東洋経済2022/10/28 4:30高橋 正成 : ジャーナリスト
2022年10月19日、アメリカ海軍のマイケル・ギルデイ作戦部長はシンクタンクでの講演で、中国の台湾侵攻が予想されたものよりも早期に起こる可能性があると語った。これを受け、台湾の陳明通・国家安全局長は立法院(国会に相当)の外交・国防委員会で、2023年に起こるとされるものは戦争を利用して交渉を迫るような形ではないかとの考えを示した。
例えばさまざまな封鎖を行い、交渉の場に引きずり出すというものである。しかし、台湾自身としてはさまざまな状況に対応できる準備を進めているとし、人々が知るべき情報は必ず隠さず伝えると述べた。
ロシアによるウクライナ侵攻からもわかるとおり、1国の防衛力は、究極的には人々の団結力と覚悟によるところが大きい。しかし突然、自国民に国土防衛の必要性を訴えても、それが浸透するにはある程度の時間が必要だ。
中華民国建国111年を祝う国慶節
つねに中国からの圧力にさらされているとはいえ、とくに民主化以降、台湾社会における軍事的な緊張感は着実に薄れている。それは台湾の人々が自由や平和を享受していることの裏返しでもあるが、日を追うごとに高まる中国の軍事圧力に対し、厭戦やあきらめのムードが生まれつつあることと無関係ではない。
そのような中、2022年10月10日に台湾では中華民国の建国記念日に当たる双十国慶節の式典が開催された。建国から111年目にあたる今年は、社会の多様性や人々の団結をアピールする演出が多かった過去数年と比べ、国土防衛の覚悟と台湾が日米と同じ民主主義陣営にいることを内外に示す内容になった。
「中国と台湾海峡の平和と安定を模索する用意がある」と語った蔡英文総統の演説に多くが注目していたが、式典の準備委員会委員長を務めた游錫堃・立法院長(日本の国会議長に相当)の演説にこそ、現実の台湾が見えてくると考える。
游氏は演説で何を語ったのか。まず、游氏はどのような政治家なのか、そこから知る必要があるだろう。
游氏は1948年、貧しい農家の長男として生まれた。災害による不作と一家の大黒柱である父親の死去で、家計を助けるために仕事を手伝い、入学したばかりの中学校に通えない時期が5年も続いたという。その後、働きながら夜間学校などに通い、まだ戒厳令下の、民主化されていない台湾政界に身を投じるようになる。
民主進歩党(民進党)の結党メンバーで、謝長廷・駐日代表や蘇貞昌・行政院長(首相)と並び、同党の「四天王」と呼ばれている。しかし両氏が弁護士出身であるのに対し、游氏は農家からサラリーマンに転じた人物。派手さには欠けるが、一歩一歩堅実なイメージから、いつの頃からか「水牛伯」という別名が社会で浸透するようになる。
水牛に例えられるほど温厚そうなイメージとは違い、国際政治における游氏は、時に台湾独立の先鋒のような存在に映ることもあるのだ。
国土防衛は責務をアピール
游氏は民進党の古参議員ということもあり、民進党の本来の目指すべき方向性と自身の考え方が重複する部分が多い。すなわち、台湾独立(建国)に賛成の立場で、各国と国交を結ぶことを目指している。また、国会は一定の外交権を有すべきで、議員外交にも積極的だ。
実際に2022年7月17~29日、游氏と与野党議員らがリトアニア、チェコ、フランスの3カ国を訪問した。コロナ禍で、台湾とリトアニアやチェコの急接近が話題になったが、游氏が推進する議員外交がもたらした成果とも考えることができる。
2022年8月2日にアメリカのペロシ下院議長が訪台したときには、新型コロナウイルス感染症の陽性反応が出てしまい、ペロシ氏との対面接触はなかった。しかしオンラインで、ホストとして直接訪台を歓迎する様子がメディアなどで報じられた。議員外交でたびたび登場する游氏は、アメリカを始めとする西側諸国の議員間で存在感が高まっている。ちなみに、中国は游氏を台湾独立分子としてブラックリストに入れている。中国から見てもたいへんやっかいな存在だということの証だろう。
游氏は今回の式典での演説で「国土防衛は人々の責務」「民主の深化と成果を世界と共有」をテーマに掲げた。
まず、国慶節に合わせて訪台した、数少ない国交のあるパラオの大統領や各国の駐台機関の代表、それに日本から衆議院の古屋圭司議員など日華議員懇談会、海外在住者、国土防衛中の軍人、医療従事者、そして一般の人々に、先住民族の言葉、客家語、台湾語、北京語の4つの言葉であいさつした。
今では台湾にとって当たり前の風景であるが、中国との政治体制や社会環境の違いを明確にするうえで、北京語以外の言葉を列挙することは大きな意味を持つ。チベットやモンゴル、ウイグルなど、他の民族や文化を尊重しようとしない中国と違い、名実ともに多民族多文化社会を構築しているとアピールしているのだ。
次にエコノミスト・インテリジェンス・ユニットが公表している各国の民主化指数「Democracy Index 2021」と、フリーダム・ハウスの「Freedom in the world 2022」を引用し、台湾がアジアでも有数の自由度と民主化を達成したことを訴えた。また、3回の政権交代を通して、政治と経済が世界の人々から注目されるようになったとし、これは台湾人の努力の賜物だと称賛した。
ここでも、たんに経済力だけでなく台湾が自由で民主的な社会であることを強調し、中国との違いを鮮明にしている。
議員外交にも自信
また、2021年のテーマを「民主国家の大団結、世界と友好関係を構築」としたところ、8つの国交のない国々と欧州議会から、計246人の国会議員が訪台した。友好の輪が広がっただけでなく、日米などの同志国が国際機関での台湾参加の必要性を明言するなど、たんなる友人関係から深化したことを指摘した。そして2022年のテーマである「国土防衛は人々の責務」から自ら戦争を仕掛けることはないが、自衛力を高めて戦争に備えることを強調したのだった。
最後に、若い人たちは国の未来であること。つねに中国の侵略危機にさらされている中、思いを一つにすることこそ最大の防衛力であり、国土を守るのは台湾に生きる人々全員の責任であると述べている。
中国を念頭に、老若男女問わず団結を呼びかける内容だ。游氏が民主化のために奔走した頃を彷彿とするような、人々をやさしく鼓舞するような言葉が並んだのだった。
双十国慶節の起源は、清朝を倒した1911年の辛亥革命での武昌起義であり、建国よりも革命を祝う比較的軍事色の強い記念日と言える。しかし民主化以降は、中台接近の影響もあって、かつてのような軍事パレードを前面に出すものではなく、台湾社会の安定性や多様性をアピールするものに変容していた。
しかし、昨今の強大な軍事力と強引な外交手法を繰り出す中国に、台湾もいよいよ本格的に国土防衛のために動き出す――。そんな明確な意思が、式典運営責任者の游氏の演説から見えてくる。
2022年10月19日付けの「日本経済新聞」は、関係者3人の話としてアメリカのバイデン大統領が台湾への武器提供を前倒しするため、米台共同で武器を生産する案を検討していると報じた。仮にこれが実現すれば、いよいよ游氏がいう国土防衛の覚悟と台湾が日米などの民主主義陣営にいることを、内外に示す好機となる。
ちなみに、游氏は演説で、安倍晋三元首相が語った「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」も引用している。わざわざ日華懇議員へ出席の感謝を述べただけではない。安倍元首相の言葉すら引用する游氏に、台湾から日本に向けたメッセージをしっかり考えたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/628671