かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

適者生存の法則は残酷に働く

2006-12-23 22:09:23 | 日記・エッセイ・コラム

数日前に名前は忘れたが外から持ち込まれた肉食魚がタンザニア湖の生態系をすっかり変えてしまったとテレビ番組が伝えていた。従来からタンザニア湖に住んでいた魚が餌になって以前の3割に激減したという。琵琶湖に放流されたブラックバスが異常繁殖しているのと同じパターンだ。

しかしケニヤの場合はもっと深刻な事態になっていると番組は続けていた。この肉食魚は白身でスズキに似た中々の美味らしい。切り身にして主として欧州と日本に輸出し、それなりに現地経済を潤しているが、それが人々の生活を変えてしまったと。

他に現金収入のない現地の人達の昔からの生活を一変させ、コミュニティ、特に子供の生活環境を破壊してしまったと報じていた。これは善悪では語れないが結果は意図したよりもひどく残酷だ。生物の世界でもビジネスの世界でもダーウィニズムは時に最も非情な形で働く。

午後食料の買い出しに出かけ、その後回り道をして撤退したと聞いていたスーパーの様子を見に行った。撤退するところがある一方で、その1km四方内に新しいスーパーが2軒開店したという。人口4万の地方の小都市に何故これほどダイナミックな競争が起こっているのか理解できない。

確かに最近高速道路が南に延びて商圏が一気に広がった。といっても多分10万人にも満たないはずだ。城下町で鉄砲町とか塩町とか名前の付いたかつての繁華街が殆ど閉店状態で、全ての客が郊外に移って行ったとしてもスーパーのほうが多すぎる。

しかしそれよりも驚くのはパチンコ屋の繁盛振りだ。撤退したスーパーの巨大な平屋の建物はパチンコ屋に改装中だった。出来上がれば見たこともない規模のパチンコ屋になるだろう。近くに大きなパチンコ屋が何軒もある。そんなにお客が来るのかと心配になる。私には謎だ。

城下町の狭い通りの由緒あるお店が郊外のスーパーに飲み込まれ、そのスーパーがパチンコ屋に飲み込まれる。まるで食物連鎖のように。ここでも最も原始的な形で競争が行われ適者生存のルールが適用されている。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和歌山と福島県民の選択

2006-12-19 22:45:48 | 国際・政治

村前知事辞任に伴い日曜日に実施された和歌山県知事選は、投票率が過去最低の35%で仁坂吉伸氏が新知事となった。有権者数86万人のうち55万が棄権し、20万人弱が仁坂氏に票を投じた。官製談合を許さないという気持ちはあるが民主党が候補者を出せず抗議の意味を込め棄権が増えたという。

一方その1週間前に実施された福島県の出直し県知事選は60%弱の投票率で49年ぶりに非自民候補が県知事になったという。投票率の差は自民・民主がそろって候補を立て、その他の候補を含め5人が激しい選挙戦を戦ったから高い投票率になったという。私が常に注目するのは選挙民が発したメッセージが何かである。

同じ背景で実行されたはずの選挙にもかかわらず和歌山県の異常に低い投票率に私は注目する。和歌山は政治後進県と見るのが自然だ。和歌山県の民度はその程度だから前回の知事選でも37%の投票率、今回は更に低下したのだ。

報道を見る限りでは県民にその反省がないように思える。「自分が選んだ人が間違いを犯した、しかも自分が払った税金を無駄に使い借金を増やした、何時かそのツケを自分が払わなければならなくなる。」とは思っていないようだ。

和歌山市など投票率が20%台だったという。もうこれは民主主義のプロセスを放棄しているとしか言いようがない。その結果で自治体の財政が悪化しても他人事で、地方格差を理由に国費で何とかしてくれると思っているのだろうか。そうではないと思いたいが結果はそうなっている。

伊民報の詳しい記事には談合が起きた分析・背景説明には熱心で、それに対して県民の政治不信とか強いリーダーシップを望む声を伝えるだけ。前知事の支持基盤の脆弱さが談合を生む素地を作ったという。一歩踏み込んで民度の低さが政治に反映されたとはいえなかった(上田貴夫記者)。幾らなんでも読者に唾することは出来なかったようだ。

その中で読売新聞はさすがというか「和歌山県民の良識が問われ、それが試される知事選で、過去最低の投票率という恥を曝した」という、私からいうと真に適切な受け取り方をしていた。しかし、その理由として民主党候補擁立断念だけで説明を済ませたのは残念だった。

福島県では有力な候補の戦いが投票率を高めたという分析が有力のようだが、地元の分析を見ると旧来の「会津対磐城の地盤の戦い」に加えて、勝負を決めたのは直前に「農協と建設業界の支持」が佐藤氏に回ったからという。

従って選挙は地域と支持団体の利益誘導を原動力にした集票力が勝敗を決する、いわば古い体質が温存される形で決着したと地元のブロガーが指摘している。こうなると投票率の低さで一方的に和歌山県の民度を云々すると、お前は何様のつもりだといわれそうだ。

結局のところ選挙で誰が支持したかがその後の政治に反映されるとしたら、投票率だけで軽々しく云々できない。が、少なくとも両県民は自分の選択とその結果に責任を感じて欲しい。その上で改めて投票権を行使するのは民主主義を守る最低限の国民の権利であり義務であると申し上げたい。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

景気は街に出て聞け・地方版

2006-12-18 11:47:50 | 社会・経済

山市の繁華街を数日前に歩き1年前に比べ景気がよくなっているのを肌で感じた。しかし、実際のところがどうなのか知ってて言ったわけではない。

上手い具合に先週金曜日に日銀短観が発表され私の感覚を具体的に数字で検証することが出来た。それによると企業が景気をどう見ているかを示す業況判断指数(DI)では、大企業製造業が3期連続で改善し+25だったという。設備投資が活発で雇用も拡大しているという。

非製造業も改善したが大企業の小売や個人サービス業の消費領域が悪化し、企業の好調さが家計に反映されない所謂「好景気を実感できない」状況を具体的な数字で説明された。やはり賃金レベルでの改善がないと消費は回復しないというのが実感だ。

媛県の景況感が全産業で前回より5ポイント改善し-2になったと16日付日本経済新聞の地方版が報じていた。製造業は+17、非製造業は-16でいずれも前回より改善されたという。日銀は景気回復の裾野の広がりが感じられるといっている。

松山市の繁華街の殆どは中小企業の小売業に分類される。非製造業の景況感は依然マイナスだが、よくなっていると感じているお店が増えてきたというわけだ。「景気は街に出て聞け」という言葉は結構的を射ている、まんざらではない。

しかし、昨夜バドミントンクラブの忘年会に招かれて参加した席で自営業を営んでいるリーダーに聞くと、「景気回復の裾野の広がり」は彼のところまで到達していないとの返事だった。そんな実感は全くないとのこと。県庁所在地の1区と周辺の3区では景気回復の差が出ているということだろう。

それは四国の県レベルの景況感にも現れていた。香川県が全国平均を上回り、徳島県と愛媛県が遅れて改善の兆しを見せ始めた一方で、高知県は依然として悪化の道をたどっている。香川県に多くの大企業の支社があることと、そこから最も遠いのが高知県という構図は日本全体の縮図になっていると感じる。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オシムの教え

2006-12-17 06:57:07 | スポーツ

シム監督が日本人選手の二つの問題点について語っているのを数日前の深夜スポーツ番組で見た。

一つは個としての自信の欠如、二つ目は責任感の欠如。

プレイヤーが自分の能力に自信が持てず勝負しないのを何度も見てきたから、一つ目は理解できるが、二つ目は私には意外だった。

攻守に献身的に働いているプレイヤーが沢山いるじゃないかと。彼らは責任感がないのか。

これは監督などの当事者にならないと判らないことと思った。

しかし、よく考えると彼の指摘はスポーツの世界だけじゃない。今、日本で起こっていることはこの二つに起因することが多いと思う。

結局のところ彼は日本人論を語ったのだ。

それは至極当然、サッカーは文化、その国ごとのサッカーがあると言われることを思い出した。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やらせの構造

2006-12-16 12:18:45 | 国際・政治

ウンミーティングの「やらせ質問」問題は安倍首相、塩崎官房長官と担当大臣が給与返納、担当省の官僚の処分、更に本日内閣府の担当室長を更迭した。これ以上の国民の内閣支持率低下を食い止めたいという安倍首相の強い危機感を感じる。

私にはやらせ質問と最近の官製談合に共通する問題があると考える。それはトップを取り巻く周りの人達の異常な忠誠心競争であり、それが往々にしてモラルに優先し、時に法を犯す程度にまでエスカレートすることである。彼等のちっぽけな功名心が全体を危機に陥れる典型的なパターンだ。

処分された官僚達はミーティングの重要性を認識したのか、イベントを首尾よく成功させる実績がキャリアのために重要と考えたのか、おそらくその両方が理由で政権の信頼を危機に陥れる手段をとった。どこかで価値観が逆転している。

最近辞任した県知事のケースがその通り当てはまるかどうかは分からないが、何か同じものを感じる。県知事自体の素材の問題もあったろう。県知事の絶大な権力に逆らえなかったと報道されているが、逆にそれに取り入って利益を得た役人も多くいたはずだ。

知事の周りには選挙の集票の為必ずしも本人が意図したわけではない人達が集まり、票と彼等の利益が行政と連動して活動する。報道された範囲では内部告発ではなく、従来談合で得ていた利権を失った業者の告発だった。その意味で地方公務員の優先順位は明確だった。

はやらせは官だけかというとそうでもない。民間の会社に勤めた時他から見ていると見苦しいばかりの忠誠心競争を何度も見てきた。私にはこのやらせの構造は、殆ど日本人のDNAといって良いくらい根強いものがあると感じる。(必ずしも日本人だけではないが。)

しかし現実的に言うと正しい質問で会議を始めると、その後の討議が建設的になり実りある成果を得ることが多い。イデオロギー原理主義者を排除しないと会議が滅茶苦茶になるのもよく理解できる。営利目的が明確な民間会社の会議では意図的なやらせ質問でさえ目的にあっていれば違和感がないが、政府主催のミーティングにそのロジックは持ち込めない。

政府の主催する会議は民間のビジネスとは異なりその正統性、道徳性を保つのは必須条件である。今回官僚は民間の広告会社にタウンミーティング運営を丸投げしたところでその論理が抜け落ちた可能性がある。しかし基本的には彼等自身の価値観に問題があった、それは彼等に共通するやらせの構造であったように思える。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする