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「スタンレー・パーク」先住民と共に森を守る 「イエローナイフのオーロラ」漆黒の夜に輝く神秘の光〈PR〉 カナダ もう一つの物語

2024-01-27 | 先住民族関連

文藝春秋2024/01/26

バンクーバー「蘇る森の物語」

 バンクーバー市民のサステナブルな暮らしは先住民の時代から脈々とこの地に受け継がれてきた。自然を愛する共生の精神が今も森に息づく。

4km²もの巨大な都市公園スタンレー・パークには原生林を含む広大な森があり、2100種もの動植物が暮らす。公園では先住民の知恵を活かした取り組みが始まり、このウォーキングツアー、Talaysay Toursもそのひとつ。先住民が森と共生してきた物語を伝える

誰かが守らなければ美しい森は存在しない

 眩いガラスの摩天楼に、真っ青な空が映り白い雲が流れる。太平洋に開かれ、そびえる山々や深い緑に囲まれたバンクーバーの街には、自然豊かな都会のライフスタイルを求めて世界中から人々が集まる。

 ここでとりわけ愛されているのがスタンレー・パークだ。世界最大級の温帯雨林地帯であるブリティッシュ・コロンビア州で、公園には州内最古の原生林も残り、ベイスギや苔むしたカエデなど名木がいくつも存在する。50メートルを超えるモミの巨木群は1886年の大火から見事に蘇ったものだ。

 しかし、近年は度重なる暴風雨の被害で多くの巨木が失われつつある。樹齢800年の巨大な「ホローツリー」は激しい天候により木の幹が割れ、空洞化した内部が露わになった。写真映えのする人気スポットだが、2006年の暴風雨でさらに大きく傷ついた。やむなく撤去が計画されると、市民は寄付を集めて木を安定させ、なんとか伐採を免れた。ほかにも、海岸沿いには公園をぐるっと囲むように遊歩道を設け、防波堤がわりに木々を守っている。

 森にはかつて先住民の集落があった。生活に必要な住居やカヌー、狩猟道具、食器に衣服、一族の物語を伝えるトーテムポールなど森がすべてを与えてくれた。毎年、川に遡上するサーモンを食べ、その恵みに感謝して暮らしてきた。しかし19世紀にイギリス統治下で軍用地となり、その後カナダ連邦になると市営の公園になった。今日、森は公園管理局や市民ボランティアによって手厚く保全されているが、気候変動や海面上昇、外来種など様々な問題を抱える。そこで先住民に公園の管理運営に加わってもらい、太古から森と生きてきた知恵を生かして、ともに森を守る取り組みが始まった。

 この地に息づく共生の精神は昔も今も変わらない。森はいくたびも蘇り、未来へと受け継がれている。

文=半藤将代
写真=Destination Vancouver/ Kindred & Scout, Destination BC/ Alex Strohl/ Albert Normandin
協力=カナダ観光局

イエローナイフ「夏のオーロラ」

 極北カナダでは夏でも世界最高レベルのオーロラが見られる。オーロラが発生しやすい地域にあり、晴天率も高く、好条件が備わっている。太古から続く漆黒の夜に神秘の光が輝く。

北緯62度にあるイエローナイフでは、3泊すれば95%以上の確率でオーロラが鑑賞できる。夏オーロラの特長は、天空に現れるオーロラが湖面に映る「ダブルオーロラ」。神秘的な光はグリーンだけでなく、紫やピンク、赤を纏うことも。9月には木々の葉が黄色く染まり、一層幻想的に

光や音のない極北が得がたい輝きを育む

 エメラルドグリーンの幻想的な光が、ゆらめきながら夜空一面に広がった。ローマ神話の女神の名に由来する「オーロラ」は、この世のものとは思えぬ輝きで見る者の心を虜にする。光は弧を描き、波打つカーテンの如く踊る。驚くほど素早く大胆に変化し、オーロラが爆発して全天に光が降り注ぐこともある。

 カナダの極北地方ノースウエスト準州のイエローナイフは、壮大なオーロラが見られる理想的な鑑賞地。冬だけでなく8月から9月も鑑賞に適したシーズンなのが特徴だ。大自然に囲まれたロッジに滞在して、夜はゆったりオーロラを味わう。昼間はハイキングや釣り、カヌーなどで思い切り遊ぶこともできる。極北の自然に魅せられ移住したガイドとの出会いや、先住民の長老と過ごす瞑想の時が心を解き放つ。生命に満ちた森の匂いを胸いっぱいに吸い込めば、自然との調和に癒やされる。

 19世紀の終わりに先住民の暮らす地に金鉱が見つかり、ヨーロッパ系の入植者がやってきてイエローナイフの街が生まれた。今も準州の人口約4万5000人のうち半数を先住民が占め、公用語は実に11にものぼる。人々は多様な民族、文化に敬意を払いながら助け合い、厳しい極北の自然を生き抜いてきた。先住民の知恵に学び、行き過ぎた開発を退けてきたからこそ、余分な光や音がない夜が現在も保たれている。

 かつてゴールドラッシュが起きたこの地で、1991年にダイヤモンド鉱床が発見された。雪と氷の大地で育まれ、独特の透明感と瑞々しさを湛えた輝きが特長。鉱山の建材は自然に還る素材を使い、将来ダイヤを掘り尽くしたら土砂で再び埋めて元の姿に戻すことが決まっている。

先住民が経営するフロンティア・ロッジでは瞑想などウェルネス・プログラムや釣りも楽しめる

 都会の日常は、もともと存在しなかった光や音に溢れている。しかしイエローナイフでは、漆黒の夜の静寂が反対に何もない贅沢を感じさせる。太古から先住民が見てきたオーロラを今も堪能できるのは、人々が自然とともに生きてきたからなのだ。

文=半藤将代
写真=田中雅美、Corey Myers/Frontier Lodge, Northwest Territories Tourism
協力=カナダ観光局、ノースウエスト準州観光局

source : 文藝春秋 2022年7月号・8月号

genre : ライフ

https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7276


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実写『ゴールデンカムイ』アイヌ料理どう再現 キャストもハマった食事シーンの裏側

2024-01-27 | アイヌ民族関連

シネマトゥデイ1/27(土) 7:32配信

『ゴールデンカムイ』のもうひとつの主役、料理にもこだわりが - (C)野田サトル/集英社 (C)2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

 野田サトルの人気漫画を山崎賢人(※崎は正式には「たつさき」)主演で実写化した映画『ゴールデンカムイ』。日露戦争の英雄・杉元佐一(山崎)とアイヌの少女・アシリパ(※リは小文字・山田杏奈)が莫大なアイヌの埋蔵金をめぐって壮大な冒険を繰り広げる物語は、野生味あふれる料理も魅力のひとつ。原作ファンからも愛されるメニューの数々は、実写版でいかにして再現されたのか。フードコーディネーターのはらゆうこが裏側を語った。(以下、映画の内容に触れています)

実写版『ゴールデンカムイ』場面写真(18点)

 明治時代末期の北海道を舞台に、歴戦の勇士や脱獄囚が入り乱れる、金塊争奪戦を描いた本作。アイヌ文化や北海道の歴史・伝統を巧みに取り入れた独自の世界観を支える大きな要素の一つが、登場人物たちが口にする料理だ。

 狩猟で得た自然の恵みを、アイヌの伝統的な手法で調理する。フードコーディネーターとして、数々の映画やドラマの食事を彩ってきたはらにとっても、その過程の多くが初めての経験。「リアルな家庭料理であったり、SF作品などで現実にない未来の食事を用意してほしいといった依頼をいただくことはありますが、“現実に存在はしているけれど、現代のものではない”料理を再現するのは、かなり難しかったです」と振り返る。

 「お話をいただいた時点では、私もアイヌ料理について詳しい知識があるわけではなかったので、アイヌ民族料理研究家の三神直美さんに監修をいただき、たくさんの事を教えていただきました。食材についても、私の方で入手が難しい薬草などは三神さんが手作りで乾燥させたものを用意してくれたり、本当に助けていただきました」

アイヌ料理を魅せる工夫

 映画には、エゾリスやカワウソを調理したチタタプ(「プ」は小文字が正式名称・細かく刻んで食べる調理法)やオハウ(汁物)が登場するが、食材の選定から一苦労。はらは「リスやカワウソといった食材については、狩猟をしている知人や北海道でジビエを販売されている方などにあたったのですが、難しいと。法律などの関係もあってなかなか本物を用意するわけにもいかないので、早い段階で代用の食材を用意することが決まっていました」と明かす。

 「野生のジビエのお肉というのは、一般的にイメージされているよりも、もっと赤黒く見えるんです。そこでベースとして、主に鹿肉を混ぜています。あとは俳優の皆さんが食べやすい白っぽいお肉……クセのない鶏肉などを混ぜてミンチにしたりして、工夫を重ねました」

 チタタプの場面では、アシリパの大叔父を演じ、本作のアイヌ語・文化監修も務めた秋辺デボが、刃の角度や食材をたたく速度などを細やかに指導。その手法にもこだわるなか、はらが最も気を使ったのが料理の見た目だった。

 「助監督の皆さんと原作を確認しながら、どのくらい見た目に相違がないか、いったん私の方でなるべく原作に近い形で再現するようにしていましたが、原作だと料理の色まではわからないんです。みんなで一緒に、実際のリスの肉の感じなどを確認しながら、それに合わせて手に入る食材で試作を重ねました」

チタタプ(「プ」は小文字)にもこだわり(C)野田サトル/集英社 (C)2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

 そして、もうひとつの懸念が「美味しく食べられるのか」という点。「どうしてもジビエが苦手という方はいらっしゃいますし、特に今回は、アイヌ料理の伝統にそった調理法で、味付けはなるべく塩だけという基本を外さずにいたので、ダイレクトに野生味がする。原作では登場人物がみんな美味しそうに料理を食べている姿が印象的でしたし、久保(茂昭)監督や松橋(真三)プロデューサーからも、食事のシーンを大事にしたいというお話をいただいていたので、美味しく食べていただけるか、心配していた点でした」と明かす。

 そんなはらにとって、キャスト・スタッフのアイヌ文化へのリスペクトは大きな助けになった。「皆さんがアイヌ料理にすごく関心をもってくれていて。三神先生から、薬草の匂いが苦手な方がいたら三つ葉を使ってもいいのではとアドバイスをいただいて用意もしていたのですが、皆さん本当に美味しいと言いながら、食べてもらえました。特にアシリパ役の山田さんには、この作品をきっかけにジビエに目覚めたと言っていただけたので安心しましたね」

 ちなみに劇中では、杉元が原作で口にする“カワウソの頭”も登場するが、はらは「さすがに本物ではないです」と苦笑。「野生の食材って、衛生面で色んなことに気をつけなくてはいけない部分もあるので、実際に俳優さんが口にするのは難しい。そこは造形部の皆さんが制作してくださったものを使っています」

フードコーディネーターとして

 人間の生活の大切な一部であり、映画のリアリティーを演出するうえでも大切な「食」の存在。はらは「いつも心がけているのは、作品を観た方に、私たちが作っていると思わせてはいけないということ。本当に登場人物が作った料理なんだと思っていただけるようにすることです。演出として違和感がなく、登場人物になじんでくれていると、よかったなと思うしやりがいを感じます」と語る。

 「そのためには、そのキャラクターがどんな環境で暮らしていて、料理経験はどのくらいあるのか。そうしたことを把握する必要がある。それによって用意する料理もぜんぜん変わってくるので、どの作品でもそこについては監督とすり合わせをしていただいています」

 そんなはらにとって『ゴールデンカムイ』の撮影は刺激的な経験になったようだ。「原作を真似するだけではなく、登場人物がリアルに存在していて、どういう生活をしているのか。演出的なことも含めて久保監督やスタッフの皆さんも一緒に考えている。監督や役者さんだけではなく、衣装さんや造形部さん、助監督さん、メイクさん、美術さん、監修の方も含めて、全員からすごい熱気を感じました。そんななかでついていけるか不安もあったのですが、皆さんがとにかくいろんなアイデアを出してくださって、食事シーンの撮影では、久保監督も『納得するまでやろう』とこだわっていた。私にとっても、考え方を変えられるような、思い入れの強い作品になりました」

ファンの力が助けに

本作の撮影でジビエに目覚めたというアシリパ役の山田杏奈(C)野田サトル/集英社 (C)2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

 ちなみに、オファーを受けて初めて原作を読み込んだというはら。そして実感したのが、『ゴールデンカムイ』を心から愛するファンの存在だった。「本当に面白い漫画で、私もどんどん好きになっていったのですが、同時に、たくさんのファンがいることも実感しました。料理についても、大好きな方がたくさんいらっしゃるので、美味しそうに表現できるのか心配で、今までのお仕事で一番プレッシャーを感じたと言っても過言ではないかもしれません」

 だが、そんな重圧を助けてくれたのもまた、ファンの存在。「食材の切り方がわからなかったり、原作では見づらい部分をどう再現するか悩んでいる時に、ファンの方々が再現された料理をネットで見て参考にしたこともあって、結果的にファンの皆さんに助けていただいた部分もあるので、楽しんでもらえたら嬉しいです」と語った。

 ちなみに、はらが少しだけ心残りのシーンが、杉元が「ニシンそば」をすする場面。「ニシンそばは私が作ったものなのですが、かなり寒い時期のお話なのでけっこう湯気がたってないといけない。けれど、ロケセットで撮影しているとそうもいかなくて。湯気が出ているように工夫をしたんですけど、映画だと(編集の都合もあり)杉元が食べちゃってるシーンからはじまるんですよね。原作に近い出来だったと自負していたので、そこは少し残念だったかもしれないですね(笑)」(編集部・入倉功一https://news.yahoo.co.jp/articles/f4f0bd01d408014fad1581dbe5575ebc31fd9836


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警視庁「寝耳に水」 連続企業爆破事件の桐島聡容疑者の確保劇 発生から半世紀の急展開

2024-01-27 | アイヌ民族関連

産経新聞1/26(金) 20:21配信

桐島聡容疑者(警察庁のホームページから)

連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄が26日、警視庁に確保された。昭和49~50年に起きた「戦後最悪の爆弾テロ」と呼ばれる事件は発生から今年8月で50年。過激派「東アジア反日武装戦線」の犯行グループの大半はすでに逮捕されたが、逃走を続けた容疑者は何を思い、どう身を隠し続けたのか。警視庁公安部は全容解明を急ぐ。

【写真】三菱重工ビルで起きた爆弾テロでは乗用車はつぶれ、路上一面にガラスが散乱した=昭和49年8月30日

「寝耳に水だ」。ある警視庁幹部は、神奈川県鎌倉市に入院中の男が桐島聡容疑者だと名乗ったとの一報を受けた衝撃をこう振り返った。

東アジア反日武装戦線など過激派のメンバーらは、警察当局に反感を抱き、徹底抗戦の構えで取り調べに応じないことが多い。しかし、捜査関係者らによると、情報提供を受けて病院に到着した捜査員に対し、末期がんで余命数カ月とされる男は「桐島聡」と名乗った。

指名手配に関する情報は、各地の警察に日々寄せられており、その度に警察は確認を進めるが、過激派の指名手配犯が自ら容疑者を名乗るのは異例。「驚いたなんてもんじゃない」。幹部はこうも語る。

桐島容疑者は、公安部が連続企業爆破事件で東アジア反日武装戦線の10人を特定した後、一貫して逃走を続けていた唯一のメンバーで、警察庁重要指名手配犯のうち、最も逃走期間が長い容疑者だった。

警察庁などによると、東アジア反日武装戦線は昭和40年代以降、組織に縛られることを嫌い、少人数でグループを作っていくことで生まれたグループの一つとされる。

日本では、一般労働者は革命のエネルギーを失い、「アイヌ、在日朝鮮人、日雇労働者等の少数の差別を受けている人だけが、革命の主体になりうる」という「窮民革命論」の影響の下、日雇い労働者の敵として、大企業やゼネコンを狙ったとみられている。

また、グループは49年8月14日、昭和天皇の御召(おめし)列車を橋の上で爆破する「虹作戦」を行うため、鉄橋に導火線を設置するなど準備。計画は中止されたが、用意した爆弾は同月30日の三菱重工業ビル爆破事件に使われたという。

一連の爆破事件で関与したメンバー10人のうち、公安部は50年5月に8人を逮捕。桐島容疑者と男が指名手配されたが、男は57年に逮捕された。メンバー3人が海外でのテロ事件に絡む日本政府の「超法規的措置」で国外に逃亡。1人は逮捕されたものの、2人は今も逃走している。

公安部は、男の身柄が桐島容疑者だと特定され次第、49年間の逃走の過程を調べる方針。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d354ae99c4f7b4e808f98d94e5bcdeec819a626c


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【解説】桐島容疑者所属の「東アジア反日武装戦線」とは?爆弾製造指南「腹腹時計」出版…50年前の警察白書を紐解く

2024-01-27 | アイヌ民族関連

FNNプライムオンライン1/26(金) 18:52配信

1974年から1975年におきた連続企業爆破事件の重要指名手配犯、桐島聡容疑者を名乗る男を警視庁が確保した。捜査関係者によると、桐島容疑者を名乗る男は末期がんを煩い、神奈川県内の病院で偽名を使って入院していたという。

【画像】銀座のビルも爆破…連続企業爆破事件

桐島容疑者が所属していたのは、「東アジア反日武装戦線」。三菱重工ビルを爆破して8人を殺害するなど、企業を標的にテロ行為を繰り返したグループだ。

 

ただ、犯行が行われたのは今から約50年前。当時を知らない人も多いだろう。「東アジア反日武装戦線」とは何だったのか、何をしようとしていたのか。その一端を知るために、1976年の警察白書を紐解いてみると、現代では考えられない過激なテロと、当時の社会情勢が見えてくる。

年間22件の爆弾事件

1976年(昭和51年)の警察白書の第7章「公安の維持」は、「極左暴力集団の動向」など前年の1975年に起きた極左暴力集団の事件がまとめられている。驚くのは爆弾事件の発生件数で、何と年間22件。前年より7件増加していて、そのうち19件(爆弾の数は22個)が爆発して6人が死亡、20人が重軽傷を負ったという。

また爆弾が「精巧かつ高性能化している」と指摘している。1969年頃に使用された爆弾は点火式の爆弾だったが、「トラベル・ウォッチやタイム・スイッチを利用した時限装置付きのものであった」という。さらに、「爆弾そのものの威力を高めるため、容器を二重構造にしたもの、セメント等で補強したものなどもみられた」という。

実は、こうした爆弾の高性能化で重要な役割を担ったのが、桐島容疑者が所属している「東アジア反日武装戦線」なのだ。

爆弾指南書「腹腹時計」を地下出版

1976年の白書にはこう記してある。

「こうした爆弾の製造については、その構造等からみて『腹腹(はらはら)時計』、『薔薇(ばら)の詩(うた)』等のいわゆる爆弾教本を参考にしていることがうかがえる」

ここに登場する「腹腹時計」という奇妙な名前の本。正式名称は「都市ゲリラ兵士読本VOL.1腹腹時計」だが、これこそが、東アジア反日武装戦線の「狼」グループが地下出版した有名な爆弾製造の教本なのだ。

東アジア反日武装戦線の「狼」は、1974年8月30日に三菱重工ビルを爆破したグループだ。白昼、東京・丸の内にある三菱重工本社ビルの正面玄関前に2個の時限式ペール缶爆弾を仕掛けて爆発させ、通行人など8人を殺害し、380人に重軽傷を負わせた重大な事件だ。

この爆破事件を皮切りに、東アジア反日武装戦線は連続爆破テロに突き進んでいく。

グループの摘発と桐島容疑者の指名手配

1976年の警察白書に戻る。

「(昭和)50年に入っても間組の本社及び大宮工場、韓国産業経済研究所、オリエンタルメタルKK、間組作業所、江戸川橋梁間組工事現場と続発した。このため警察では総力を挙げてその早期解決に努めたが、特に警視庁では、『東アジア反日武装戦線』名の犯行声明を分析した結果、同戦線名で49年3月地下出版された爆弾教本『腹腹時計』の出版グループとつながることに着目し、同グループの解明に全力を挙げた」。

当初「腹腹時計」と東アジア反日武装戦線との関係はわかっていなかったが、警視庁の捜査により関連性が突き止められ、それが一斉摘発へと繋がっていったという。白書はこう繋がる。

「昭和50年5月19月、『東アジア反日武装戦線』の“狼”、“大地の牙”、“さそり”のメンバーであった8人を逮捕、その後2人を指名手配した。これにより一連の企業爆破事件のほか、46年以降未解決であった4件の爆破事件も同メンバーらの犯行であったことが判明し、合計15件の爆破事件が解決した」。

「2人を指名手配した」との記載があるが、そのうちの1人こそ、今回50年ぶりに身柄を確保された桐島容疑者だった。

なぜ彼らは企業を爆破し人を殺したのか

東アジア反日武装戦線のメンバーとはどういう人間だったのか。白書はこう記している。

「犯人はいずれも会社員、喫茶店店員等の職業に就き、近隣との付き合いも普通に行うなど表面上は平凡な市民を装いながら、一方で、床下に、押入れから通ずる秘密の地下室を作って爆弾を製造するなど周到に計画を遂行していた」。

彼らは、一般市民としてひっそりと暮らしながら、テロの準備を進めていたという。

そして1976年の白書には、彼らの動機に繋がる分析も記載されている。以下引用する。

「これらの犯人グループが企業爆破事件を企図した根底には、「我が国ではすでに一般の労働者は革命へのエネルギーを失い、アイヌ、在日朝鮮人、日雇労働者等の少数の差別を受けている人だけが、革命の主体になりうる。」という『窮民革命論』の強い影響があった。犯人らは、こうした立場から、日雇労働者の最大の敵は大手建設業者であること、東南アジアでも我が国の国外進出企業の搾取によって『窮民化』が進んでいること、したがって、これらの建設企業、進出企業を攻撃することが『窮民革命』の実践であるとして、爆弾闘争に踏み切ったとみられる」

東アジア反日武装戦線は「革命」の実践のために爆弾闘争に踏み切ったという。

50年間の逃亡生活で、「革命」とはほど遠い現代日本でひっそりと暮らしてきたであろう桐島容疑者。まだ本人と確定したわけではないが、50年間何をしていたのか、一連の事件の被害者に対して謝罪の気持ちはあるのか、爆弾闘争に踏み切ったことが正しかったと今でも思っているのか…聞きたい事は沢山ある。

末期がんに冒されているという情報もあるが、桐島容疑者が何を語るのか、注目される。

渡邊康弘

https://news.yahoo.co.jp/articles/9fa1783811504b6eb229874ad329caea6a074290


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