ウォール・ストリートジャーナル2022 年 10 月 4 日 12:08 JST
By Stephen Kalin | Photographs By Adrienne Suprenant
かつてスターリンに追放されたイスラム系少数民族、多くが召集されウクライナの戦場へ
クリミア半島の先住民族クリミア・タタール人は、自分たちがロシアによる徴兵の標的にされていると話す
2014年からロシアに占領されているウクライナのクリミア半島で、先住民族のクリミア・タタール人は、自分たちがロシアによる徴兵の標的にされており、厳しい選択に直面していると話す。祖国を離れるか、ウクライナに住む同胞との戦闘に身を投じるかという選択だ。
ロシア政府の広範な軍事動員は、異例の全国規模での抗議活動や国境に向かう大規模な逃避を引き起こし、戦闘を望まない何十万人もの人々が国外に脱出している。8年前まではウクライナ国民だった人々をロシア政府が動員しようとしているクリミアほど、状況が切迫している場所はない。
先週強行された、仕組まれた「住民投票」によって、ロシアがさらにウクライナの4つの州に対する支配権を正式に主張したことで、こうした動きがさらに広がる可能性が大きい。ロシア軍は2014年にウクライナ東部ドネツク州とルガンスク州の一部を占領しており、ロシア政府は兵力不足を補うために既に両州の住民に大きく依存している。
ウクライナのクリミア・タタール人たちは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が先月開始した徴兵で狙い撃ちされたと話す。徴兵は、戦場でロシア軍の敗北が続いたのを受けて兵力増強のために始まった。
独立系人権団体「クリミアSOS」が現地コミュニティーの指導者らから集めたデータによると、クリミア半島から徴兵された徴集兵はクリミア・タタール人が半分以上を占め、その割合は恐らく最大90%に達している。タタール人は同半島の人口のわずか13%にすぎない。ウクライナの首都キーウ(キエフ)に拠点を置く同団体によると、ある地区では、28件の召集令状のうち27件が人口比で40%に満たないクリミア・タタール人に送られたという。
クリミア北部の町ジャンコイ出身で軍務経験のないタタール人の職人は先週、徴兵される恐れのある人物リストがオンライン上に漏れ、そこに自分の名前が掲載されていたため妻子とともに逃げ出した。キーウにいる彼のいとこによると、この職人は既にカザフスタンにたどり着き、今後ウズベキスタンに向かう計画だという。
いとこはこの職人に、「神とともに行くがいい。よくやった」というメッセージを送った。
2014年のロシアによるクリミア半島併合に強く反対を唱えて以降、クリミア・タタール人は厳しい弾圧にさらされてきた。タタール人グループのリーダーらによれば、タタール人の男性は現在、戦闘に加わるか、あるいは歴史的な父祖の地を恐らく永遠に放棄するかの選択を迫られている。クリミアにおいてタタール人の存在と固有のアイデンティティーは、ロシアを支配していた帝国により、しばしば脅かされてきた。
ソ連時代の元政治犯で、長年のクリミア・タタール人指導者である元ウクライナ国会議員、ムスタファ・ジェミレフ氏は、ロシア政府がタタール人を部分動員令の標的にすることで、若く身体の丈夫なタタール人男性を死に追いやるか、あるいは怯えさせて海外への脱出を促し、同国政府に反抗的な人間の数を減らすと同時に戦争の兵員を手当てすることを狙っていると指摘した。
4人のクリミア・タタール人兄弟は最近のある夜、各自の携帯電話からSIMカードを抜き取った後、暗闇に隠れてビロヒリスク(Bilohirsk)の町を抜け出し、カザフスタンを目指した。同じ夜、クリミア半島の反対側に位置するイェパトリア(Yevpatoriya)に住むいとこのうちの2人がバッグに荷物をまとめ、ジョージアを目指して出発した。彼らの親戚の1人が語った。
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は9月27日、クリミア・タタール人が動員されている率が不釣り合いなほどに高いことについて、クリミアの先住民族に対する「明白なジェノサイド(集団殺害)政策だ」とロシア政府を非難した。同氏はロシア国内の少数民族の動員率も不釣り合いなほど高いとし、こうした人々に対しロシアの支配者に抵抗するよう呼び掛けた。
結果が決まっているとして批判された「住民投票」によって、ロシアはウクライナ領土の約15%に当たる4州を併合した。WSJのシェルビー・ホリデー記者が、その経過と併合がウラジーミル・プーチン氏の戦争戦略に不可欠な理由について解説する(英語音声、英語字幕あり) Illustration: Elizabeth Smelov
ロシア国防省はコメント要請に応じなった。ロシア政府は部分動員に一部問題があることを認識しているとし、地元当局を非難する一方、問題に対処するよう努めていると述べた。
苦難の道を歩んできた25万~50万人を数えるエスニック・グループであるクリミア・タタール人にとって、プーチン氏の部分動員令は新たな困難を強いるものとなっている。クリミア・タタール人は1944年、スターリンからナチス・ドイツに協力したと非難され、故郷の地から強制追放された。彼らは1980年代に故郷に戻り始めたが、自分たちの住居は大半が他の者に占拠されていた。
ジェミレフ氏のリーダーシップの下、彼らはクリミア半島内で最も活動的で最も組織化された政治グループの1つになった。彼らは2014年にロシアがクリミアを併合した際に抗議したが、クリミア半島を奪取するロシア軍の攻勢を防ごうとする試みは、ほとんど効果がなかった。
それ以来、クリミアのタタール人らは、最も忠実なウクライナ支持者に加わった。彼らは、ロシア政府ではなく、ウクライナ政府による統治を望んでいる。クリミアの地元当局は彼らに対し、家宅捜索、でっち上げのテロ容疑による何十人もの訴追、指導者の国外追放などの弾圧を行った。
ジェミレフ氏は、2014年にロシアへの入国を禁止された。彼はインタビューの中で、現在進められているロシア軍への動員は、80年前のクリミアでの民族浄化を思い起こさせると述べている。
クリミア各地の公設市場や検問所、さらには学校・病院でも、タタール人らに召集令状が手渡されている。モスクでの金曜礼拝の際に令状を渡されたケースもある。クリミアSOSのアナリスト、エフゲニー・エロシェンコ氏によれば、緊急救助を求めた人々にさえ令状が渡されたという。
クリミア自治共和国の首都シンフェロポリの郊外にあるズヤ(Zuya)の集落では、クリミア・タタール人が人口の半分を占める。ズヤの親族と連絡を取っているイマーム(イスラム教宗教指導者)のムスタファ・フォジェニー氏によると、同地のロシア軍は公務員らに職場で召集令状を配付し、地元社会を恐怖に陥れた。何百人ものタタール人が、その後数時間のうちにカザフスタンとアゼルバイジャンに向けて脱出を図った。彼らの多くは、両親や祖父母が1944年に国外に追放された後、中央アジアにある両共和国で生まれた。
ゼレンスキー大統領の下でクリミア半島を統括するタミラ・タシェワ大統領代表は、ロシア軍がクリミア・タタール人の家に直接召集令状を届けたという目撃者の証言をウクライナ政府が得ていると語った。彼女自身も、クリミア系タタール人だ。
非営利の統括組織「レリジャス・アドミニストレーション・オブ・ムスリムズ・オブ・クリミア(クリミア・ムスリム宗務局)」の責任者でマフティ(イスラム法学者)のアイデル・ルステモフ(Ayder Rustemov)氏は、「これは21世紀版の国外追放だ」と語る。同氏は、両親がスターリン政権下でクリミアから追放された後、カザフスタンで生まれた。同氏は1998年にクリミアに移住したが、ロシアが2014年に同氏のライバルのマフティを任命した後は、クリミアに足を踏み入れていない。
PHOTO: ADRIENNE SURPRENANT / MYOP FOR THE WALL STREET JOURNAL
アイデル氏はかつて、クリミアのタタール人らへの説教の中で、命の危険にさらされない限りクリミアにとどまるよう促したことがある。しかし、2月にロシア軍がウクライナに侵攻して以来、彼は兵役年齢の男性らに対し、「占領者の側に付いて兄弟同士の戦争にかり出されること」を避けるため、クリミアを去ってウクライナ軍に参加するよう促し始めたという。
https://jp.wsj.com/articles/crimean-tatar-minority-is-in-crosshairs-of-putins-draft-11664852827