かぶれの世界(新)

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限界集落の災害復旧のキーワード

2020-07-05 14:57:54 | 社会・経済
西日本豪雨から2年たち復旧が形になってきたように感じる。今朝NHKの地方局が作成した西日本豪雨後1周年の宇和島市の山間部の小さな集落の復興状況を伝える特集を再放送していた。33人のミカン農家の小さな集落が1年後に人口が6割に減少し、愛媛県の新しいミカン発祥の地の存続のため残った人々の報われないかもしれない活動を描いたものだった。

昨日の記事「田舎暮らし雑感2020(2)」に書いた滞在中の実家(大洲市)での生活も西日本豪雨後の限界集落の生活を紹介した。地方都市の隅にはどこにも限界集落がある。1年後帰郷してみた風景は、河川の補強や表通りの新興商店街は復旧したが、公園や球場など生活に直結しない施設などの復旧は後回しになっていた。だが、2年後には見かけ上ほぼ全て復旧されていた。

実は私がテレビ番組を見て心を動かされたのはもっと些事にわたることだ。被害を受けて出て行った老婆が集落に戻って復興活動中の人達におにぎりを作っていた。彼女が50年以上前の思い出として、ミカンの穫り入れを終えると他家のミカン採りを手伝いに行った。集落の皆が協力し合ったという。豪雨の後に集落に復旧のため昔の共同作業が復活した。

私はこの放送を見て60年前の子供の頃を思い出した。田植えの時期なると、共同苗場で育てた苗を集落の人達が集まって田植えした。田植えは集落の一大行事で、農繁期の3日位学校は休みになり、小学生だった私も田植えに参加した。今は農協が苗を供給し、機械が田植えをやってしまう。今の稲作は田植えと取入れを1週間かけ機械がやる。農業の共同作業がなくなった。

今は集落全員が集合して何かするのは道路清掃くらいだろうか。主な目的は通学道路を安全に清潔を保つ為だが、子供が毎年減って行く姿を見ると目的を失ってしまうのを恐れる。特に私の実家のある小集落は数年前から子供の姿が消えた。限界集落が消滅に向かっていると陰鬱な気分になる。

災害復旧のための共同作業は集落が存続するためのキーワードだと強く感じた。だが、もう一つのキーワードは子供だ。番組では子供の姿が見えなかった。大人が元気な当座は何とかなるとして、10年後、20年後には復旧したミカン農業を存続させる人が残っているだろうか。2年後の復旧状況を伝える特集が今後放送されるというが、集落の持続性にまで切り込むだろうか。■
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