先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ協会「当然の結果」 日テレ番組差別表現、BPO「放送倫理違反あった」

2021-07-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/22 05:00
 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が21日、アイヌ民族への差別表現を放送した日本テレビの情報番組に放送倫理違反があったと発表したことについて、道内のアイヌ民族は「判断は妥当だ」と評価した。検証委は問題の根底に同局のチェック体制の甘さに加え、民族差別への理解の乏しさがあったと指摘。再発防止策の徹底を求める声も上がった。
 「当然の結果。全国メディアが差別問題を理解していなかったことは大きな問題だ」。北海道アイヌ協会の阿部一司理事はこう受け止めた。同局は1994年にもアイヌ民族への差別表現を放送して問題に。「同じ過ちを繰り返さないよう再発防止に今度こそ真剣に取り組んで」と強調した。
 アイヌ伝統歌ウポポを歌うマユンキキさんは「差別表現で今も傷ついている人がいる。検証委の発表で全ての問題が解決されたことにはならない」と指摘。インターネット上に現在もアイヌ民族の存在を否定するようなヘイトスピーチ(憎悪表現)が横行する。「問題から目を背けず、根本的な解決のために一人一人が想像力を働かせてほしい」と訴えた。(田鍋里奈)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/569911

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「スッキリ」に放送倫理違反 アイヌへの差別的表現で―BPO

2021-07-22 | アイヌ民族関連
JIJI.COM 2021年07月21日20時01分
 放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会(小町谷育子委員長)は21日、アイヌ民族への差別的表現があった日本テレビ系の情報番組「スッキリ」に関して、放送倫理違反があったと発表した。
 問題となったのは3月12日の放送。事前収録されたコーナーで、アイヌ民族の女性を描いたドキュメンタリーを紹介した際、出演タレントが動物の名前に引っ掛けた駄じゃれを用いる場面があった。
 小町谷委員長は「放送は明らかな差別表現を含んだもの」と指摘。その要因として、収録動画の最終チェック体制が極めて甘かった点や、差別の歴史と実態に関する基本的な知識がスタッフ間で決定的に不足していたことを挙げた。その上で「これらが備わっていれば、差別発言がオンエアされ、社会に広く伝播(でんぱ)することはなかった」と結論付けた。
 日テレ広報部は21日、「本日のBPOの意見を真摯(しんし)に受け止め、今後の番組制作に生かし、再発防止に努めてまいります」とのコメントを公表した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021072100967&g=soc

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日テレ「スッキリ」アイヌ差別表現で放送倫理違反 BPO

2021-07-22 | アイヌ民族関連
TBS 21日 21時17分
 日本テレビの情報番組でアイヌ民族への差別発言が放送された問題で、BPO=放送倫理・番組向上機構は「放送倫理違反があった」とする意見書を発表しました。
 問題の発言があったのは情報番組「スッキリ」の今年3月の放送で、アイヌ民族の女性を描いたドキュメンタリーを紹介した際、「あ、犬」と表現しました。
 この表現は歴史的にも繰り返し使われてきた差別表現でしたが、番組担当者にはその認識がなく、コーナー自体は事前収録だったにもかかわらず、特にチェックされないまま放送されました。
 BPOは日テレのチェック体制が極めて甘かったと批判。アイヌ民族への差別問題に関する知識が決定的に不足していたと指摘し「放送倫理違反があった」と結論付けました。
 これに対し、日本テレビは「BPOの意見を真摯に受け止め、今後の番組制作に生かし、再発防止に努めてまいります」とコメントしています。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4320448.html

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アイヌ伝統技術継承へ 阿寒湖畔で丸木舟20年ぶり製作開始

2021-07-22 | アイヌ民族関連
NHK 07月21日 20時01分

アイヌ文化を継承しようと、釧路市の阿寒湖畔ではおよそ20年ぶりとなる伝統の丸木舟の製作が始まりました。
阿寒アイヌ工芸協同組合は伝統技術を若い世代に受け継いでもらおうと、およそ20年ぶりに「チプ」と呼ばれる丸木舟を製作することになりました。
丸木舟に使うカツラの木は長さ9メートル、直径1メートルで、先週、弟子屈町で伐採され、阿寒湖畔に運ばれました。
21日は作業開始を前に伝統の儀式「カムイノミ」が行われ、若手の工芸家など8人が木や道具に酒を振りかけるなどして作業の安全を祈りました。
このあとさっそく作業に取りかかり、20年前の製作にも関わったベテランの工芸家から教わりながら、木の寸法を測ったり、チェーンソーで削ったりしていきました。
阿寒アイヌ工芸協同組合の床州生理事は「アイヌの生活必需品だった丸木舟の製作を通して技術を伝えたい。観光にも生かせるようなデザインを考え、多くの人に見てもらいたい」と話していました。
丸木舟の完成はことし11月ごろを予定しているということです。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210721/7000036758.html

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【レビュー】驚きの連続 「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」 東京ステーションギャラリー(東京駅丸の内北口)で開催中

2021-07-22 | アイヌ民族関連
美術展ナビ 2021.07.21

(手前) 《全身を耳にして》 2002年3月31日 鶴雅リゾート株式会社   後ろ脚で立ち上がり、音に神経を集中する熊。実際の大きさで表現されている。堂々たる体躯に細かい毛彫りが施され、大胆な造形と繊細な仕上げが同居している。
旺盛な生命力を表し躍動する姿と同時に、思わず触りたくなる柔らかな毛並みの熊。深いニュアンスを籠めた表情の人間。アイヌ民族の木彫りの技を受け継ぎ、大胆さと繊細さ、力強さと優しさという相反する要素を表現した北海道の木彫家・藤戸竹喜(ふじとたけき)の全貌を紹介する展覧会が開かれている。
「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」 
東京ステーションギャラリー(東京駅丸の内北口)
会  期   7月17日(土)~9月26日(日)
開館時間   午前10時~午後6時、金曜日は午後8時まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日    7月19日、8月10日、同16日、同23日、9月6日、同13日
入館料    一般1200円ほか 中学生以下無料
日時指定の予約制だが、チケットに余裕がある場合は当日券も購入可能。
詳しくは同ギャラリーへ
藤戸(1934~2018)は北海道美幌町で生まれ、旭川市で育った。木彫り熊の名手として知られた父の元で12歳頃から熊彫りを習い、阿寒湖畔に移り住んで才能を開花させていく。1本の木から彫り出した熊や動物の姿は生きているかのように躍動し、生命力を漲らせている。その一方で細密な毛彫りは、硬い木に彫られたものであることを忘れさせるような柔らかさを生み出している。藤戸の初期から最晩年までの代表作80点余りを展示している。
34歳の時、依頼されて観音像を彫る。熊以外彫ったことのなかった藤戸は関西に1週間滞在し、仏像を見続けたという。藤戸は制作にあたり一切スケッチや下書きをしない。頭の中で像ができると、一気呵成に彫る。この時も1週間仏像を見続けてその姿を目に焼き付けたのだろう。ほとんどの造形作家が設計図や模型を作る中で、作品を前にしてその手法と能力に驚くばかりだ。藤戸は観音像制作を契機に作品の幅を大きく広げる。
2頭の狼が鹿を襲う姿で、鹿が後ろ脚を大きく跳ね上げた瞬間。鹿は2本の細い前脚だけで支えられている。1本の木から下絵もなしに、こんな複雑で微妙なバランスの作品を彫り出すとは信じられないほどだ。藤戸は「じっと木を見ていると、中から姿が出てくる」「手で彫る分には間違いはしない」と言ったという。益々、信じられない思いだ。
1990年代初頭、アイヌ民族の先人たちの肖像を、等身大の木彫りとして制作している。何かする訳でもなくただ立っている姿なのだが、表情は色々な感情をにじませ、全体として何とも言えない威厳に満ちた雰囲気を漂わせている。
肖像制作と同時期、海の生物も数多く作っている。サメの躰を流れる木目が美しい。また、エビやカニの作品は藤戸には珍しくパーツごとに彫って組み合わせている。細工職人としても一流だと分かる。ワラジエビ表面の質感など、どうやって出したのか不思議だ。
最後のコーナーは「狼と少年の物語」。2017年に札幌芸術の森美術館で初の大規模な藤戸の回顧展が開かれるに先立って、制作された連作。藤戸が長く温めて来た構想で、川で両親とはぐれ狼に助けられ育てられたアイヌ民族の少年が、狼とともに成長していく姿を表している。
美術界とは縁のない生活で、美術展などに出展することなど無かった藤戸竹喜は、北海道以外の美術関係者にはほとんど知られることがなかった。今回は東京では初の展覧会となる。いわゆる熊の彫り物とはまったく違う藤戸の作品は、初めて見る者には驚きの連続となるだろう。
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)
https://artexhibition.jp/topics/news/20210721-AEJ465244/

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<ウポポイ オルシペ>20 作中の民具並べ文化紹介 ゴールデンカムイ特別展

2021-07-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/22 05:00
 今月3日より第2回特別展「ゴールデンカムイ トゥラノ アプカシアン―杉元佐一とアシリパが旅する世界―」が始まりました。「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載中の漫画「ゴールデンカムイ」(野田サトル作)をテーマとしており、タイトルの「ゴールデンカムイ トゥラノ アプカシアン」は、アイヌ語で「ゴールデンカムイと歩く」という意味です。
 今回は、特別展で紹介している文化的な内容についてご紹介します。
 当展覧会では漫画作品の内容を中心とし、関連する民具資料を展示しながら、原画(デジタルで作画された原稿を印刷したもの)とともに、作中に描かれる文化について紹介しています。
 「ゴールデンカムイ」は、明治末期の北海道や樺太(サハリン)を舞台とした物語で、北海道アイヌや和人をはじめ、樺太アイヌ、ウイルタ、ニヴフ、アメリカ人やロシア人など、さまざまな文化・言語の人々が登場しており、これらの人物の衣服や装飾品、装備品などが細部まで丁寧に描かれています。
 このような「ゴールデンカムイ」に描かれる多様な人々の中から、今回はアイヌ民族、樺太先住民族をはじめ、当時の北海道で暮らす人々について注目し、作中に描かれる民具を体感できる展示としました。民具のかたちや素材、雪国でのくらしの道具、同じところや違うところなど、さまざまな視点からいろいろな民具をじっくりとご覧いただきたいです。(文・写真 矢崎春菜=国立アイヌ民族博物館学芸員)
◆「アプカシアン」の「プ」と「シ」、「アシリパ」の「リ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/569878

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<北の事始め 発祥の地あれこれ>陶芸 幕末の箱館焼から本格化 適した粘土確保に苦心

2021-07-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/22 05:00
 中学の歴史の教科書に、日本を代表する焼き物である有田焼(佐賀県)が載っていました。北海道での本格的な焼き物は、幕末に本州の陶工が箱館(函館)で焼いた箱館焼が始まりです。北海道は作陶に適した粘土も少なく、陶芸の後進地とされてきましたが、北国の自然や風土が投影された作品が各地で生み出されています。
 北海道の焼き物の歴史に詳しい、江別市教育委員会の元学芸員、園部真幸さん(68)によると、道内の焼き物は約1万4千年前の縄文土器に始まり、紀元前2、3世紀からは続縄文土器が、8世紀ごろからは擦文土器がつくられました。しかし、12、13世紀ごろに擦文文化が終焉(しゅうえん)すると、土器もつくられなくなり、道内で再び焼き物がつくられるのは800年余り後の幕末です。
 その間に本州では、ろくろで成形し焼成窯で焼いた須恵器や、釉薬(ゆうやく)を施した陶器や磁器が登場。信楽(しがらき)焼(滋賀県)、常滑(とこなめ)焼(愛知県)、京焼(京都府)、有田焼など各地に産地が形成され、陶芸文化が開花しました。
 蝦夷地(えぞち)では幕末に、幕府による窯業の振興が行われました。「1859年、岐阜県出身の陶工、足立岩次(岩二)が箱館で窯を築き、苦心の末、磁器の製造に成功しました。窯を閉じるまでの3年間につくられた製品を箱館焼と呼び、多くは箱館の風景やアイヌの人々をモチーフにした染付(そめつけ)磁器です」と園部さんは話します。
 明治に入ると、焼き物の需要を見込んだ常滑や京都などの多くの陶工が、小樽や札幌、室蘭などで窯を開きます。「1923年(大正12年)には北海道工業試験場(道工試)が開設され、陶工育成の努力が実り、道内出身者が窯を開くようになりました」と園部さん。
 しかし戦前の窯の多くは、陶芸に適した粒度の細かい粘土の確保が困難だったことなどから、短期間で閉じてしまいました。
 道立総合研究機構工業試験場(札幌)研究主幹の野村隆文さん(58)は「粘土は細かいほど粘りがあり、形にしやすい。北海道の粘土は主に火山灰が風化したもので、寒冷な気候などのために粘土になり切れず、粒度の粗いものが多い。対して、焼き物産地の信楽などの粘土は、花こう岩が細かく分解し粘土化したものです」と説明します。
 戦後を迎え、46年にこぶ志窯(岩見沢)を開いたのが、道工試出身の山岡三秋(みあき)(1904~97年)です。道内で活動する最古の窯で、孫で3代目の山岡千秋さん(53)は「祖父は陶芸をやる人がほとんどいない中で窯を開き、丈夫で使いやすい器などをつくりました。地元の原料を使って試行錯誤を重ね、代名詞となった深い藍色の『海鼠釉(なまこゆう)』などが生まれました」と振り返ります。三秋の下からは多くの陶芸家が育ちました。
 49年には中国古陶磁研究の第一人者で工業的な陶磁器製造にも取り組んだ小森忍(1889~1962年)が、道内の陶磁器工場を指導し、51年から江別で北斗窯を営みました。小森の業績を伝える江別市セラミックアートセンター学芸員の兼平一志さん(50)は「小森は、道内の土や石を調査分析して焼き物原料としての可能性を探り、成果を作品に反映させました。個展などを開いて焼き物の普及にも尽力しました」と解説します。
 その後、陶芸ブームの到来などで現在、道内では400~500人の陶芸家が活動しています。
 北海道陶芸会会長で陶芸家の中村裕さん(67)は、北海道の自然を投影した作品を制作する傍ら、97年から札幌市立駒岡小学校の学校行事で全学年の生徒に陶芸を教えています。今月、江別市野幌の粘土を使い、6年生はろくろを体験しました。中村さんは「生徒たちと野焼きをして作品を完成させます。粘土になじんでもらい、陶芸の楽しさを伝えたい」と語ります。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/569826

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BPO「放送倫理違反あった」 日テレのアイヌ民族差別表現

2021-07-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/21 21:44 更新
 日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」でアイヌ民族への差別表現があった問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は21日、番組は「明らかな差別表現を含んだもので、放送倫理違反があった」とする意見書を発表した。
 問題があったのは3月12日の放送。アイヌ民族を描いたドキュメンタリー作品を紹介する際、お笑い芸人が披露した謎かけの中に、アイヌ民族を差別する言い回しがあった。検証委は4月9日、放送倫理違反の疑いがあるとして審議入りを決め、関係者10人からヒアリング。制作過程などを検証した。
 検証委は「アイヌ民族や差別問題に関する基礎的知識がスタッフ間で決定的に不足していた」と指摘。労力削減などで番組制作を統括するプロデューサーらが関与しない流れができ、「収録動画の最終チェックが極めて甘かった」と結論付けた。
 検証委の小町谷育子委員長はオンラインで開いた会見で「差別する意識がなかったとしても、おかしいと思わないといけない。放送人としての感度が欠けていた」と述べた。
 日本テレビは「意見を真摯(しんし)に受け止め、今後の番組制作に生かし、再発防止に努めてまいります」とコメントした。(能正明)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/569845

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コロナウイルス・デルタ株、シドニー都市圏西部に波及

2021-07-22 | 先住民族関連
日豪プレス 2021年7月21日
新たに陽性者110人、他の地域でも陽性者
 7月21日付ABC放送(電子版)は、シドニー都市圏の陽性者発生地点が南西部からさらに西部にも広がっていることを伝えた。
 7月20日午後8時までの24時間に新たに110人が陽性と判定され、うち29人がシドニー都市圏西部の住民だった。その地域は健康脆弱者として接種も優先されている先住民族コミュニティがあるが、先住民族の間には反ワクチン・デマが流れており、コミュニティ・リーダーらも接種説得にあたってきた。
 110人のうち50人は南西シドニー保健管区在住者で、また、29人は西シドニー保健管区在住者となっている。NSW州保健局のジェレミー・マカナルティ健康保護部長は、「シドニー都市圏東郊から始まったコロナウイルス・アウトブレークは都市圏南西部のフェアフィールド、リバプール、カンタベリー=バンクスタウン自治体地域に広がり、さらにシドニー都市圏西部に移る気配を見せている。市民は警戒を怠らず、少しでも症状を感じたら検査を受けに来てもらいたい」と語っている。
 また、110人のうち、43人は感染力のある時期に自宅を抜け出して市中を移動しており、17人は感染力のある時期の一部期間だけを自宅待機していた。
 7月21日、記者会見に立ったグラディス・ベレジクリアンNSW州首相は、7月30日のロックダウン解除の見通しについて、「この先でどうなるかについて今は何も言わない方がいいだろう。新陽性者数の推移、感染経路の実態などが週末から来週初めにかけてはっきりしてくれば7月末の見通しも確実になってくる」と語った。
 ペンリスの大西シドニー地域アボリジニ健康クリニックは約8,000人の地域先住民族と非先住民族患者の世話をしており、所長のカイリー・マコーリー氏は、アボリジニ、トーレス海峡諸島民族住民にワクチン接種を受けるよう呼びかけており、16歳以上の先住民族は現在ファイザー・ワクチン接種を受けることができるが、同氏は、「先住民族住民の間にはアストラゼネカ・ワクチンに対して不安とためらいが強かった。ファイザーを使えるようになったので受ける人も増えてきた。長引くロックダウンの影響が心配だ。失職者が増えると経済的に困窮し、それが社会的関係に影響し、さらに心理的にも影響してくる。心理的にその日暮らしの人も多く、クリニックは住民がこのコロナウイルス蔓延を生き抜くようできるだけのことをしなければならない」と語っている。
■ソース
Western Sydney residents urged to be ‘vigilant’ as COVID-19 Delta strain cases hit the region
https://nichigopress.jp/ausnews/208847/

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土偶は〈植物〉の精霊?新著が話題の竹倉史人、いとうせいこう、中島岳志の3氏が議論

2021-07-22 | アイヌ民族関連
グローブプラス 2021/07/21 19:00

竹倉史人さんによる話題の書「土偶を読む」(晶文社)(GLOBE+)
土偶は植物や貝類の精霊をかたどったもの――。そんなセンセーショナルな新説を打ち立てた人類学者、竹倉史人さんの新著「土偶を読む」が議論を呼んでいる。
考古学を含め既存の研究では「土偶とは妊娠した女性を表現したもの」などが定説とされているが、こうした「常識」に、竹倉さんは、考古学を専門としない独立研究者として真っ向から挑戦する形になっているからだ。
この本は土偶研究の新たな扉を開くのか、それとも奇説で終わるのか。竹倉さんと、彼の活動に刺激を受ける作家のいとうせいこうさん、東京工業大学の中島岳志教授が土偶や縄文についてリモートで議論した。話題は「専門知」の現状に対する問題提起にまで及んだ。3回に分けて掲載する。(聞き手・伏貫淳子、敬称略)
プロフィール
竹倉史人(たけくら・ふみと) 1976年、東京生まれ。人類学者(独立研究者)。武蔵野美術大学映像学科中退を経て、東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程満期退学。著書に「輪廻転生―〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語」(講談社現代新書、2015)など。
いとうせいこう(いとう・せいこう) 1961年、東京生まれ。主な著作は、小説に「ノーライフキング」「想像ラジオ」(野間文芸新人賞)、エッセーに「ボタニカル・ライフ」(講談社エッセイ賞)など。近著に「『国境なき医師団』を見に行く」「ガザ、西岸地区、アンマン 『国境なき医師団』を見に行く」「福島モノローグ」。音楽活動では日本語ラップの先駆者の一人。 
中島岳志(なかじま・たけし) 1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、「中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義」で大佛次郎論壇賞を受賞。近著(共著含む)に「こんな政権なら乗れる」「再刊 リベラルマインド」「『利他』とは何か」「自分ごとの政治学」など。
――竹倉さんの著書「土偶を読む」が4月末の発売後、わずか3ヶ月で約2万部とヒットしています。考古学で蓄積された実証データを元に人類学的手法でアプローチするという専門の枠にとらわれない本書について、多くの考古学研究者が沈黙を守っていると聞きます。ネット上では賛否が割れているようですね。
竹倉 絶賛してくださる方が圧倒的に多数ですが、その一方で「こんなのゴミだ」と言わんばかりの方もいて(笑)。いろいろな意見が出ている状況をとても興味深く眺めています。
じつは当初、この研究は考古学の学術論文として発表するという可能性もあったんです。いとうさんも出演なさった映画「縄文にハマる人々」に出ていらした国立歴史民俗博物館教授の山田康弘先生のもとにお伺いしたら、丁寧に見ていただき、同博物館の論文として世に出す案に賛同してくださって。
それでも最終的に商業出版の形を選んだのにはいろいろな事情がありますが、結論から言えば「専門知」について世に問いたいという気持ちが前に出た感じですね…。
いとう その気持ちはめちゃめちゃ伝わっています…(笑)。
中島 アカデミックの世界にいる立場として、肩身が狭いです(笑)。じつは、竹倉さんのこの「土偶は植物や貝類の精霊をかたどったもの」という説は、同じ東工大にいたつながりで、本が出版される1年前に学生との読書会で竹倉さんからレクチャーを受けたことがあるんです。
その時、直感的に、竹倉さんは、いとうさんと絶対話が合うと思いました。いとうさんは縄文土器を植物の芽吹きとして見ていらして、僕も縄文土器は植物的な発想によると思っていたから、いとうさんに大変共感していたんです。
竹倉さんの話を聞いて、いとうさんの説、学術の世界、さらに人類学も結びついて、これは非常に面白いと思いました。
オンラインで意見を交わす竹倉史人さん(下)といとうせいこうさん(左上)、中島岳志さんオンラインで意見を交わす竹倉史人さん(下)といとうせいこうさん(左上)、中島岳志さん
いとう 「土偶を読む」を見つけて、「これは絶対おもしろいやつだ!」と読む前から言っていたところに、「土偶と植物について、いとうさんと同じことを言っている本が出ましたよ」と中島君から連絡がきて、びっくりしました。
そのうえ、竹倉さんは僕のダブポエトリー・バンド 「いとうせいこうis the poet」のブルーノートでのライブにも来てくれていたという不思議なご縁もあったんだよね。
今日どうしても竹倉さんと話しておきたいのは、土偶と植物についてのほかに、仮面の問題があります。
この本は、注のところにヤバいテーマがたくさん書いてあるんですが(笑)、その一つに「そもそも土偶には『顔』はないのである。(中略)原則として土偶の顔面はすべて仮面であると考えてよい。精霊は常に仮装してこの世界を来訪するからである…」と書いてあるんです。
僕は、大学1年のときに池袋にあった西武美術館で「変幻する神々 熱きアジアの仮面」展を見て衝撃を受けて以来、仮面が大好きで集めてもいたくらい関心があるので、ぜひこの記述について聞きたいと思っていました。
竹倉 土偶にはわざわざ仮面のひもまで表現されているものも結構ありますし、合掌土偶などは明らかに顔面だけが二次元で作られている。つまり、土偶を全体として見ると、仮面をつけていると解釈すべきものが多く見られます。
いとう それは、われわれ人間が仮面をつけて祭祀をするときのバーチャルな感覚を植物の精霊に転嫁しているんだろうか?
竹倉 バーチャル性、つまり「仮」であるということは、たぶんあると思うんです。それを考えるうえで参考になりそうだと思ったのがアイヌの人たちの世界観です。
有名な「イオマンテ」という熊の霊送りの儀礼は、熊の姿をしてやってきたカムイ(神)を殺して食べて、その魂をカムイモシリ(神々の世界)に送り返すことで再訪を願う。他にも植物霊を送る儀礼も存在します。
縄文の人たちは、主食級の栄養をもたらしてくれるトチノミなどの木の実を、目に見えない精霊が与えてくれるギフトだと考えていたからこそ、精霊像である土偶の顔が「仮の姿」として仮面で表現されていたんだと思います。
オンラインで議論に参加する竹倉史人さんオンラインで議論に参加する竹倉史人さん
いとう それは贈与の問題になってくるね。
中島 モースの「贈与論」につながってくると思います。ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の人たちの贈与の行為について書かれているのですが、彼らは、森からやってきた精霊(ハウ)がモノに宿ると考えていました。
モノをずっとひとりが持っているとハウが暴れだしてしまうから、別の人に贈与しなきゃいけない。もらった人は同じようにまた別の人に贈与する。この繰り返しによって人々の間に富が連鎖し、村全体が豊かになっていくんです。
竹倉さんの話には、それにちょっと近いものを感じました。つまり、植物には精霊が宿っていて、それを独占してはならないし、精霊を怒らせてはいけない。
単に恵みに対する儀礼ではなく、精霊を怒らせて植物が枯れてしまわないようにする。その二つの意味が土偶にはあったんじゃないかと思うんですよね。
いとう お二人の話を聞いていて思い出したんですが。奈良県の春日大社摂社若宮神社の、平安末期から続く「おん祭」という例祭を何年か前に見に行きました。
夜中、午前0時に神が現れ、真っ暗闇の中を、途中に焚かれている香をたよりに進んで行き、小山のようなところに着く。そこは神のお旅所の行宮(あんぐう)で、神は24時間だけそこにいるんです。その間、摩訶不思議な伝統芸能を次々に奉納したりして、神を接待する。
そのとき僕が一番驚いたのは、小山の上の社です。鳥居と同様の形に木を組み、上に葉を葺(ふ)いているだけなんですね。24時間だけの仮のもの、ということをわざと表していると直感した。
伊勢の遷宮と明らかにつながっています。神社には、神は常にそこにいるのではなく、我々は仮にしか神に触れることができない、という「仮」の感覚があるんじゃないか。
これは竹倉さんが言う「縄文人と仮面」の「仮」の部分につながるんじゃないかな。
オンラインの議論に参加するいとうせいこうさんオンラインの議論に参加するいとうせいこうさん
竹倉 土偶は植物の精霊の「仮」の姿である、という私の説からすると、関係があるかもしれませんね。
植物霊祭祀は古今東西に見られる普遍的なもので、精霊は春の芽吹きから収穫の秋までの間だけ人間のそばにいてくれて、収穫が終わると遠いところに帰って行く、という観念が広く見られます。
フレイザーの「金枝篇」には小麦をあえて何本か刈り取らずに残しておくことで精霊が逗留(とうりゅう)できる場所を作っておく、ということが書かれています。
「遠くに帰ってもいいけど、また来てね」という送迎会のような収穫儀礼の場合もあるし、逆に、「お社を作っておくので、遠くに行かないでそこにいてください」と、精霊をとどめる場合もある。奥能登地域の「あえのこと」なんかそうですよね。
いとう 田楽のような芸能は土に眠っている精霊を起こすだけじゃなくて、あたりに漂っている精霊に集まってもらうためのもの、という感じがするよね。
芸能と仮面は結びついているから、仮面をつけることで精霊になりかわって舞う、という感覚かな。
竹倉 仮面のようなものは、数は多くないですけど出土しています。縄文時代も仮面をつけて、いろいろな精霊を呼んで憑依(ひょうい)させて、みんなで歌って踊って、太鼓みたいなのをたたいて、といったことをやっていたかもしれない。
縄文時代にもお祭りのようなイベントは間違いなくあったと思います。
いとう 贈与の受け取り方の問題なんじゃないかな。
中島 和辻哲郎のペルソナの議論を思い出しました。仮面というものは、基本的には死んでいるけれど、役者がそれをつけて動くことによって生気のようなものが仮面に宿り、その仮面がペルソナになって、憑依した霊のようなものが現れる。
仮面と死者は非常に大きくかかわっていると思うのです。だから、僕は土偶からブリコラージュ的なものを想起します。
植物だけではなく、死者の霊や、動物の霊、いろんなものが現代の僕たちとは違う分類で古代人の中にはあって、それらがコラージュされることで神話が生まれる。
そんな物体として、土偶が存在したんじゃないか。明らかに仮面をつけていると思える土偶がありますからね。
オンラインの議論に参加する中島岳志さんオンラインの議論に参加する中島岳志さん
いとう だったら仮面だけ作ればいいじゃないか、ということになるんだよね。なぜ仮面ではなく、仮面をつけた状態の土偶を作ったんだろう?そうなると、どう使っていたのか、という問題になってくる。
竹倉 「土偶を読む」は土偶の「モチーフ」に絞って書いたわけですが、「用途」の話になると、出土される状況から推定していくしかなくて、大変難しい作業です。
これまでは、土偶はお守りだったんじゃないか、など、用途は一つだという前提で議論を収斂(しゅうれん)させる傾向がありました。
ですが、東日本を中心にいろいろな地域でいろいろな土偶が作られていたことを考えると、土偶の使われ方もそれぞれ違っていたと考える方が自然です。ただ、「本義」はあくまで植物霊を宿らせる呪物だと思います。
土偶の出土数が非常に増えるのは縄文中期ですが、そのトリガーになったのは、トチノミの栽培が始まったことだと思うんですね。
というのも、八ケ岳エリアや青森の三内丸山遺跡から出土する縄文中期の土偶を見ると、トチノミをかたどっていると読めるものが多いんです。また新潟県域からはおなかの部分にトチノミの発根や発芽のシーンを表現したと思われる土偶がいくつも見つかっています。
私、トチノミの栽培を実際にやってみたんですが、種子が乾燥すると発根能力が落ちたりして、わりと難しいんです。縄文人もおそらく栽培に苦労した。
だから、土偶のおなかに描かれた図像は、トチノミが順調に発根したり発芽するように願って造形されたものだろうと考えています。
いとう あと土偶って、壊されて捨てられていることが重要だと思うんです。
僕は素人園芸が好きなんですが、植物はだいたい一年草です。あるいは四季をめぐってサイクルがある。サイクルごとに呪術が必要になる。土偶が壊されて捨てられたのは、そのサイクルごとなのではないかと思うんです。
土偶の出土数にもっとも適合するのは、何十年も生きる動物ではなくて、植物だよね。これは僕のさっきの「仮」の鳥居の話ともつながりますが。
中島 土偶を植物の精霊の「仮」の姿と考えると、なぜ、人間のようにかたどった土偶を作ったのか、という話に戻ってきますよね。
いとう そう、やっぱりそこなんですよ。なぜ、土偶には手足があるんだろう? 
(2回目は7月22日正午に配信予定です)
https://news.goo.ne.jp/article/globe_asahi/world/globe_asahi-14399995.html

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アイヌ理解 マンガが引っ張る

2021-07-22 | アイヌ民族関連
読売新聞 2021/07/21 05:00
神話 生活 言葉…描写正確

「早すぎた傑作」も復刊
 国立アイヌ民族博物館などを中心にした「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ)が北海道白老町で開業して1年、アイヌ文化を正しく理解することへの関心が高まっている。その先端を走るのがマンガの世界だ。野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』(2014年~、集英社)の大ヒットを契機とし、先駆的作品として評価される石坂啓さん(65)の『ハルコロ』も、約30年ぶりに復刊された。(編集委員 石田汗太)
連載実現まで7年
 岩波現代文庫から先月、全2巻で出た『ハルコロ』は、1989年から潮出版社の月刊誌で連載され、92~93年に単行本化された。長く入手困難だった、早すぎた傑作だ。
 15世紀の北海道。和人(内地の日本人)と接触する前のアイヌコタン(村)で、少女ハルコロが成長し、恋をし、新しい家族を作る。アイヌの神話や生活描写は、資料の少ない当時としては極めて正確でリアルだ。
 「アイヌについては、ほとんど知識がなかった」と、石坂さんは振り返る。原作は、ジャーナリスト本多勝一さんのルポ『アイヌ民族』。本多さんからマンガにすることを依頼されたのは82年だった。
 「それからが大変。掲載誌も未定だったので、いくつかのメジャー誌に私から声をかけ、ネーム(下描き)を何種類も作って売り込んだ。北海道まで取材にも行きましたが、結局、全部没になりました」
 その時の編集者の言葉が「もっとバカバカしいものにしませんか」。アイヌを描くことに「壁」のようなものを感じたという。
 石坂さんは手塚治虫のアシスタントを務めたこともある。手塚は『シュマリ』(74~76年)で、明治期のアイヌをヒロイックに描こうとしたが、アイヌ側からの忠告もあり、直前で大きく構想を変えざるを得なかった。
 『ハルコロ』は連載実現まで7年かかったが、アイヌからも好意的に迎えられる画期的作品になった。原作を豊かに膨らませた石坂さんの手腕と共に、アイヌ初の国会議員、萱野茂さん(1926~2006年)の監修を得たことも大きい。「私からお願いし、アイヌ語や絵の描写を全部チェックしてもらいました」
「かわいそう」でなく
 『ハルコロ』の復刊に尽力したのが、『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修者、中川裕・千葉大名誉教授(66)だ。
 中川さん自身、約30年前から「マンガでアイヌを表現すること」に挑戦してきた。1993年、主宰するアイヌ語サークルで同人誌を創刊、そこで自ら、アイヌ語でマンガの原作も書いた。「僕らの不満は、マンガの中のアイヌ民族が、常に差別され、虐げられた“かわいそうな人々”だったこと。明るく楽しいアイヌのマンガだってできるはずだと、ずっと思っていた」
 『ゴールデンカムイ』の革命性は、「自然と調和して純朴に生きる民族」という表層的イメージを破り、裏も表もある、人間くさいアイヌを多数登場させたことだと語る。
 「この作品のヒットはアイヌ文化を描いたからではなく、エンタメとして抜群に面白いから。これでアイヌに興味を持ってくれた人は『ハルコロ』に進んでほしい」
美化してないか葛藤も
 『ゴールデンカムイ』以後、アイヌを題材にしたマンガは明らかに増えている。かつてのように“タブー視”されることは少なくなった。
 マンガ家でアイヌ語講師の成田英敏さん(60)は、2019年に、アイヌ民族の日常を克明に描いた『アコ●コタン』(双葉社)を出した。(●は小さな「ロ」)
 成田さんがアイヌに関心を持ったきっかけは、1986年の中曽根康弘首相(当時)による「日本は単一民族」発言だった。アイヌ民族団体が抗議し、大きな政治問題になった。「その時から、いつかアイヌを描きたいと思って勉強を始めた。いいかげんな知識で描きたくなかった」
 『アコ●コタン』のセリフは、当初すべてアイヌ語にするつもりだった。2017年のウェブ連載時に日本語との混在になったが、かなりの量のアイヌ語を入れた。「絵と文字を使えるマンガは、アイヌ文化を表現するのに適したメディアだと思う」と語る。
 和人としてアイヌを描くことに葛藤はある。「アイヌ文化を過度に美化していないか。和人なのにアイヌ民族の心情を代弁してしまっていないか。いつも悩んでいます」
 他にも、森和美さんの『エシカルンテ』(講談社、全2巻)など、意欲的で良質な作品も出ている。「勉強して、精いっぱい真面目に描くしかない」と成田さん。この気持ちが共有されれば、一過性のブームに終わることはないだろう。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210720-OYT8T50122/

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