かぶれの世界(新)

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迫りくるコロナ(続)

2022-07-22 21:58:26 | 健康・病気
このテーマの記事を投稿した時から何度かアップデートする事態になると覚悟してた。今日の感染者数は全国で19万人を超え、東京はほぼ4万人、神奈川・埼玉・千葉は夫々約3万人、併せて首都圏だけで7万人になった。ここ愛媛県も連日1000人を超えている。

これだけ感染者が増えれば我が家が無傷という訳には行かない。約1週間前に都心に住む長男家族が感染したが、今度は私の自宅に住む家内と末の息子が39度以上になった。家内はPCR検査で陽性になってしまった。息子は検査結果が陰性だったと今日伝えて来た。

娘の家族はまだ何とも言って来ないが、熱心なサッカーファンだ。2日前に家族全員と末の息子と一緒に6.5万人の観衆が入った国立競技場のパリ・サンジェルマンvs川崎フロンターレのゲームを見に行った。最近の状況を考えればコロナ感染もあると覚悟していたが大丈夫だったようだ。

先に投稿したように長男の息子は小学校か塾或いはスポーツクラブ経由で感染したらしい。今回の第7波はワクチン接種比率の低い子供の感染が多いらしい。しかし、私の長男や娘は気は付けているけど重症化する可能性は低いと考え、子供の感染をそれ程恐れていないように感じる。

新聞報道で見ると感染者急増が国民を不安にさせている様子はない。一方、テレビ報道は感染者数19万人越えを深刻に伝え、特に現場の医療関係からの危機感を重点的に伝えている。今回は重症者や死者が少ないので、政治は経済インパクトを減らす方に力点を置いてる。多分、これで良い。

だが、こと身内のコロナ感染となると冷静にしてもいられない。家内によると検査を受けても結果が分からないという。それだけで医療現場の混乱している様子が感じ取れる。来週末には出来るだけ多くの家族に田舎に顔を出して貰い、母の7回忌を無事に済ませたい。■
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ピンクの卵

2022-07-21 18:13:53 | 日記・エッセイ・コラム
いつも山裾歩きを終えると水田を横切って実家に戻る。田植えのあと数週間たち苗が成長してくると、このところ毎年のように水田に奇妙なモノが出て来る。畔道沿いの水田の苗の葉にピンク色の粒粒の塊がこびりついているのだ。タニシの卵だと数年前に聞いたことがある。

子供の頃に田んぼの中にいるタニシを捕って煮て食べた記憶がある。海岸にいる貝ほど美味しくはなかったが、そんなに不味くはなかった。だが、その頃に水田で見たタニシにはピンク色の卵など見たことがない。三日前に畔沿いに小さな網をぶら下げて歩く知り合いの農夫に出会った。

彼に一体何をやっているのか聞くと、タニシを捕っているのだという。苗が一定程度大きくなると大丈夫だが、成長する前の苗は卵の餌になるという。子供の頃はピンクの卵など見たことがないと言うと、中国から入って来た別種のタニシの卵で稲の害になるといい網中のタニシを踏んづけた。

潰れたタニシの殻からピンク色の粒粒が出て来た。殻を潰さないと水田に戻り、再度稲の葉に卵を産み付けるのだそうだ。なる程と頷いて私もタニシを踏みつけた。彼と別れて畔道を気を付けて歩くとあちこちの水田の稲や給水溝の壁にピンク色の卵がにしがみついていた。

ピンクの卵は水田によって多い少ないの差があった。農機具で作業するだけではピンクの卵は排除できないので、出会った農夫の様に手作業で処理する必要があると思われる。農地の持ち主が若いか年寄りか、自作農かどうかで変わってくる。水田がピンクかどうかで見分けがつくという訳だ。■
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テレビに影響される後期高齢者

2022-07-18 21:32:17 | テレビ番組
一昨日の夜見たテレビ番組「初めてのお使い」で、可愛い幼児がお買い物に悪戦苦闘して頑張る姿を見る度に涙が出て来た。ちょこちょこ歩く姿を見るだけでホロっと来る。私は元々涙もろかったかもしれない。ずいぶん昔のことだが、娘が私が泣きそうなテレビ場面になると教えてくれると家内に言われたことがある。

実は、今はそんなものじゃない。昨日は幼児が出てきてお使いを済ませ母親に褒められて抱きつく所で、毎回のように泣いてしまった。私は子供がその年の頃は仕事ばかりしてそんな経験がない。ただ一度の人生なのに与えられた貴重な子育てを経験できず残念だと思ったせいかもしれない。

番組が始まった頃は良く見たが、今回久し振りに見ようと思ったのは海外で人気だとネットニュースを読んだからだ。確かに、子供というより幼稚園児程度の子供に買い物を行かせる国なんて日本しかない。日本では当たり前のことが海外ではあり得ないことを改めて誇りに思ったからだ。

もう一つ昨日見たテレビ番組で日本舞踊の名取になった若い女性が、運送業社長の父親が重い病気になったので資格を取って大型トラックの運転手になり父を助けている話。こちらの方は若い女性なので驚いても泣きはしない、興味をそそられたのは大型トラックの方だ。

米国ワシントン州で働いた時に「18‐ウィーラーズ」という木材運送用のトレーラー・トラックをよく見かけた。同州や隣のカナダから日本に大量の木材が輸出されていた。雨の多い同州で通勤時に18‐ウィーラーと並行して走り、水しぶきで前方が見えなくなりパニくった記憶がある。

何でも大きいアメリカだが、ここ四国の大洲盆地で時折「22‐ウィーラー」を見かける。トレーラー(非牽引車)に4タイヤ/列が後方に3列、前方に2列あり計20タイヤ、前方の牽引車のタイヤを加えると22タイヤ。馬鹿みたいに長いトレーラーをつけて走るトラックは迫力ある。

後期高齢者になって、何だかテレビネタがどんどん増えてきた気がする。自ら直接経験することなくテレビで見たり昔の記憶で涙を流し感動することばかりだ。■
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安倍後の外交を予測する(2)

2022-07-17 21:04:34 | 日記・エッセイ・コラム
安倍元首相が亡くなった翌日の国内メディアの報道は森加計桜等を取り上げる等概してクールな評価だったが、たった1日で一転して元首相の功績を高く評価し彼の死を悼む論調に変わったという印象がある。多くの国民が元首相を追悼し海外の政治家や識者が安倍氏を実績を称える海外一流紙の報道を見て、風向きが変わった様に感じて情けない思いをした。

何故、日本のマスコミは安倍氏の活動全体を見た上で総合的な判断が出来ないのだろうか。活動全体を把握した上できちんと評価できない「三流日本マスコミ報道」を嫌になる程見て来た私には、今回のみっともない豹変も残念ながら想定内でやむを得ないという気持ちもあった。

安倍元首相は世界の政治家達が右往左往していた時、日本トップというより世界のリーダーといってもおかしくない実績を上げたと私が認識した時がある。それは、トランプ大統領が離脱を表明したTPPを慌てることなく残りの国を取り纏めTPP11を成立させた時だ。安倍氏がいなければTPP11は成立せず消滅したと思う。

これは凄いことだ、日本人政治家がこんなことできるのかと安倍元首相が世界に通じるリーダーシップを発揮した政治力に驚かされた。その後も彼は日中関係改善に努める一方で、「自由で開かれたインド太平洋」を打ち出しその後の自由民主主義国の基本コンセプトとして受け入れられた。

紛れもなく彼は世界政治のリーダーとして世界各国から注目され評価された。だが、その一方で国内マスコミは森加計桜等のマイナス情報に比重を置いて報じ、彼等の報道量を通算すると否定的な情報の比率が多くマイナス印象を与えていた。その延長が元首相暗殺直後の報道に現れていたと思う。

翌日一転して報道の基調が変わったのは、冒頭に述べたように安倍元首相に対する内外の高い評価を突き付けられた、従来の報道姿勢とのギャップに気付き路線変更を強いられた結果だ。正直言うと、それが報道姿勢の基本的な見直しか一時的に現実的な対応をしたのかまでは分からないが。

加えて私の個人的な考え方だが、日本のマスコミの中にまだ「戦後民主主義」の残滓が残っており、それが従来の報道姿勢に反映されていたように感じる。つまり、海外から透明なガラス越しに日本を見たのに比べ、日本マスコミは曇った眼鏡で見ていたと私は疑う。私は昭和40年代初めに社会人になった時、自動的に共産党・社会党を支持する労働組合員になった。

私が30代後半に幹部社員になり経営側になるまでの15年間の組合員の経験では、両党は春闘での賃上げ交渉等の組合活動とは別に、時に戦後民主主義を押し付けるような印象があった。それが組合からの支持を徐々に失い別の道を歩み、結果的に野党の離散集合の遠因になった印象がある。

にも拘らず、日本マスコミは労働組合と野党勢力との離散集合の本質を理解してない、或いは分かっていても自らは認められなかったことが、突然の元首相暗殺で露わになった原因なのではないかと推測する。彼等は私が具体的なデータを基に議論せよという主張に反すると思った。そういう私の思いつきだが、これが1日でマスコミに変心させた理由として私の心の隅に芽生えた疑いだ。■
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明るくなるまで待って

2022-07-15 21:40:08 | 日記・エッセイ・コラム
今朝起きるて何時もの様にベッドで血圧や体温・体重を測り、書斎でテレビニュースの始まりを確認して1階に下りた。今朝は曇天で階下は薄暗かった。台所の灯りのスイッチを押したが点灯せず、食事をする台所の隣の居間の灯りやテレビも電気が入らなかった。

2階は電灯もテレビ等全て問題なく動いたのに1階の家電は何故か動かなかった。ということは1階の電気のブレーカーが飛んでいるということだと気付いた。それにしても薄暗い。玄関の裏側のブレーカー箱の蓋を開けると、大元のブレーカーがOFFになっていた。

実は大元と思ったのは間違いで、1階のみの電気をオンオフするブレーカーだった。20年弱前に退職後実家の2階を全面改装した時、2階は使用目的ごとにブレーカーを設定したが、1階は全電気供給に対してブレーカー1個の昔のままになっていたようだ。

それから、昨夜就寝後の真夜中に大音響とともに雷雨が降ったことを思い出した。その時に1階のブレーカーがぶっ飛び、2階の個々のブレーカーは何ともなかったようだ。滅多に触ることのない1階のブレーカーをオンにすると、それまでに私が触った部屋の灯りや家電に電気が入った。

多分、1階のどこかで微妙に漏電があり、そのせいで昨夜の雷でブレーカーが飛んだと思われる。どうしていいか分からないので、そのままにした。もし2階に漏電があったら厄介なことになっていたかも知れないと思う。

この記事の題を「明るくなるまで待って」にしたのは、昨日NHKのテレビ映画「暗くなるまで待って」を見たからだ。盲目の主人公(Aヘップバーン)が強盗に襲われ、夜中になるのを待ち真っ暗い部屋で盲目の弱点を有利にして強盗をやっつける映画だ。聞いたことはあるが初めて見た。

昔の農家の造りの1階に階段を下りて行く時に、薄暗くなって見づらくなり昨日見た映画を思い出した。特に北側の居間はカーテンが閉まっていると外の光が殆ど入らない。今まで私はリモコンでテレビを点けて灯代わりにしてたことに気付いた。

だが、それは現代の話。築100年以上の実家では祖先は明るくなるまで待って食事を準備したのか、それともランプか蝋燭を点けて朝食を食べたのだろうか。■
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