レッドソックスの上原投手がプレイオフで大活躍したのは記憶に新しい。試合後のインタビューで彼の子息が現地の子供と同じような受け答えをして観客に大うけしたことが、日本でも繰り返し報じられ話題になった。米国に何度も出張し短期間住んだこともある私は、子供の自然な受け答えを見て羨ましく思った。彼は文字通り一言、たった一つの単語を言っただけで観客は沸いた。
私がビジネスの世界で本格的に英語を使い始めたのは40歳前後だった。場数を踏み慣れてくるとそれなりに英語でのコミュニケーションは出来るようになった。英語のコミュニケーションなど端から諦めている人達にとって、私は英語が使える人だった。だが、私は米国に住みTOEICの点数が上がった後も厳しい交渉の席で、相手の言っていることが正しく理解できているか、自分の言いたいことが伝わっているか、ずっと不安だった。
ある打ち合わせの席で、当地の名門大学を出た若手の部下のプレゼンテーションが私から見ると凄く簡単に終わった。私はそんな説明でちゃんと伝わったか、説明不足で相手が理解できなかったのではないかと心配になった。言葉足らずじゃないかと。
そんな私の心配を見透かしたかのようにアテンドしてくれた海外事業支援部門のベテランが、あれで十分伝わっているんですと耳打ちしてくれた。我々のような年を食ってから身に付けた英語だと、微妙な言い回しを適切に表現する自信がないから、言いたいことを多くの言葉を費やして説明する言い回しになると彼の経験談をしてくれた。部下は説明抜きにただ必要なことを言い理解されただけだと。
それを聞いて納得した。私は毎回そういうう心境になる、身に覚えがあるからだ。だが、一時でもその土地で育ち教育を受けた訳でもない私には、それしかなかった。単独で交渉の席に向かい間違いを避ける為に他に選択はなかった。その後も「馬から落ちて落馬した」式の「くどい英語」を続けた。それが上原投手の子息の自然な受け答えを聞いて昔を思い出し羨ましく思った訳だ。今や、日本語も怪しい。「お父さんくどい、同じことを繰り返して言う」と娘に言われ反論できない。■