3年前に高齢者と言われるようになって、やたら高齢者のニュースが気になった。しかも急増したと感じる。3年前から団塊世代が高齢者になり、一気に高齢者比率が高まった。今や4人に一人が高齢者だという。マスコミが報じるニュースは高齢者が増えたことによるマイナスの事態が圧倒的に多い。気が重くなるのは深刻なニュースが多いことだ。
最も心配なのは医療費などの社会保障費がほぼ40兆円になり、更に増加する見通しだという。高齢者の一人当たりの医療費は現役世代の3-4倍になるという。高齢者が自分たちより人口が少ない将来世代にお金を借りて年金を受け取る現行制度は誰の目にも持続できない。だが、政治は反発を恐れ痛みを伴う抜本的な改革になかなか手を付けられない。
年金や医療費の抑制の議論が始まると、必ずと言っていいほど「死ねと言うのか!」と叫ぶ老人の声がテレビ画面に流れる。私はそれを見るたびに嫌な気分になる。それじゃ、子供達に将来金を払わせて平気なのか、私はこういう無責任な連中と一緒にしないでと思う。マスコミはこんな最低の人達(失礼!)の声を代表させて報じていいのか、それで子供達の将来を決めることになって平気なのか。この場合、弱者は老人ではなく意思表示することが出来ない子供なのだ。
私はこれ程感情的な気分になったのは、幼い子供の母親が働き続ける為に保育園を増やしたら、近隣から子供の声がうるさいと言うクレームが急増したというニュースを見たからだ。背景には総論賛成各論反対という身勝手さと、近年老人夫婦や単身所帯が増え老人が子供に慣れてないからだという。番組では言わなかったが、この人達は身勝手で全く世の中の事情が分かってない。保育園を増やしているのは、結局のところあなたたちの為なのです、と報じるべきだ。
田舎にいる時、交通事故の7割が高齢者が関わったものだとローカルテレビが伝えていた。しかし、この傾向は都市部でも同じらしい。最近増加が目立ち問題になっている高速道路の逆走の多くは老人が引き起したものだという。それでもって、将来ある若者が巻き添えを食って犠牲になるケースがあるという。こんなニュースに接すると、高齢者の私に問題を突き付けられた気になる。もしかしたら急増する私達高齢者は国を滅ぼすことにならないかとても不安だ。
しかし、高齢者も寿命が尽きるまで生きていかねばならない。問題はどう生きるかだ。私が子供の頃の老人は年をとっているだけで尊敬されていた。彼等は人の迷惑にならない、自助の精神に満ちていた。社会保障は雀の涙程度でも「死ねと言うのか」等とは恥ずかしくて絶対言わなかった。現代の老人は死ぬまで健康でいるよう最大限の努力をすべきと思う。これがベースだ。その上で運の悪い人は初めて助けて貰える。「死ねと言うのか」と言う元気のある人はまだ大丈夫だ。
悪いニュースばかりではない。一方で、日本の高齢者は最もお金を持っている。今、団塊世代の老人が消費を引っ張って景気を支えているという。海外の老人に比べ働く意欲を持っている人も多いという。そう言いう私はケチだし働くのも嫌だが、子供達の為にはお金を使いたいし、出来るなら死ぬまでボケずに知的生活を続ける努力をしたい。■
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