先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

「ウポポは自分自身の表明」 登別でアイヌ文化講座

2024-05-20 | アイヌ民族関連

宮木友美子 有料記事

北海道新聞2024年5月19日 22:26(5月19日 22:28更新)

阿寒湖アイヌコタンで提供しているアイヌ民族の料理を解説する郷右近富貴子さん(左)と姉の床絵美さん

 【登別】観光地とアイヌ文化の関係を学ぶアイヌ文化講座が、登別市観光交流センター(ヌプル)で開かれた。アイヌ民族に伝わるウポポ(歌)の歌い手として活躍する姉の床(とこ)絵美さんと妹の郷右近(ごううこん)富貴子さんが登壇し、ウポポを歌う時の心境や工芸作家としての活動を語った。

 同講座は市教委が年1回開いており、今回は釧路市の「阿寒湖アイヌコタン」をテーマにして18日に開催。同コタン出身の2人を招いた。

 床さんは東京都内のアイヌ料理店で働いた時にウポポを人前で歌い始めたといい、「ライブで歌うウポポはごまかせない。歌うことは、自分自身であることの表明になっている」と語った。

 郷右近さんは、自らが手がけたアイヌ工芸品を衣料品・雑貨販売のビームス(東京)の新宿店で販売した経験を語り、「モノの善しあしを理解してくれるお客さんと出会い、頑張る力になった」と話した。

・・・・・

※「ヌプル」の「ル」は小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1013656/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神と先祖に祈り 旭川でアイヌ民族の伝統儀式

2024-05-20 | アイヌ民族関連

桜井則彦 有料記事

北海道新聞2024年5月19日 20:46

嵐山公園のポロチセや先人の顕彰碑で祈りをささげたアイヌ民族の伝統儀式「チノミシリ・カムイノミ」(伊丹恒撮影)

 アイヌ民族の伝統儀式「チノミシリ・カムイノミ」(聖なる地での祈り)が19日、旭川市と鷹栖町にまたがる嵐山公園の「アイヌ文化の森 伝承のコタン」で行われ、参加者が神や先祖に祈りをささげた。

 旭川アイヌ協議会、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会、ピリカウレシカの会でつくる実行委の主催で48回目。主催の関係者約30人に、見学者らを合わせ約50人が参加した。

 同協議会、同保存会の川村久恵会長(53)が「若い世代も増え、伝承が続くことを先人たちは願っている。先輩や長老は若者への指導をよろしくお願いします」とあいさつ。民族衣装を着た参加者は、コタンのポロチセ(大きな家)の中で、いろりを囲み、神酒をイナウ(木幣)にかけて火の神にささげた。祭壇では大地や山など七つの神様に祈った。上川アイヌの長クーチンコロ、木彫り熊の名工松井梅太郎の顕彰碑でも供養を行った。

・・・・・

※「チノミシリ・カムイノミ」の「リ」は小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1013609/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズと民謡 聴衆魅了 登別・カルルス温泉で「文化祭」

2024-05-20 | アイヌ民族関連

三浦高志 有料記事

北海道新聞2024年5月19日 19:08(5月19日 23:15更新)

カルルス温泉文化祭で民謡を披露する道内出身の紀伊なつみさん(左)と三味線奏者の仲野魁斗さんのユニット

 【登別】カルルス温泉の老舗旅館「鈴木旅館」で19日、道内外で活躍するアーティストによる音楽会「カルルス温泉文化祭 ジャズと民謡」(実行委主催)が開かれた。聴衆は手拍子したり、リズムに乗ったりして温泉街でのひとときを楽しんだ。

 同文化祭はカルルス温泉街の認知度向上が狙い。昨年10月に初めて行い、今回が2回目で、市内外から100人が参加した。

 ・・・・・最後は阿寒湖を拠点に活動する姉妹ユニット「カピウ&アパッポ」がアイヌ民族の伝統歌を披露した。

 実行委メンバーで地域おこし協力隊の新村のりこさん(46)は「皆さん盛り上がり、カルルス温泉のPRになった」と手応えを語った。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1013576/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族の交易学ぶ 2博物館が苫小牧でシンポ

2024-05-20 | アイヌ民族関連

絈谷武史 有料記事

北海道新聞2024年5月19日 18:55(5月19日 19:24更新)

アイヌ民族の舟と交易について理解を深めた共同シンポジウム

 白老町の国立アイヌ民族博物館と苫小牧市美術博物館は18日、共同シンポジウム「アイヌの舟と交易」を苫小牧市民会館で開いた。両施設の研究者らが基調講演や事例報告などを行い、市民ら約70人が熱心に耳を傾けた。

 両施設は2021年から、アイヌ民族が使用していたとみられる市内で見つかった丸木舟2隻に関する共同研究を進めている。この2隻は交易などに使われた「板綴舟(いたつづりぶね)=イタオマチプ=」とみられている。

 事例報告として登壇した市美術博物館の岩波連・主任学芸員は、「苫小牧と千歳間は昔、太平洋と日本海を結ぶ物流の大動脈で、アイヌ民族は丸木舟を利用して頻繁に行き来していた」と解説。さらに「市内ではこれまでに9隻見つかっているが、まだまだ地層に埋まっている可能性は高い」と強調した。

 ・・・・・

※「イタオマチプ」の「プ」は小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1013570/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族の踊り 優雅に競演 十勝川温泉で祭典

2024-05-20 | アイヌ民族関連

伊藤駿 有料記事

北海道新聞2024年5月19日 18:36(5月19日 20:39更新)

ツルが羽ばたく姿を表す踊りなどを披露した「十勝川サロルンリムセ」(中川明紀撮影)

 【十勝川温泉】アイヌ民族の舞踊の祭典「十勝川サロルンリムセ(鶴の舞)」が18日、十勝管内音更町の十勝川温泉で開かれ、道内4地域の保存会の34人が各地に伝わる踊りを披露した。

 各地域の保存会でつくる実行委主催。祭典はアイヌ文化への理解促進や伝統文化継承を目的に2019年から毎年開催している。

 阿寒アイヌ民族文化保存会(釧路市)のメンバーが魔よけの踊り「タクサの舞」を披露し、祭典がスタート。嵐の日に松の枝葉が揺れる様子を表す「フッタレチュイ」を踊った。

 札幌市と千歳市の保存会の踊りの後、帯広カムイトウウポポ保存会が登場。女性4人が民族衣装の裾を持ち上げ、ツルが羽ばたく姿を表現した。観客は手拍子でリズムを取って楽しんでいた。最後は大きな輪になり、観客も交じって「ポロリムセ」を踊って締めくくった。

 ・・・・・・

※「サロルンリムセ」「ポロリムセ」の「ム」は小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1013559/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ4団体がツルの舞を披露 十勝川サロルンリムセ

2024-05-20 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024/05/19 10:23

 【音更】音更町の十勝川温泉アクアパーク(十勝川温泉南11)で18日、道内各地のアイヌの伝統舞踊を披露する「第6回十勝川サロルンリムセ」(実行委員会主催)が開かれた。十勝川を背に、約30人がツルの...

「鶴の舞」を披露する帯広カムイトウウポポ保存会のメンバー(18日、金野和彦撮影)

●この記事は会員限定です。

https://kachimai.jp/article/index.php?no=609082


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武四郎と布袋さん /三重

2024-05-20 | アイヌ民族関連

毎日新聞2024/5/19 地方版 有料記事 1087文字

武四郎の業績を記した「北海道命名之地」の看板=北海道音威子府村で2022年10月11日、山本直撮影

 大学の卒業論文は「アイヌの農耕民化に関する地理学的研究」。学生時代はフィールドワークのためアイヌ民族が多く暮らす北海道・日高地方の平取町(びらとりちょう)に長期間滞在していました。アイヌ初の国会議員になった萱野茂さんの弟が同町の二風谷(にぶたに)という集落で民宿を経営しており、そこに半ば居候していたのです。

 バイクで道内各地へ足を伸ばすうち、いやでも松浦武四郎の偉大さを知ることになりました。6度にわたる蝦夷地(えぞち)の調査で歩いた距離は1万キロ。道内をくまなく巡っただけに顕彰碑などが至るところにあります。

 武四郎は、アイヌの人々を指す「カイ」という言葉から地名として「北加伊道(ほくかいどう)」を提唱。北海道の名付け親になったわけですが、松阪市の松浦武四郎記念館を訪ね、それが業績の一端にすぎないことを知りました。

 展示室には大きな北海道の地図があり、近付くと小さな文字で地名がびっしり書かれていることに気付きます。まず二風谷を示す「ニフタニ」を発見。周辺に「腸」のように曲がりくねった川が語源の「カンカン」や「貝が多い」沢を意味する「ヒハウシ」(現地ではピパウシ)の文字が見え、懐かしい風景が頭に浮かびました。

 時間を割いてくれた山本命(めい)館長とは大いに盛り上がりました。共通の思いはアイヌを道案内に踏査したことのすごさ。松前藩から虐げられてきたアイヌにとって和人(アイヌから見た日本人)は敵同然でしたし、言葉の壁もあったはず。なのに良好な関係を築けた理由は何か。

 山本館長は武四郎を「ダイバーシティーとインクルージョンの先駆者」と捉えているようでした。「多様性を尊重し、それを受け入れた」ぐらいの意味でしょうか。全く同感です。もちろん類いまれな「人間力」もあったのでしょう。

 次に近くの武四郎の誕生地へ足を運びました。伊勢街道沿いの約300坪の敷地に主屋や納屋、土蔵が整備されています。松浦家は郷士で庄屋だったといいますから、まず偉業の背景に裕福さがあるのだと思いました。

 でも、それは早合点でした。案内してくれた保存会の方の話では、父時春は参宮者をよく助け、川止めでもあれば滞留する客に握り飯を配るなどしたそうです。武四郎はその姿を見て育ちました。

 「普通は屋根に鬼瓦が載っていますが、この家は布袋さんなんですよ」

 見上げると、一番高いところで布袋さんがほほ笑んでいました。不思議な力で人々を満たされた気持ちにしたという布袋さん。偉業を支えたのは資産などではなく、布袋さんのようなハートではなかったか――。そう感じたのです。【津支局長・山本直】

〔三重版〕

https://mainichi.jp/articles/20240519/ddl/k24/070/064000c


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ゴールデンカムイ舞台探訪】団子をかじって最終決戦! アシㇼパたちの長い長い旅の終着地、函館を訪ねる

2024-05-20 | アイヌ民族関連

冨樫さや 2024/5/19 

漫画『ゴールデンカムイ』の足跡をたどる旅、小樽札幌に引き続き、最後は函館編。北海道各地を転戦した一行は、始まりの地であり、終わりの地でもある函館に集結する。

函館といえば洋館めぐりや函館山の夜景、いち早く西洋文化を採り入れた洋食などが魅力だが、今回は杉元たちの動きを追いたい!

引き続きそれぞれのエピソード、セリフ、設定は原作漫画に準拠している。映画版の先も多く含まれるためネタバレ注意だ。

・箱館戦争の激戦地「五稜郭」

【ゴールデンカムイ舞台探訪】団子をかじって最終決戦! アシㇼパたちの長い長い旅の終着地、函館を訪ねる© ロケットニュース24 提供

暗号が解けた瞬間(コミックス28巻)、浮かび上がる星形に鳥肌が立つような興奮を覚えた読者も多いだろう。「よりにもよってここか……」と土方歳三がつぶやく箱館戦争の激戦地「五稜郭」。クライマックスにこれ以上の舞台はない。

……とその前に、鯉登少年誘拐事件(コミックス20巻)の舞台でもある。鯉登パパが走った橋はここかな?

大がかりな狂言誘拐だったわけだが、結局は父親が必死で駆けつけるという事実を目にした尾形百之助の苛立ちが、闇深くもあり悲しくもあり。尾形の「善人嫌い」が加速していくが、それらはすべて “自分が得られなかったモノ” を欲しがる気持ちだろう。

現在、公園内には「箱館奉行所」が再現されている。作中の時代には存在しなかったものだけれど、回想シーンに登場。

五稜郭では箱館戦争後にほぼすべての建物が解体されるのだが、土方歳三によると「兵糧庫」は戦争前からあったという。中に侵入して床下を掘り返す杉元一行! 現在は外観は見学自由、内部は例年8月のみ特別見学が可能とのこと。

そして奉行所の向こうに回ると、かつて馬用の井戸だったとされ、作中で金塊の隠し場所となっていた井戸跡が! もうこれは公認と言っていいだろう。なにせ冬季には箱館奉行所のスタッフが作品ファンのために雪かきをして掘り出してくれているのだ。

迎える五稜郭攻囲戦。全方位に死角なく十字砲火ができる稜堡(りょうほ=突き出した部分)は、もともと戦闘特化構造なのだそうだけれど、日露戦争を経験した杉元は「さらに塹壕が必要」と指摘する。

第七師団は橋脚を盾に前進、決死の白兵戦(コミックス29巻)に。「父の愛があれば息子に砲弾は落ちん!!」の鶴見中尉が侵入してくる。

この戦いでは都丹庵士の姿が印象深い。夏太郎、門倉、キラウシなど一人ひとりに見せ場があり、ほんの1コマ、ほんの一瞬のキャラクターの表情にあらゆる感情、背景、人物同士の関係性をのせる野田サトル先生の表現力に震える。

激戦の末、杉元一行は北口から脱出。さすがに現地で漫画を読みふけるわけにはいかなかったのだが、展望スポット「五稜郭タワー」から眺めると全体像がつかめ、尾形と頭巾ちゃんが待機していたのはあの辺りの防風林かな、などと空想がはかどる。

・鶴見中尉がパクついている「大沼団子」

閑話休題。鯉登少尉らが「大沼公園駅名物の大沼団子です」と鶴見中尉に差し入れする団子(コミックス29巻)は、そのままのパッケージで現在も売られている!

製造するのは実際にJR大沼公園駅のすぐ前にある「沼の家(ぬまのや)」。明治時代、蒸気機関車に乗って大沼にやってくる観光客向けに販売したのが始まりだそう。

漫画のとおり串に刺さっておらず、繭玉(まゆだま)のような小ぶりの粒を爪ようじですくうように食べる。これは大沼に浮かぶ小島を表現しているのだそう。作中のビジュアルそのまま、半分がしょうゆ、半分があんこ(胡麻バージョンもあり)で大折と小折あり。

甘さ控えめの優しい味に、ふわふわの団子が非常に美味! ひとつひとつが小さいので、軽い食感でひょいぱく食べられる。和菓子が好物の鶴見中尉も大満足である。

が、閉店時刻の18時よりもずっと前に完売してしまうことも多いそうで、日によって時刻が異なるため購入のハードルはやや高め。列に並んでいても在庫がなくなった時点で販売終了となるので、確実に食べたい場合は早めの来店がおすすめだ。『ゴールデンカムイ』ファンでなくとも必食、大沼が誇る絶品グルメ! 

・土方歳三終焉の地「一本木関門」

五稜郭の脱出後、物語の舞台は暴走列車こと蒸気機関車「しづか号」へと移る。少年期を函館で過ごした鯉登少尉が「よく知っている」と話す終着駅は「一本木関門」!

歴史上の通説では土方歳三が戦死したとされる場所(諸説あり)だ。現在、現場近くの緑地には「土方歳三最期の地」の碑が建てられ、見学自由になっている。

とはいえ埋葬場所はいまだ不明であるために、実は土方歳三が生きていたという壮大な『ゴールデンカムイ』の物語に真実味を与えている。

かつては馬で駆け抜けられるほど周囲が開けていたのだろうが、公共施設の敷地内にひっそりとたたずむ石碑。函館市の変貌に土方も驚くだろう。

当たり前のことなのだが、いま立っているここには100年前、1000年前にも(たぶん)地面があり、人がいて、日々の暮らしがあったのだと思うとロマン。

日露戦争、ロシアのパルチザン、明治維新、アイヌ文化……いくつもの物語がひとつの川に合流するような壮大なストーリーに改めて胸が熱くなる。

・「旧ロシア領事館」は改修工事中

なお、金塊争奪戦の本当の始まりの地であり、鯉登少年誘拐事件でも登場した「旧ロシア領事館」は2025年春まで改修工事を実施中。立ち入り禁止となっており、ライトアップなどもされていない。

けれど劇中そのまま、急な坂の途中に建っており、眼下に港が一望できる。馬が怖がって走れないというのも納得。

このほか函館には回天丸の主砲が隠されていたとされる三十三観音像、マンスール大活躍の函館山、機関車が沈んだ函館湾などがある。

地理的にも歴史的にも内地とはまったく異なる姿、異なる成り立ちを見せる北海道。一生に一度は行かなければならない理由が、『ゴールデンカムイ』によって確実にひとつ増えた。

今秋にはWOWOWにてドラマシリーズ第1弾が始まる。公開が待ちきれない!

参考リンク:函館市公式観光サイト「はこぶら」函館経済新聞

執筆:冨樫さや

Photo:RocketNews24.

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/ゴールデンカムイ舞台探訪-団子をかじって最終決戦-アシㇼパたちの長い長い旅の終着地-函館を訪ねる/ar-BB1mEooe?ocid=BingNewsSearch


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闘ったバトンを託された 有銘政夫さんの孫の親川志奈子さん(43) 平和を希求する心を受け継ぎたい

2024-05-20 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス5/17(金) 9:07

有銘政夫さん(右)と沖縄こどもの国を訪れた孫の親川志奈子さん。「難しい話でもユーモアを交える、キュートなおじいちゃんだった」と思い返した=1983年3月(提供)(沖縄タイムス)

[孫と「復帰」53年目の5・15](4)

 「この子は運動仲間だよ」

 名護市辺野古の座り込みや抗議集会で一緒になると、故有銘政夫さんが周囲にこう紹介してくれた。孫の親川志奈子さん(43)は「おじいちゃんに仲間として見られていることがおもしろかったし、うれしかった」と笑う。

この記事の他の写真・図を見る

 祖父と同じ沖縄市に住んでいた小学5年までは会う機会が多く、その後に那覇市へ移っても親族の行事などで交流した。嘉手納爆音訴訟の原告団や沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議(違憲共闘会議)のメンバーとしてニュースに出たり新聞に載ったりする祖父を探すのが好きだった。「基地に反対する何かをしている」姿を目にする機会は多かった。

 高校2年だった1998年、沖縄振興の一環でできた国費留学制度で米国に渡った。95年には米兵3人による暴行事件が発生したばかりで、沖縄で起きる問題に意識が向き始めていた。

 米国では「聞かれたら沖縄について話すぞ。基地問題も話すんだ」と意気込んでいたが、沖縄は全くと言っていいほど知られておらず、関心が薄かった。「沖縄では米軍相手に一喜一憂しているのに」。より沖縄について学びを深めようと思った。

 大学ではウチナーンチュのコミュニティーがあるハワイ、大学院ではスコットランド人らが熱っぽく独立を論じるロンドンに留学した。アイデンティティーを考えるきっかけになった。

 市民による抗議デモは当たり前。「本当に気軽に参加できるデモで、自分の中の敷居が下がった」。辺野古や抗議集会に行ってみようか、と足を向け出したのはこの頃からだ。

 沖縄を知ろうと動き出した時、頼りにしたのはやはり祖父だった。普段はしない政治の話も、質問すれば意見や感想を言ってくれた。

 「何で復帰したの?  と聞いたら、おじいちゃんは『ね』って。当時は基地問題を解決しなければならない、何も保障されていない状況があった。復帰は一つの選択肢ではあったと思うけど…」。復帰前に人々が求めた「基地撤去」「核抜き本土並み」が遠い現状を見ると、「だまされた感じ」が募る。

 琉球民族独立総合研究学会に設立から携わっている。国連の先住民族会議に参加するなどして、祖父とは違うやり方で基地から派生する人権侵害を世界に訴えてきた。「おじいちゃんは次世代のために闘ってバトンを渡した。孫としては託されたと思っている。平和を求める気持ちを受け継いでいきたい」と力を込めた。(社会部・勝浦大輔)=おわり

 メモ 有銘政夫さん

 小学校教諭を経て中頭地区教職員会専従職員。沖教組中頭支部委員長や中部地区労議長などを歴任した。1994~2012年は違憲共闘会議の議長を務めるなど、日本復帰後は、反戦地主として裁判闘争を引っ張った。2021年に90歳で死去。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5ef518e357784a79da58504f076b7cd4bea8234d


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾・蔡英文総統、20日退任 存在感向上、末期まで支持失わず

2024-05-20 | 先住民族関連

毎日新聞5/19(日) 20:24

台湾の蔡英文総統=台北市の台湾総統府で2023年1月1日午前8時27分、岡村崇撮影(毎日新聞)

2期8年にわたって台湾のかじ取りを担った民進党の蔡英文総統(67)が20日に退任し、同党の頼清徳新総統(64)が誕生する。蔡氏は中国が統一に向けた圧力を強める中で、米国などとの連携強化を通じて国際社会での台湾の存在感を高めることに成功。内政に対する批判はあるものの、政権末期まで大きくは支持を失わなかった。

【写真まとめ】敗北を認めた侯氏、支持者に向けた表情

 学者出身の蔡氏は同党の陳水扁(ちんすいへん)政権(2000~08年)で対中政策を担当する大陸委員会主任委員(閣僚)などを歴任した。12年に続き2度目の挑戦となった16年の総統選で、中国との経済緊密化を強めていた国民党・馬英九(ばえいきゅう)政権を批判して初当選。台湾初の女性総統となった。

 民進党を独立を目指す勢力とみなして批判する中国に対し、蔡氏は中台関係の現状維持を訴えるとともに、対話を呼びかけた。だが台湾が中国に属するとする「一つの中国」原則を掲げる中国との隔たりは大きく、緊張緩和に向けた対話が実現することはなかった。

 蔡氏は18日に公開された英BBC放送とのインタビューで、中台の間で維持すべき「現状」について「自分たちのことを自ら決められるということだ」と説明。台湾は他国による外交的な承認を除いて、憲法や軍隊など国家として必要な要素を備えていると強調している。

 武力統一を否定しない中国を前に、蔡政権は防衛費の増額を続けて潜水艦など軍備の自主開発を進める一方で、安全保障上の後ろ盾となる米国との結びつきを固めた。22年8月には米国のペロシ下院議長(当時)が現職としては25年ぶりに台湾を訪問。反発した中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を展開するなど、緊張が高まった。

 蔡氏は「民主主義、自由の灯台」として台湾の役割を世界にアピールする一方、強硬な台湾政策を取る中国に対して極端な言動は取らず、相手に攻撃の口実を与えるようなことは避け続けた。民進党幹部は「過去に両岸(中台)政策を担当した経験などから、粘り強い交渉の重要性を熟知していた」と話す。

 また蔡氏の任期中、中国と関連した地政学的な位置のみならず、半導体分野など経済面でも台湾は存在感を高め、日米だけでなく欧州からも議会や研究機関による訪台が相次いだ。蔡氏は23年10月の演説で「台湾は既に世界の台湾となった」と自信をみせた。

 蔡政権は内政分野でアジア初の同性婚合法化や先住民の権利保護などさまざまな改革を進めたが、時に強い逆風にも見舞われた。1期目には懸案の年金制度改革に着手し、公務員など既得権益層からの反発が噴出。民進党は18年の統一地方選で惨敗を喫した。

 だが、19年に香港で起きた政府への抗議デモを中国が抑圧したことで情勢は一変。20年総統選では中国が受け入れを迫る1国2制度を拒否し、「台湾を守れ」と訴えた蔡氏への共感が再選をもたらした。

 蔡氏の退任を前に台湾のテレビ局が行った世論調査では、蔡氏に「満足」と答えたのが42%、「不満」は46%だった。食料や住宅の価格が高騰する中で賃金が伸び悩むことなどへの批判は根強い。ただ前任の馬氏に対する同時期の調査では「満足」が23%、その前の陳氏は「満足」が13%だったのに比べると、良好な結果で、蔡氏への評価が民進党として3期目となる頼政権誕生を後押ししたともいえる。【台北・林哲平】

https://news.yahoo.co.jp/articles/e2d8c50ff8589db769eee890bd209146a2f22281


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴動続くニューカレドニア 銃撃で3人死傷

2024-05-20 | 先住民族関連

ABEMATIMES 5/19(日) 8:48

 暴動が続き、全土に非常事態宣言が出ている南太平洋のフランス領、ニューカレドニアで銃撃事件があり、フランス系住民と先住民あわせて3人が死傷しました。

【映像】暴動続くニューカレドニアの様子

 AFP通信によりますと、ニューカレドニア北部のカアラゴメヌで18日午後、暴徒らが設置したバリケード付近をフランス系住民の親子2人が通過したところ、銃撃がありました。父親が死亡、息子が負傷し、先住民のカナク人1人もけがをしています。

 ニューカレドニアでは、フランス系住民の地方参政権拡大案をめぐり、独立派の先住民カナク人の若者を中心とした抗議活動が13日から始まり、暴動に発展しています。今回の銃撃事件を含め、これまでに6人が死亡しています。(ANNニュース)

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b12e17cc28eb4e2e18a9dfc55c6b197037440d5


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする