読売新聞 2021/07/21 05:00
神話 生活 言葉…描写正確
「早すぎた傑作」も復刊
国立アイヌ民族博物館などを中心にした「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ)が北海道白老町で開業して1年、アイヌ文化を正しく理解することへの関心が高まっている。その先端を走るのがマンガの世界だ。野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』(2014年~、集英社)の大ヒットを契機とし、先駆的作品として評価される石坂啓さん(65)の『ハルコロ』も、約30年ぶりに復刊された。(編集委員 石田汗太)
連載実現まで7年
岩波現代文庫から先月、全2巻で出た『ハルコロ』は、1989年から潮出版社の月刊誌で連載され、92~93年に単行本化された。長く入手困難だった、早すぎた傑作だ。
15世紀の北海道。和人(内地の日本人)と接触する前のアイヌコタン(村)で、少女ハルコロが成長し、恋をし、新しい家族を作る。アイヌの神話や生活描写は、資料の少ない当時としては極めて正確でリアルだ。
「アイヌについては、ほとんど知識がなかった」と、石坂さんは振り返る。原作は、ジャーナリスト本多勝一さんのルポ『アイヌ民族』。本多さんからマンガにすることを依頼されたのは82年だった。
「それからが大変。掲載誌も未定だったので、いくつかのメジャー誌に私から声をかけ、ネーム(下描き)を何種類も作って売り込んだ。北海道まで取材にも行きましたが、結局、全部没になりました」
その時の編集者の言葉が「もっとバカバカしいものにしませんか」。アイヌを描くことに「壁」のようなものを感じたという。
石坂さんは手塚治虫のアシスタントを務めたこともある。手塚は『シュマリ』(74~76年)で、明治期のアイヌをヒロイックに描こうとしたが、アイヌ側からの忠告もあり、直前で大きく構想を変えざるを得なかった。
『ハルコロ』は連載実現まで7年かかったが、アイヌからも好意的に迎えられる画期的作品になった。原作を豊かに膨らませた石坂さんの手腕と共に、アイヌ初の国会議員、萱野茂さん(1926~2006年)の監修を得たことも大きい。「私からお願いし、アイヌ語や絵の描写を全部チェックしてもらいました」
「かわいそう」でなく
『ハルコロ』の復刊に尽力したのが、『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修者、中川裕・千葉大名誉教授(66)だ。
中川さん自身、約30年前から「マンガでアイヌを表現すること」に挑戦してきた。1993年、主宰するアイヌ語サークルで同人誌を創刊、そこで自ら、アイヌ語でマンガの原作も書いた。「僕らの不満は、マンガの中のアイヌ民族が、常に差別され、虐げられた“かわいそうな人々”だったこと。明るく楽しいアイヌのマンガだってできるはずだと、ずっと思っていた」
『ゴールデンカムイ』の革命性は、「自然と調和して純朴に生きる民族」という表層的イメージを破り、裏も表もある、人間くさいアイヌを多数登場させたことだと語る。
「この作品のヒットはアイヌ文化を描いたからではなく、エンタメとして抜群に面白いから。これでアイヌに興味を持ってくれた人は『ハルコロ』に進んでほしい」
美化してないか葛藤も
『ゴールデンカムイ』以後、アイヌを題材にしたマンガは明らかに増えている。かつてのように“タブー視”されることは少なくなった。
マンガ家でアイヌ語講師の成田英敏さん(60)は、2019年に、アイヌ民族の日常を克明に描いた『アコ●コタン』(双葉社)を出した。(●は小さな「ロ」)
成田さんがアイヌに関心を持ったきっかけは、1986年の中曽根康弘首相(当時)による「日本は単一民族」発言だった。アイヌ民族団体が抗議し、大きな政治問題になった。「その時から、いつかアイヌを描きたいと思って勉強を始めた。いいかげんな知識で描きたくなかった」
『アコ●コタン』のセリフは、当初すべてアイヌ語にするつもりだった。2017年のウェブ連載時に日本語との混在になったが、かなりの量のアイヌ語を入れた。「絵と文字を使えるマンガは、アイヌ文化を表現するのに適したメディアだと思う」と語る。
和人としてアイヌを描くことに葛藤はある。「アイヌ文化を過度に美化していないか。和人なのにアイヌ民族の心情を代弁してしまっていないか。いつも悩んでいます」
他にも、森和美さんの『エシカルンテ』(講談社、全2巻)など、意欲的で良質な作品も出ている。「勉強して、精いっぱい真面目に描くしかない」と成田さん。この気持ちが共有されれば、一過性のブームに終わることはないだろう。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210720-OYT8T50122/
神話 生活 言葉…描写正確
「早すぎた傑作」も復刊
国立アイヌ民族博物館などを中心にした「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ)が北海道白老町で開業して1年、アイヌ文化を正しく理解することへの関心が高まっている。その先端を走るのがマンガの世界だ。野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』(2014年~、集英社)の大ヒットを契機とし、先駆的作品として評価される石坂啓さん(65)の『ハルコロ』も、約30年ぶりに復刊された。(編集委員 石田汗太)
連載実現まで7年
岩波現代文庫から先月、全2巻で出た『ハルコロ』は、1989年から潮出版社の月刊誌で連載され、92~93年に単行本化された。長く入手困難だった、早すぎた傑作だ。
15世紀の北海道。和人(内地の日本人)と接触する前のアイヌコタン(村)で、少女ハルコロが成長し、恋をし、新しい家族を作る。アイヌの神話や生活描写は、資料の少ない当時としては極めて正確でリアルだ。
「アイヌについては、ほとんど知識がなかった」と、石坂さんは振り返る。原作は、ジャーナリスト本多勝一さんのルポ『アイヌ民族』。本多さんからマンガにすることを依頼されたのは82年だった。
「それからが大変。掲載誌も未定だったので、いくつかのメジャー誌に私から声をかけ、ネーム(下描き)を何種類も作って売り込んだ。北海道まで取材にも行きましたが、結局、全部没になりました」
その時の編集者の言葉が「もっとバカバカしいものにしませんか」。アイヌを描くことに「壁」のようなものを感じたという。
石坂さんは手塚治虫のアシスタントを務めたこともある。手塚は『シュマリ』(74~76年)で、明治期のアイヌをヒロイックに描こうとしたが、アイヌ側からの忠告もあり、直前で大きく構想を変えざるを得なかった。
『ハルコロ』は連載実現まで7年かかったが、アイヌからも好意的に迎えられる画期的作品になった。原作を豊かに膨らませた石坂さんの手腕と共に、アイヌ初の国会議員、萱野茂さん(1926~2006年)の監修を得たことも大きい。「私からお願いし、アイヌ語や絵の描写を全部チェックしてもらいました」
「かわいそう」でなく
『ハルコロ』の復刊に尽力したのが、『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修者、中川裕・千葉大名誉教授(66)だ。
中川さん自身、約30年前から「マンガでアイヌを表現すること」に挑戦してきた。1993年、主宰するアイヌ語サークルで同人誌を創刊、そこで自ら、アイヌ語でマンガの原作も書いた。「僕らの不満は、マンガの中のアイヌ民族が、常に差別され、虐げられた“かわいそうな人々”だったこと。明るく楽しいアイヌのマンガだってできるはずだと、ずっと思っていた」
『ゴールデンカムイ』の革命性は、「自然と調和して純朴に生きる民族」という表層的イメージを破り、裏も表もある、人間くさいアイヌを多数登場させたことだと語る。
「この作品のヒットはアイヌ文化を描いたからではなく、エンタメとして抜群に面白いから。これでアイヌに興味を持ってくれた人は『ハルコロ』に進んでほしい」
美化してないか葛藤も
『ゴールデンカムイ』以後、アイヌを題材にしたマンガは明らかに増えている。かつてのように“タブー視”されることは少なくなった。
マンガ家でアイヌ語講師の成田英敏さん(60)は、2019年に、アイヌ民族の日常を克明に描いた『アコ●コタン』(双葉社)を出した。(●は小さな「ロ」)
成田さんがアイヌに関心を持ったきっかけは、1986年の中曽根康弘首相(当時)による「日本は単一民族」発言だった。アイヌ民族団体が抗議し、大きな政治問題になった。「その時から、いつかアイヌを描きたいと思って勉強を始めた。いいかげんな知識で描きたくなかった」
『アコ●コタン』のセリフは、当初すべてアイヌ語にするつもりだった。2017年のウェブ連載時に日本語との混在になったが、かなりの量のアイヌ語を入れた。「絵と文字を使えるマンガは、アイヌ文化を表現するのに適したメディアだと思う」と語る。
和人としてアイヌを描くことに葛藤はある。「アイヌ文化を過度に美化していないか。和人なのにアイヌ民族の心情を代弁してしまっていないか。いつも悩んでいます」
他にも、森和美さんの『エシカルンテ』(講談社、全2巻)など、意欲的で良質な作品も出ている。「勉強して、精いっぱい真面目に描くしかない」と成田さん。この気持ちが共有されれば、一過性のブームに終わることはないだろう。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210720-OYT8T50122/