Yahoo!ニュース10/14(金) 16:22
古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

辺野古新基地建設に反対するプラカード(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
元2ちゃんねる管理人の西村博之氏(以下ひろゆき氏)の発言が物議をかもしているのは既知の通りである。詳報『ひろゆき氏に「汚い字」と言われた掲示板 作った住民、母を殺された過去「腹を割って話してみたい」』、『ひろゆきさん「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 配信動画の発言、また物議』。
これを受けて「ひろゆき氏はネトウヨ(以下ネット右翼)なのではないか」などの批判が殺到した。まずひろゆき氏はネット右翼ではない。私によるネット右翼の定義は「いわゆる保守系言論人の言説を鵜呑みにし、それをネット上で拡散する彼らのファン層」としている(詳細は、拙著『ネット右翼の終わり』晶文社,を参照のこと)。
この定義に従えばひろゆき氏は彼自身が著名人であり発信者であるので、ネット右翼とは異なっている。しいて言えばネット右翼の「扇動者」というべき存在である(これを”冷笑系”という向きもあるが、詳しくなるので別稿に譲る)。ちなみに一般的に認知されているネット右翼は「ネット上で差別的、歴史修正的な言説を表明する人」などとされるが、ネット右翼が誕生したとされる2002年(日韓W杯を嚆矢とする)から20年を経た現在、彼らは必ずしもネット空間においてのみ存在するのではなく、リアルのイベントや集会等に参加することもふつうになっているので、ネットだけを主戦場にしているわけではない。
今回のひろゆき氏の言動は、揶揄・茶化しであり本当に悪意の前提があったのかは置いておくとしても、彼の発言に好意的な評価を取る人のほとんどはやはりネット右翼と呼ばれる属性の人が多いように観察される。知識が無いのに社会問題に何か物申したい!―という”おっさん”は社会の中に普遍的に存在するから特段奇異なものではない。問題の本質は、「沖縄に対して揶揄したり茶化したりするのはOK」という風潮である。ひろゆき氏に悪意があろうとなかろうと、結果的に彼の発言は沖縄の反基地活動派の揶揄・茶化しと捉えられている。
もしこれが「安倍元総理国葬義への揶揄・茶化し」のニュアンスを含むと解釈されるものだったとしたらどうか。恐らく総スカンを食らうだろう。なにかの番組をやっていたなら降板に繋がりかねない。ところが沖縄の反基地派に対してだとこういった総スカンは起こりづらく、起こったとしても「現在のレギュラー出演番組や都度出演番組の人事」に影響はしない、という判断があったのかもしれない。だとしたらその背景とは何かを探る必要がある。「沖縄への揶揄はOK」「沖縄についてはいくら茶化してもOK」はどこから・いつからうまれたのだろうか。
・「南方シフト」するヘイトの指向性…北海道から沖縄へ
2002年の日韓ワールドカップ共催大会を嚆矢として生まれたネット右翼は、前提的に強烈な「嫌韓」を世界観とした。同大会で韓国チームのラフプレーが行われたのに、それを日本のメディアは一切報じない―ということを問題視した。なぜ韓国チームの「不公正な」プレーを報道しないのか。それは大手広告代理店の経営者が韓国にルーツを持つからである、という「事実とは異なった」理由でメディア全体を呪詛した。
この世界観から誕生したのが「在日特権」である。つまりそれは日本に存在する在日コリアンが、税制などを筆頭に様々な恩典を国家から受けている、という「妄想」である。ところが「在日特権」はその後、10年を経てもまったく証明されなかった。いくら探しても「在日特権」などは存在しなかったのである。
2002年から発生したネット右翼はこの「在日特権」という妄想を主張することによりいたずらに「嫌韓」路線をひた走った。内外政治情勢も重なった。韓国では2003年から進歩派の盧武鉉が2008年まで政権を担った。盧政権が対日政策をすべて硬化させたわけではないが、彼らには「日本軽視」と映った。
盧の後には保守派の李明博に交代したが、李は大統領在任中の2012年に島根県竹島に上陸したため日韓関係は悪化した。朴槿恵、文在寅、そして尹錫悦。韓国の現代政治は保守系と進歩系の間でシーソーのように揺れ動いている。対日関係を重視する政権もあれば、軽視しているのではないかと疑われる時期も存在する。日本のネット右翼が「嫌韓」路線を突き進んだとしても、韓国の政権にあっては彼らを「刺激」する言動が「都合の良い時期」に起こるとは限らない。
ネット右翼は「効率の悪い蒸気機関車」に似ている。常に石炭を投入しないと前進することができない。最大の燃料だった「在日特権」はそもそも存在しないので流石に10年を経ると劣化してくる。一方、すでに述べた通り韓国政権の対日姿勢にもムラがある。2010年代後半になると、このような「燃料」のみをもって「嫌韓」を推進していくには限界があった。
そこで発生してきたのが2010年代中葉にあった「アイヌ民族へのヘイト」である。曰く「アイヌ民族は北海道の先住民族ではない」「アイヌには特権がある」という主張である。「在日特権」が存在しないことが明白になったので、新しい攻撃の矛先を探さなければならないときにアイヌ民族がやり玉に挙がった。著名な漫画家などが日本近世史に対する無知を前提にこのけん引役を担った。いま考えればこういった漫画家は「まともな歴史教育を受けていなかったのですね。教養がないまま社会人になったんですね」の一言に尽きるが、ともあれアイヌ否定論者の前衛を担った。
しかしこの潮流はすぐに下火になった。そもそもアイヌ民族は「北海道の先住民族である」ことは自明であり、とりわけ北海道民約530万にあってそれは義務教育の中で繰り返し徹底されてきた。また道における調査によれば北海道内のアイヌ民族は2万人に満たない。対象が少なすぎることに加え、北海道における経済”利権”の頂点にあるのはアイヌ民族ではなく明らかに「官(官主導の開発などと呼ばれる)」であることから、実感がなかった。そこで彼らの指向性は南方にシフトした。その標的となったのが沖縄である。
・「龍柱」をきっかけとした「沖縄蔑視」の始まりは2010年代半ば
沖縄へのヘイトが苛烈になったのは間違いなく2015年である。切っ掛けは、翁長県政下で那覇市に建てられた龍柱である。龍柱とは読んで字のごとくドラゴンをモチーフにした沖縄伝統の彫像であるが、これを「中華皇帝に追従する意思を表すもの」としてネット右翼が徹底的な攻撃を加えるようになった。これを先導したのが前掲の「保守系言論人」である。
更には龍柱を巡って、「龍柱(ドラゴンの頭部)の方角が北京を向いている」とするデマが頒布された。つまり龍柱は翁長県政における「中国への追従・思慕」を象徴するものであるという具合である。結論から言って全部デマである。すでに述べた通り龍柱は沖縄伝統の彫像であり現在の中国とは関係がない。そもそも龍柱は在沖米軍基地敷地内にも作られている。この論法で言うと在沖米軍も中国に恭順している、と解釈できるがそんな馬鹿な話は無い。そもそもなぜ予算を付けてまで龍柱を「中国への追従・思慕」の象徴としなければならないのか。そんなに「中国への追従・思慕」を思うのなら、記者会見などで一言その旨を述べればいいのである。陰謀論は「沼」であり、あらゆる微細な事実に何かの遠大な意図があると解釈する。こんなものを本気にしていてもらちが明かない。
ともあれこの時期、つまり2010年代中葉から後半にはこのようなデマを下敷きとして沖縄を揶揄する書籍が多数刊行された。沖縄は潤沢な地方交付金・交付税を受け取っているのに、日本政府に対して「まだ足りない、もっとよこせ、などと主張している」―という間違った沖縄揶揄本が多数刊行された。
代表的なところでは『沖縄を本当に愛してくれるのなら県民にエサを与えないでください』(惠隆之介,渡邉哲也著,ビジネス社,2017年)、『新・沖縄ノート 沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著,WAC,2015年)などである。
面と向かって罵倒するまではいかないが、揶揄するのであれば沖縄が最適―。こういった風潮がおおむね2010年代中葉に確実に形成されている。冒頭のひろゆき氏が前掲の書籍などを読んでいるかどうかは知らないが、その言動の背景にはこうしたネット右翼やそれに付属する保守系言論人の「沖縄揶揄」が強力にある。彼らの沖縄揶揄が継続されてきたので、「沖縄であれば茶化してもOK」という空気が生まれたのだ。空気というのは恐ろしいものである。このように在日特権から始まったネット右翼の攻撃目標は、一瞬だけ北海道に行ったがやがて大きく南方にシフトして現在に至っている。
・ヘイトスピーチ解消法の盲点を突く―「沖縄なら馬鹿にしてもOK、訴訟リスクが少ないし!!」
ヘイトスピーチ団体にあらがう人々の横断幕―東京池袋(提供:Duits/アフロ)
しかしその「沖縄であれば茶化してもOK」という空気も一朝一夕に形成されたのではない。まずネット右翼の金科玉条であった「在日特権」の衰退理由であるが、いくら探してもそんなものは無かった―という理由以上に、とりわけ2010年代においてヘイトスピーチに対する厳罰化が事実上行われたことにある。ありもしない「在日特権」を主張する右派系民間団体は、次々と名誉棄損等で訴えられ、裁判所から多額の賠償金命令が確定した。個人のレベルでも名誉棄損で民事事件になり、ヘイトスピーチを行った側は社会的制裁を受ける例が続発したのである。
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」通称ヘイトスピーチ解消法は2016年6月に施行された。これは非常に大きいことである。しかし、ここでいうヘイトスピーチの定義は「特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動」と定義されている。
この特定の国とは中国・韓国等が念頭に置かれていると思われる。もちろんこの時点で沖縄は入っていない。これがヘイトスピーチ解消法の盲点である。まさか本法施行時点で、同じ日本国民であり47都道府県を構成する沖縄に対して、熾烈なヘイトが向けられると想定していなかったからである。
「沖縄であれば揶揄しても、茶化してもOK」という空気は、このヘイトスピーチ解消法の盲点を突いたものである。そしてこういった風潮を「意見の一部」として取り上げるメディアにも慢心がある。なぜなら「沖縄揶揄」は大きな側面で見ると、それは玉城デニー県政への批判とか、特定の市民団体への批判という、一見して「政治批評」風に解釈できない訳でもないから、「中立的な見解を相当に逸脱している」とまでは見做されない。辺野古新基地反対派に批判的な言動は、「意見のひとつ」として是認されてしまう。それに重ねて、玉城知事は公人であるから、「ある程度の批判は甘受すべきではないか」という風潮も当然出てくる。オール沖縄への批判も政治運動である以上、同様の扱いである。
実際は徹底的に沖縄を足蹴にし、沖縄の人々を揶揄し、茶化しているという「悪意」があるにもかかわらず、「それは意見の一種」だとして逃げる余地を残している。いやその余地を自覚しているからこそ、番組で取り上げるのである。沖縄は日本国土であり、沖縄県民は日本人であり、沖縄県知事は公選で選ばれた民主的決定に従っているので、批判する姿勢は妥当である―。だってこれは意見だから。という”安牌”が打てるのである。
つまりは「沖縄揶揄」はあらゆるメディアの中にあってリスクが少ない。在日コリアンであればこうはいかない。すぐに「人種差別・国籍差別」として個人を含め様々な団体から訴えられる。そして民事事件になった以上、訴えられた側―つまり被告は無傷ではない。ほぼ確実に裁判官の熟慮により被告敗訴、原告勝訴となるのである。その根拠はヘイトスピーチ規制法である。だが沖縄にはそれが無い。安心してぶっ叩くことができる―少しばかりの手加減を加えて―という具合である。
沖縄は日本なので、なまじ「差別」と訴えて訴因にすることが現在では馴染まない。こういった弱いところ、取り上げてもダメージが少ないところに、ネット右翼のヘイト指向性は向かっている。
「沖縄揶揄」がこのように膨れ上がったのは、間違いなくゼロ年代に発生した「在日特権」という飛び道具が彼らの中で使えなくなったからである。「在日特権」がほぼほぼ封じられた代わりに「沖縄揶揄」が出てきた。これは偶然などではない。
蒸気機関車に例えたネット右翼は、常に新しい”石炭”つまり燃料を供給しないといけない。つまり常に新しい攻撃目標を欲しているのである。それが沖縄である。
沖縄は間違いなく揶揄の標的になっている。訴訟のリスクが少ないからこうなったのである。逆にいえば逐一民事事件にすればよいのではないか。既になっている場合もあるが、いまからでも遅くないから各種さまざまの「揶揄」案件を民事事件にした方がいい。揶揄も立派な侮辱として解釈すること(訴因になりうる・そもそも侮辱は刑事事件になりうる)ができるからだ。番組関係者は原告被告の正義の優劣に関わらず「裁判沙汰」を最も嫌う。民事であっても現在進行形で揉めているという事自体が嫌なのである。
仮に沖縄県民約146万人を敵に回しても、本土の1億1000万人に動画が視聴されたり、本や雑誌が買われるのなら、別にどうということは無い―。商業的利益の観点からも沖縄は「捨てても良い」存在として映っている。とりわけ中堅・零細出版社はなりふり構わず凋落した売り上げの維持を目論んでいる。売り上げの為ならどんなに下品な事でも是認するのだ。つまり永遠のサンドバッグとして沖縄が機能してくれればそれでよい。私はこの現状を異常だと思うが、この現状を甘受していて本当にいいのだろうか。
無論、「在日特権」や「アイヌ否定」は影響力を相対的には失ったものの、根本的にはその路線は変わらないだろう。しかしこれからのネット右翼の新世代は既に古臭くなった「在日特権」などをそこまで口にはしまい。
「沖縄の人っておかしくない?米軍基地に反対する人って犯罪者なんでしょ?」
これが5年後、10年後にネット右翼以外の領域でもスタンダードになるのではないか。その時に、違う、違う…といくら言っても、彼らは鼻で笑うかもしれない。「沖縄の人は馬鹿なんだね、本当の真実を知らないんだね」と。(了)

古谷経衡
作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』(イースト・プレス)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20221014-00319527