かぶれの世界(新)

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原付バイクの思い出

2024-06-27 16:51:40 | 日記・エッセイ・コラム
ホンダの50cc原付バイクが来年5月に生産終了すると先週土曜日に報じられた。私には思い出がある。まだ10代の頃だったが、父が通勤に使っていた原付バイクをくれた。彼は代わりにマツダの350ccの軽自動車を買って通勤するようになった。

まだ学生の頃だったのだが原付バイクで遠乗りしたとかの記憶はない。ガソリンタンクは1.8リットルで、リットル80キロ位走ったので効率よく走れば満タンで200キロ近く走ったと思う。当時はヘルメットを被る必要もなく、自転車代わりに裏道を走った程度だった。

東京に出て会社勤めを始めてからバイクに乗らなくなった。30歳前後の夏だったと思うが、担当プロジェクトが無事終わり地元のお祭りに出かけた。バイクショップが広場で出張販売しているのを見て、急にバイクに乗りたくなった。原付時代に大型車の免許を取っていた。

ふと思いついてホンダの125ccを買った。ふと思いつくのは後期高齢者の今も続く私の特徴だ。その場で買って自宅に乗って帰った時、私の記憶では家内の反応はなかったと思う。彼女は何も言わなかった気がする。申し訳ない事に何度も相談なく思い付きで大事なことを決めた。

それをきっかけに、何度かバイクを買い替えた。そんなにお金がある訳ではなく、その後買い替えたのは全て中古車だ。当時はヤマハのレーサーモデルの2ストローク車が若者の人気だった。私はエンジン音が気に入らず、気に入ったのはスズキのカタナ250のカウリング付きの改造車だった。中古車には買いやすい値段の改造車があった。

当時400ccモデルが欲しいと思ってたが、ある機会で試乗した時急カーブで車体を傾けた時ふらついて一瞬恐怖を感じた。マシーン重量とエンジン加速のバランスをうまく取れなかった。それ以来これ以上のエンジンのマシンに乗らないと決めた、ある種正気に戻った。

それ以降は10年以上カタナであちこちに行った。家内や子供を乗せ、会社の女の子を送っていったこともある。週末になると河口湖や軽井沢まで軽く走るとか、長野や鹿島のバドミントン合宿に参加、大阪の妹宅に顔を出して四国の実家に帰省、東北の米沢に仕事で行ったりした。

バイクが若い頃の生活を豊かにしてくれたと思う。この間危険な目に会い怪我をしたこともあるが、運よく他人に迷惑をかけず大事にも至らなかった。この経験がその後の車の運転にも影響を与えたと思う。90年代に米国に暮らした時に、初めて移動手段として車に乗った。そこで、高速道路で2度もスピンしたが私も他の誰にも怪我させることなかった。

退職後は年の半分の田舎生活にマツダのスポーツ車が曲がりくねった山間道路をぶっ飛ばす楽しみを与えてくれた。2年前に居眠り運転で事故り廃車する羽目になった。又、別の機会があれば報告したい。全ては、60年近く前に父がくれたカブから始まった人生の一部だと感じる。振り返ると、私はやりたい放題、子供達にこんな危険な生活はさせなかった。父に感謝する。■

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