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ホワイトカラー・エグゼンプション

2006-12-28 21:40:22 | 社会・経済

生労働省の労働政策審議会・労働条件分科会は昨日、労働時間規制の適用除外(ホワイトカラー・エグゼンプション)を含む雇用制度変更の最終報告を明らかにした。厚生省は年明けの国会にこれを元に労働基準法改正案を提出すると報じられている。

審議会では経営者側と労働者側がどこから適用除外を適用するか線引きで厳しく対立し意見の一致に至らなかったが、政府は対象者の年収を800900万円に調整する見込みと見られている。一方、過労死家族会など導入そのものに反対する意見も根強いと報じられている。

従来から管理職(会社によって課長だったり係長だったりする)は労働時間ではなく職務と成果に対して報酬を得ていた。今回はこの時間規制のない働き方をホワイトカラー全体に広げようというものだ。経営者側には固定費(人件費)を抑制し競争力を高めようという狙いがあり、労働者側は労働強化と実質給与ダウンと反発した。

背景にはグローバリゼーションが進み競争が激化したことが挙げられているが、もっと深いところに産業構造の変化があると私は考える。つまり日本の産業構造が資本と人材を長期的に固定する製造業から、短期的な収益を重視するサービス産業に徐々に転換していることが底流にある。

ホワイトカラー・エグゼンプションはあるべき姿と私も思うが、それは雇用システム・トータルで考えなければ機能しない。しかし、NHKによると昨年未払い残業代が233億円だったという企業の姿勢を放置し、米国のように担当業務が明確でなく、気に入らなければ容易に転職できるシステムがないまま導入されると、単なる労働強化と反対する労働側にも一理ある。

国で私が90年代に働いたとき、工場には所謂アワリー・ワーカーと呼ばれ時給で働く労働者と、エグゼンプトといわれるホワイトカラーがいた。もちろん給与が異なるのだが、考え方として収入よりも働く形態で2種類に分かれていたと思う。

それが上手く機能していたのは文化の違いだけでなく日本とは異なる雇用システムがあったからだと思う。私が勤めた会社では、原則として上司がホワイトカラーの職務記述書を作成し、それに合ったスキルを持った人材を雇用、本人と面接して業績評価し双方合意でサインをして給与が決まる。一連のプロセスは直属の上司や人事部門の支援と承認を得ながら実行される。

従ってホワイトカラーと会社の関係というより上司との関係の比重が高く、上司が転職すれば後を追って転職することも多い。その人間関係は意外にも日本より余程濃密で、部下の評価の妥当性も職務記述書に基づきしっかりやられていた印象を持っている。それは一方で上司の評価でもあったからであり、匿名の会社組織に対するより部下の声が通りやすい側面があった。

私が初めてこの人事考課のプロセスを経験した時は大変苦労したことを記憶している。貴重な人材を会社に留めて仕事をして貰うため経営者にとって極めて重要な仕事だった。有能な人材とは業績評価で認識合わせをし、予算の制約下で給料やボーナス額を提示し、場合によっては身体を張って本社と交渉し引止めの為の好条件を引き出した。

本では上司が雇用にかかわることはなく、私の数年前迄の現場経験では職務記述書はあってもそれが日常業務や業績評価の重要な尺度として使用されることはなかった。社員間の業績評価に序列・バランスを最終的に優先していた。従って、端的に言うと管理職になる前は仕事で成果を挙げるより会社に長時間いるほうが給与は沢山貰える仕組みだった。

かつての大蔵省の護送船団が陥った罠と似ていないだろうか。日本の金融機関はパフォーマンスが良かろうと悪かろうと競争せず行政指導の下仲良くそこそこの業績を出していたが、国境の垣根を取り外したら世界の金融ビジネスから取り残されていた。労働市場も例外ではない。

そんな働き方を続けて国境の壁が低くなり労働力が流動化し、気がついたら日本のホワイトカラーの生産性が低く競争力がなかった。現在の報酬は寝食を忘れ新製品開発に没頭した技術者や新規市場を開拓した営業マンの成果を合わせて均したものと解釈してよい。

日本の会社で年功序列を廃したが中々上手く運用できず、従来の人事システムにUターンした、もしくはチーム評価にJターンしたという報道を見かける。それは人事評価だけを取り替え全体の人事システムはそのままというところに関係してないだろうか。

ワイトカラー・エグゼンプトの行き着く先は、実はホワイトカラーの能力・業績を厳密に評価しそういう人には高い報酬を、後をついていく人にはそれなりの報酬を与えるという、今流行の「格差」を更に思い切り拡大するシステムの導入に他ならない。

一般に組織において職位に関係なくある比率でリーダー、追随者、無関心層、落ちコボレと呼ばれているグループに分類することが出来る。イメージとしては、例えば5:70:20:5程度の比率。従来はこれらの人が職場で混在し同じ仲間として働いたが、そういう職場環境は存在しえなくなる可能性がある。

誤解を恐れないで言うと、ホワイトカラー・エグゼンプションは「自己主張」と「自己責任」を追及する労働力の市場原理主義というと分かりやすい。これはオシム氏が日本人選手の欠点として指摘したことと同じだ。個の強い主張とチームの一員としての責任を果たす両方が求められている。

しかしながら果たして日本の現行雇用システムの下でこの適用除外だけが導入されるとどういうことが起こるのか、かなりの混乱が起こるものと私は予想する。日本では実質労働者の選択肢がないからだ。これに対し労働組合側の姿勢はかつてのゼネコンが救済を求め結果的に業界全体を弱体化させたのと同じで、日本人労働者の競争力をスポイルする。

今、労働側にとって是非とも必要なのは闇雲に反対するのではなく、ホワイトカラーの選択肢を増やす制度(例えば転職時の年金の移行など労働市場の流動性を高める)をパッケージにして導入し、会社と社員の雇用関係のバランスをとる方向に向けて努力すべきと考える。■

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