ここアルヒル桟道はれっきとした第二次世界大戦の「戦争遺跡」ですが、カンチャナブリにおけるJEATH、第二次大戦、DEATH RAILWAYの各博物館や ヘルファイヤパスにおける博物館のような資料館がなく、単に現存する鉄道と土産物屋があるだけで、風光明媚であることもあいまってその歴史的背景を見逃しがちとなります。
後世の為、何がしかの資料館があればと思うのですが。
かすかに見えるもう一方のタムクラッセ駅を目指し、引き返す。
線路は崖にへばりつくように敷かれています。何人の方が、この桟道を作る為になくなられたのでしょうか。
歩いて渡るとそうでもないが、列車に乗るとすごい迫力なのだそうです。
途中から下の小道に降ります。
橋桁はこんな感じで並んでおります。バンコク方面。
ナムトック方面。
こうやって見ると、当時の難工事が思い出される。日本軍はなぜこの川沿いのルートを採用したのか。おそらくこの地点は川からの建設資材の搬入ポイントでもあったのでしょう。
クワイ河。
今は使われていない台石。たぶん建設当時のものでしょう。ここアルヒル桟道でもがけ崩れや増水した川に流されたりなどして、沢山の東南アジア労務者、連合軍捕虜がなくなられたそうです。
何もない方のタムクラッセ駅へ上がる階段が見えてきました。
上りきって振り返るアルヒル桟道。その距離およそ300メートルだそうで、大した距離ではなく、歩いて充分渡れますが、線路上を歩く為、時間は20分ほどかかります。つっかけ履きは危ないのと、時刻表度通りに列車は来ないので、ホームに人がいる場合は、列車が来たかどうか尋ねてから渡るべし。
何もない方のタムクラッセ駅へ無事帰還。左に写っているのは乗ってきたワゴン車。運転手のソムさんは、ドアを開け放した車中で居眠りをしておりました。この炎天下よく寝られるなあ。
何もないタムクラッセ駅の上は、空が青かった。今、この地は世界各国からやって来る穏やかな顔をした観光客が絶えません。恐ろしい日本兵や酷使される捕虜、強制徴用労務者もいなければ、鉄道を爆撃に来る飛行機も飛んできません。
後世の為、何がしかの資料館があればと思うのですが。












