BBC2022年10月1日
ティファニー・ターンブル、BBCニュース(シドニー)

セドリック・ジェイコブスさんは1981年、オーストラリア先住民のための活動を認められ、エリザベス女王から勲章を授与された
オーストラリア先住民のナレルダ・ジェイコブスさんの生家にはかつて、父親のセドリックさんがエリザベス女王と面会している写真が誇らしげに飾られていた。
テレビ司会者のジェイコブスさんは、「子供の頃は、女王を尊敬していた。『女王だ! 女王からお父さんが勲章をもらっている!』と思っていた」と話した。
「女王は私にとって、いつも見上げる存在だった」
しかし大人になるにつれ、この写真の意味合いが変わってきた。今では、自分たちの主権を認めてもらうために生涯をささげた人物の前に、君主が立っている写真に見えるという。
「そして父は、その決定を待ちながら亡くなった」と、ワジュク出身のヌーンガー(豪南西部の先住民を指す言葉)であるジェイコブスさんはBBCに語った。
エリザベス女王の死に際し、オーストラリアやトレス海峡諸島の先住民の多くが、その複雑な心境を語った。
この地域の先住民は、地球上で最も長く続く文化をもつが、植民地主義に大きく傷つけられた。1770年にジェイムズ・クック船長がこの地にたどり着いて以降、オーストラリア先住民から土地を奪う出来事が次々と起こった。大量殺人、大規模な文化の妨害、そして世代を超えたトラウマが続いた。
1954年にエリザベス女王が初めてオーストラリアを訪問した際、先住民の人々は人口に数えられていなかった。その子供たちは白人家庭に同化するため、強制的に家族から引き離されていた。女王の訪問中、先住民のオーストラリア人は積極的に隠されていた。
それからというもの、たくさんのことが変わった。しかし、オーストラリアでは依然として、先住民が非先住民に比べて健康や教育をはじめとする指標で、不均衡に不利な状況にある。
ウィラジュリ出身のサンディー・オサリヴァン教授は、「私たちの暮らしはいまだに、(非先住民よりも)厳しい(中略)そしてそれは、植民地支配のせいだ」と話した。
入り混じる感情
その結果オーストラリアは、エリザベス女王の死去に際して、どうやってその人生を称えながら、自国の最も暗い部分を認めたらいいのか、苦慮してきた。
女王のために、他の公式旗と同様に先住民旗を半旗にしたり、議会を2週間閉会するという決定は一部から批判を浴びた。メルボルンにある先住民の言語を使った「マルーンダ」病院を「エリザベス2世」病院に改名するという約束も、「全くの的外れ」だと非難された。
一方で、女子オーストラリアン・フットボール・リーグは、先住民選手による大会が開催されていた先月、試合での女王への1分間の黙祷(もくとう)を義務化しなかった。これに対して、ナショナル・ラグビー・リーグは、SNSに女王について攻撃的な投稿をした先住民選手に罰金を科し、出場停止にした。この投稿については、表現の自由だと擁護する声もあった。
クンガラカンとイワイジャ出身のキャンベラ大学総長、トム・カルマ氏は、エリザベス女王は「威厳と人間味にあふれた」奉仕の生涯を送ったと話す。
「女王は非常に若くして、世界的な課題を山ほど引き継いだ。私たちは多くの変化を目にしたし、そのかじ取りをしたのは女王だ」
カルマ氏は、女王は先住民の要求に同情的に見えたと言う。たとえば2000年には、多くの先住民が「取り残されている」と感じていると指摘し、「繁栄がすべてのオーストラリア人に行き渡る」よう政府に求めた。
しかし、オーストラリアにおける女王のレガシーを、侵略と植民地化から切り離すことはできないと言う人もいる。
その1人、オーストラリア緑の党のリディア・ソープ上院議員は、今年8月に議員就任の宣誓をした際、女王を侵略者と呼んだ。
ジャブウロング・グナイ・グンディッジマラ出身のソープ氏は、女王の死去後に地元紙ガーディアン・オーストラリアに寄稿し、先住民は主権を決して明け渡してなどいないと述べた。
「イギリスの植民地化がもたらした制度は、我々を抹殺する教育から我々を殺す刑務所に至るまで、世界最古の生きた文化を破壊するために設計されている」
「それがオーストラリアで英王室がしてきたことだ」
女王がしなかったことへの批判
また、女王自身がしなかったことへの批判もある。多くのオーストラリア先住民は女王の在位中、支援拡大を訴えていた。
その1人が、ジェイコブスさんの父セドリックさんだった。セドリックさんはイギリス国教会の牧師で、一時は全国先住民会議の会長を務めた。
セドリックさんは女王のことが「とても好き」だったものの、条約を望む先住民の声を女王に話したことがあった。
ジェイコブスさんは、「女王にできたことはなかったのだろうか?」と疑問に思っている。
オサリヴァン教授は、「誰かが亡くなったことを祝いたい人たちのことなど、あまり相手にしたくない」と話す。
しかし、女王は非常に多きな影響力と「莫大な富」を持っていたのだから、単なる「優しいおばあちゃん」として描くのは公平ではないと語った。
女王はその力を使い、いくつかの社会的課題の改善のために「信じられないほど雄弁な」守護者になったものの、「私たちの生活改善のためには、特に何もしなかった。それは確かだ」と指摘した。
一方でカルマ教授は、女王は自分が作り出したわけではない植民地時代の緊張関係を、受け継ぐ羽目になったと主張する。
「もっと多くのことができたはずだという議論は常にあるが、それは君主の手に負えるものとは限らない」
「オーストラリアには1901年以来、独自の憲法があるのだから、いつまでも王室を非難し続けるわけにはいかない。この問題に取り組むべきなのは、オーストラリア政府だ」
「機会はある」
植民地化が先住民に与えた被害をオーストラリア政府が認めるならば、オーストラリアは今後もイギリス君主を元首としていただくわけにはいかないはずだ――そう主張する人もいる。
しかし、共和制への移行を問う国民投票は、少なくとも3年先になる見込みだ。アンソニー・アルバニージー首相はその前にまずは、憲法で先住民を認め、議会に意見を反映する顧問組織「ボイス・トゥ・パーラメント(議会に声を)」を作るかどうかについて、国民投票を行うと約束している。
カルマ教授は、オーストラリアが共和国になっても、英連邦から抜けることはないかもしれないと指摘した。
一方で、イギリス王室は新しい時代を受け入れるべきだという声もある。
オサリヴァン教授は、「今のこれは、白紙に戻すチャンスだ。とても期待している」と語った。
オーストラリア先住民の中には、チャールズ3世に、植民地主義がもたらした被害に対する謝罪をしてほしいと考えている人もいる。エリザベス女王は1995年にニュージーランドのマオリ族に対して、土地の強奪などを「深く謝罪」している。
このほかにも、金銭的な補償、土地や工芸品の返還、イギリス各地の博物館にある先祖の遺骨の返還など、賠償を求める声もある。さらに、国王は「ボイス・トゥ・パーラメント」推進活動を支援することもできるとも言われている。
BBCが今回取材した人々はみな、チャールズ国王には先住民に会い、話を聞いてもらいたいと話した。
ジェイコブスさんは、「本当にいらいらする。このような会話は、私たちの指導者が国王の母親とすべきことだった」と話した。
「しかし、先住民としての主権が認められるのを待つ間に、ほかに誰かが死んでしまうなど、もうたくさんだ」
(英語記事 Aboriginal Australians: 'Could the Queen have done more?')
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-63057304