木 |
村前知事辞任に伴い日曜日に実施された和歌山県知事選は、投票率が過去最低の35%で仁坂吉伸氏が新知事となった。有権者数86万人のうち55万が棄権し、20万人弱が仁坂氏に票を投じた。官製談合を許さないという気持ちはあるが民主党が候補者を出せず抗議の意味を込め棄権が増えたという。
一方その1週間前に実施された福島県の出直し県知事選は60%弱の投票率で49年ぶりに非自民候補が県知事になったという。投票率の差は自民・民主がそろって候補を立て、その他の候補を含め5人が激しい選挙戦を戦ったから高い投票率になったという。私が常に注目するのは選挙民が発したメッセージが何かである。
同じ背景で実行されたはずの選挙にもかかわらず和歌山県の異常に低い投票率に私は注目する。和歌山は政治後進県と見るのが自然だ。和歌山県の民度はその程度だから前回の知事選でも37%の投票率、今回は更に低下したのだ。
報道を見る限りでは県民にその反省がないように思える。「自分が選んだ人が間違いを犯した、しかも自分が払った税金を無駄に使い借金を増やした、何時かそのツケを自分が払わなければならなくなる。」とは思っていないようだ。
和歌山市など投票率が20%台だったという。もうこれは民主主義のプロセスを放棄しているとしか言いようがない。その結果で自治体の財政が悪化しても他人事で、地方格差を理由に国費で何とかしてくれると思っているのだろうか。そうではないと思いたいが結果はそうなっている。
紀 |
伊民報の詳しい記事には談合が起きた分析・背景説明には熱心で、それに対して県民の政治不信とか強いリーダーシップを望む声を伝えるだけ。前知事の支持基盤の脆弱さが談合を生む素地を作ったという。一歩踏み込んで民度の低さが政治に反映されたとはいえなかった(上田貴夫記者)。幾らなんでも読者に唾することは出来なかったようだ。
その中で読売新聞はさすがというか「和歌山県民の良識が問われ、それが試される知事選で、過去最低の投票率という恥を曝した」という、私からいうと真に適切な受け取り方をしていた。しかし、その理由として民主党候補擁立断念だけで説明を済ませたのは残念だった。
福島県では有力な候補の戦いが投票率を高めたという分析が有力のようだが、地元の分析を見ると旧来の「会津対磐城の地盤の戦い」に加えて、勝負を決めたのは直前に「農協と建設業界の支持」が佐藤氏に回ったからという。
従って選挙は地域と支持団体の利益誘導を原動力にした集票力が勝敗を決する、いわば古い体質が温存される形で決着したと地元のブロガーが指摘している。こうなると投票率の低さで一方的に和歌山県の民度を云々すると、お前は何様のつもりだといわれそうだ。
結局のところ選挙で誰が支持したかがその後の政治に反映されるとしたら、投票率だけで軽々しく云々できない。が、少なくとも両県民は自分の選択とその結果に責任を感じて欲しい。その上で改めて投票権を行使するのは民主主義を守る最低限の国民の権利であり義務であると申し上げたい。■