんが大久保を撮影し始め、地域の人たちと関係を築くきっかけは、参加する市民団体発行の情報紙の取材だった。

2008年に留学生として来日した史さんは、大阪で日本語を勉強した後、東京で進学。中央大学大学院で社会学を学んだ。

学校の先輩が、大久保周辺で活動する市民グループ「共住懇(きょうじゅうこん)」のメンバーだったことから、史さんも紹介されて2016年に参加。共住懇が1999年に創刊した情報紙「OKUBO」の取材・撮影に携わってきた。

取材や撮影で地域のさまざまな店舗の人たちと接し、大久保の街と人に魅せられた。一つ一つの出会いこそが、8年間にわたり大久保の街を撮ってきた理由だ。

現在は、中央大学文学研究科社会学専攻博士課程に在籍しながら、研究の側で共住懇の活動や撮影を続けている。

街から見える日本社会の未来。共に生きるとは

海外から日本へ移住し、商売を始めた人々の子どもたちは大久保で育ち、また新たな世代が築かれている。

夕方になると、幼稚園や小学校から帰ってきた、さまざまな国にルーツがある子どもたちが、店先などで遊ぶ姿も見られる。

ここで生まれ育った子どももいれば、親と一緒に移住していた子どももいる。

新宿区立大久保小学校は、さまざまなルーツを持つ児童が在籍する多様な学校として、メディアにもよく取り上げられる。半数以上が海外ルーツがある児童というクラスもある。

来日して編入した子どもたちなどのために、日本語学級も充実している。

この日本語学級は長年設置されていて、教育面から地域を支えてきた。

大久保を歩く子どもたち

大久保の地域では、もちろんニューカマーの外国人と日本人の繋がりも多い。地元のお祭りは、日本人とさまざまな国籍の人々が一緒に盛り上げる。

日常の中でも、ちょっとした助け合いが見られるという。

史さんがよくカレーを食べるというバングラデシュの食材店兼飲食店では、店の上に住んでいた史さんの日本人の友人が、よく店を手伝っていた。

「あまり日本語が得意でないバングラデシュ出身の店員に代わって、仕事帰りに看板に日替わりメニューを書いたり、日本語での電話の通訳をしたり、お客さんが多い時には皿洗いも手伝ったりしていました」

別の場所に引っ越した今でも、大久保を訪れた際はまた手伝いに来ている。

何かあったら、隣近所のさまざまな国籍の人たちが手伝ってくれる。それが大久保だという。

日本語学校や専門学校が多く、外国人や日本人の若者も多く行き交う。

さまざまなバックグラウンドの人たちが共に生き、常に変化し、それでいて人々のあたたかい心を感じられる。

そんな大久保に史さんは魅せられている。

年々、外国人の人口が増加する日本社会が学ぶべき共生の姿が、大久保にはあるのかもしれない。

写真展「混合の地域 大久保老舗物語」は5月22日〜6月2日まで、大久保地域センター3階で開催される。入場無料。

5月26日(日)午後2〜4時には、大久保地域センター3階会議室Aで、史さんや、今回撮影対象となった店の店主らによるトークも行われる。

6月には、史さんが通う中央大学構内でも写真展を開催する予定。

<取材・文=冨田すみれ子>

https://www.msn.com/ja-jp/news/other/日本だけど世界が見える街-知っていますか-中国人の写真家が撮った-大久保/ar-BB1mU1F3?ocid=BingNewsSearch


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大ヒット「ゴールデンカムイ」プロデューサーが手がける「ディア・ファミリー」奇跡的な流れが公開までつながった愛の実話を映画化

2024-05-24 | アイヌ民族関連

ひとシネマ5/23(木) 6:10

現在公開中の「ゴールデンカムイ」、「ミッシング」、6月14日公開の「ディア・ファミリー」(毎日新聞社など製作委員会)と話題作のプロデューサーを務めた大瀧亮さん。内容、成り立ち、スタイルなど大きく異なるが、3作とも注目度は圧倒的に高い。映画のとっかかり、企画段階から2次利用まで一つの作品に長期にわたって一緒に歩み、生みの親であり、育ての親としてかかわってきた。「大切な子供が成長する過程が楽しみ」と話す大瀧さんの作品へのアプローチ、所属するWOWOWの映画戦略の一端について聞いた。

【動画】何もしない10年、やってみる10年、あなたはどちらを選ぶ? 「ディア・ファミリー」予告編

新たな一歩を踏み出した「ゴールデンカムイ」

「ゴールデンカムイ」は野田サトルの大ヒット漫画の実写映画化。WOWOWは2021年秋に映像化権の獲得にエントリーした。コロナ禍で大手の配信業者が国内マーケットに参入して実績を押し上げ、業界が大きく変化していた時期だ。上質なドラマを作ってきたWOWOWにとって正念場となり、危機感も覆う中で「映画もドラマも作れる前提で映像化権を取りにいった」と話す。TBSテレビと共同制作した「MOZU」などはあったものの、「ゴールデンカムイ」は「はじめましてと言えるほど大きな作品へのチャレンジだった」という。

映画化権は手に入れたものの、22年4月末の実写化発表(活字のみ)の際のファンの反応は「ネガティブが8割」と予想されたこととはいえ、ファンの原作愛の高さを再確認するものだった。原作へのリスペクトは絶対不可欠、として「作品に関わる全員が細部まで読み込んで準備にとりかかった」。それが奏功してビジュアルや映像など2回目の発表を行った23年8月末の解禁への反応は「正反対の8割以上がポジティブに変わった」という。

実際に公開中の映画は大ヒット中だ。「脚本段階から野田先生や発行元の集英社と入念な意見のやり取りを繰り返し、リアリティーにも配慮して製作した」。アイヌのコミュニティー、史実に沿った部分、グルメなど専門家の監修を多方面にわたって導入。「漫画から実写への転換の難しい部分も克服した結果」とみている。今秋WOWOWで続編となるドラマ版の放送・配信開始予定、そして更にその先の続編映画版も構想中で準備に余念がない。

吉田監督と伴走した「ミッシング」

「ゴールデンカムイ」とは全く異なる進め方だったのが吉田恵輔監督の「ミッシング」だ。大瀧さんは、吉田監督の「空白」を見て感動した。「人は苦しみとどう折り合いをつけていくかというテーマに共感。吉田監督と仕事をしたい一心で、次の企画に関わりたいと『ミッシング』の企画を進めていた河村光庸さんがいた会社スターサンズの門をたたいた」

「吉田監督に全幅の信頼を置き、基本的にやりたいことをフルに撮ってくださいというスタンス。伴走させてもらった」。河村は撮影前に急死してしまったが、後に残ったメンバーが遺志を受け継いだ。プロデューサーとして考えたのは「2時間つらいだけの作品に観客は足を運んでくれないと考えた。大事にしたのは、最後に人のやさしさに触れられること」と話した。大瀧さんの言葉がより力強くなる。「苦しい場面の連続だったが、最後に見える一筋の光がこんなに大きく見える。それが担保できる脚本と演出、仕上げだった」

配給をワーナーにお願いし、吉田監督作品の中でも規模の大きい250館規模での公開を決めた。河村も「ぜひ」と話していたという。それにはメジャーのキャストをそろえることも不可欠だった。作品は誹謗(ひぼう)や中傷があふれる現代社会、報道機関の裏事情なども交え「時代を切り取る作品。被害者が加害者のように扱われる世の中の今を映し出した。現代的な事象を映し撮った分、10年後には『あんな時代もあったのか』と思える作品になったかもしれない」と語った。

この物語をどうしても伝えたい「ディア・ファミリー」

「奇跡的な流れが公開までつながっている」と話すのが「ディア・ファミリー」である。原作者であるノンフィクション作家の清武英利が追いかけてきた実話を同僚から引き継いだ。町工場の社長、筒井(映画では坪井)宣政さんが娘の命を救おうと人工心臓の開発に専念、亡くなってしまった娘との約束で心臓治療の医療器具IABPバルーンカテーテルを開発していく物語だ。「実話とは思えないくらいパワーを感じた」

当時、東宝も筒井さんのドキュメンタリーを見て映画化に向け動きだしており、一緒に進めることになった。清武の取材メモから林民夫に脚本を依頼。数々の余命ものを手がけ自身も2児の父親であり「絶対やりたい作品」と言った月川翔を監督に指名した。「家族が病気になり亡くなる悲しい話ではなく、そこを起点に家族が団結して新しいものを作り、それが今の時代に受け継がれ、世界中でたくさんの命を救っている。とても希望や夢のある物語」と製作への強い意欲が大瀧を支えた。物語の中間あたりで、娘が「私の命は大丈夫」という場面がある。「その先の家族の姿がすごい。多くの人に体感してもらいたい」。18年から6年かけて公開にこぎつけた。「この物語を伝えたい」という思いからだった。

一方で、会社や医療、大学などこの実話に関わってきた方も多く、エンターテインメントとして見せる上でフィクションにしたところもあった。「筒井さんの過去の経験があってこそ、カテーテルの開発につながったことを目で見えるように苦心した」。大瀧は清武の取材にも同行して、筒井さんとも何度も話をしてきた。長い年月、苦楽をともにしてきたのである。「見てくれた人が一人でも多く喜び、感動してくれたら救われる作品」

世に送り出す瞬間の感動

プロデューサーとして「大変なことやつらいことがあってもマインドリセットして、最後は一人の観客として、(作品を)子供と思って見る。元々(藤原竜也さんの)マネジャーをしていたので、一番近くで俳優やコンテンツと向き合っていたいと思ってきた。彼らが世に出る瞬間のお客さんのリアクションを見て感動させてもらってきた」。

大瀧の話の端々に、作品製作の先導者として粘り強く前向きに進んでいく姿が見える。「ディア・ファミリー」の主人公、筒井さんに通じる部分を感じる。「シンパシーは感じます」。立場上、どうしても調整ごとは多くつきまとう。「大変なこともあるが、自分が投げだしたら、それで全部終わってしまいますから」と前を向く。もう一つ大切なこととして、今の映画作りの主流ともいえる製作委員会方式を挙げた。「皆さんにお願いし、助けられたこともたくさんある」と好意的にメリットを受け入れてきた。

ビジネスチャンスの発掘と挑戦

大瀧の考えには当然ながらWOWOWのスタンスや方針が見える。「サブスクビジネスの選択肢がたくさんある中で加入者の満足度を担保していくとともに、プロデューサーが結集して生み出すコンテンツをWOWOWの外でも見てもらうこと。既加入者にはもう一度、そして加入していない人は初めて楽しんでもらい、収益がたつことも推進していく」。音楽の分野ではすでに、ライブ番組の画と音を再編集し、映画館で見てもらうためのラグジュアリーな展開を始めている。

映画の世界でも、配給機能を学び劇場営業やブッキング、宣伝業務ができるよう研さんを重ねている。ビジネスチャンスを太い幹にしていくための人的リソースを強化してきた。もう一つ大事なことを指摘した。「映画業界は企画、営業、配給、宣伝、2次利用と分業体制になっているが、WOWOWにいることでその全部をやっていく。18年くらいから分業という概念は取り払ってやってきた。営業の大変さ、配給や宣伝の難しさも身に沁みて分かった」というのだ。

収支で見ても、配給会社にとっては多くの作品の中の1本だが「WOWOWにとっては一球入魂」の1本。この思いを最後まで発信しないといけない」と話す。さらに、「ゴールデンカムイ」に関わったことで、「今まで経験したことのない枝葉に分かれたビジネスチャンス、『ゴールデンカムイ』があるからこそ劇場公開だけでなく商品化できるもの、付帯で見えてくるビジネスがたくさんあった。例えば、音楽チャンネルがあるからできたことだが、主題歌を担当してもらったACIDMAN(アシッドマン)のオリジナルライブをWOWOWで蘇生してライブ興行、放送もする。劇場公開の宣伝にもつながる。多層的な取り組みになっていった」と語った。

映画記者 鈴木隆

https://news.yahoo.co.jp/articles/410c980b32d9ef5da522f7da48e7426bb27eea67?page=1


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする