かぶれの世界(新)

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交遊録(1)

2013-12-30 17:35:15 | 日記・エッセイ・コラム

 私は公人の批評はしても、私人については書かないことにしている。特に組織の中の個人については立場を傷つけないよう気を付けている。だが、仕事を辞めて10年以上になり新しいお付き合いも出て来たので、今後折に触れて少し変わった知人を紹介していきたいと思う。

 最初に伊賀万蔵氏(仮名)について書いてみたい。氏と知り合ったのは退職後田舎に行き来するようになってからで、まだ8年足らずだ。その頃は田舎にいる母が自宅介護を受け始め、私の田舎生活が長くなり始めた頃だった。田舎暮らしに飽きて色んなことに手を出し始め、退屈しのぎに地方銀行が毎週主催するセミナーに参加し伊賀万蔵(いつも万蔵と呼び捨てる)と知り合った。

 最初は横に座ったアラサー女が気になって助平心で話しかけた。彼女を挟んで座っていたのが万蔵。他人の話に口を挟んできたのは万蔵が彼女の近しい親戚で初めは凄く邪魔だと思ったが、同じように海外経験があり考え方も一致することが多く、私と波長が会った。田舎でそんな人物に会ったのは初めてだった。午前中はセミナーで一緒に熱心に受講し、終わると彼のつてでただ飯を食い世間話をするのが、刺激のない田舎暮らしの数少ない楽しみになった。

 東京に戻り翌年に田舎に行った時、セミナーは終わっており万蔵に会えなくなった。連絡先も聞いてなかった。私は万蔵に会えるかもと思い、別の金融機関のセミナーにせっせと通った。セミナーも興味深く気分転換でき楽しんだがが、万蔵もアラサー女も見かることなく物足りなく思っていた。

 その年の暑い夏、新しく始まったセミナーに参加すべく会場を探して車を流している時、私の名前を呼ぶ声が聞こえて窓の外を見ると万蔵だった。田舎といっても人口50万の松山市でこの出会いは奇跡だった。万蔵は私のセミナー通いは女性が目的だろうと決めつけた。当たらずとも遠からずだが、はっきり言われるのは嫌だった。その次の週から万蔵の勧めに従いセミナー通いは止め、母を見舞った後一緒に食事をして気楽に世間話とか情報交換をするようになった。

 万蔵とは気が合うが、どんな人間か詳しくは知らない。子供時代は海外で育ち、日本の大学を出て家業を継ぎ専門部品を扱う貿易会社を経営しているらしい。しょっちゅう海外出張をし、乗り換え空港で買ったという韓国の菓子類を良くお土産にくれる。私も会社勤時代は海外ビジネス担当をし、退職後は海外の金融商品に投資したので海外市場の知識があり、共通の話題があった。

 万蔵を本当に身近に感じるようになったのは、私が町医者にがん疑惑を診察され迷っているのを見て、豊富な人脈を使ってどの病院に行くべきか調べて勧めてくれた時からだ。万蔵がそれほど親身になってくれたのは私には意外で、素直に勧めに従った。お蔭で無駄な時間を使わず速やかに結論が出せた。友人として万蔵に本当に感謝している。

 気が付けば私にとって万蔵は大事な友人になった。そんな万蔵だけど突然別人になったように振る舞い驚かされることがある。話題があるテーマになると知性がすっ飛んで気が狂ったように自己主張をはじめる。口角泡を飛ばし、よだれを流さんばかりに喚くが、そんな自分に気付いて静かになる。初めは驚いたが決して攻撃的ではなく誰も傷つけるわけではなかった。

 慣れてくると、又、始まったと思って言うとおりにし、しばらくすると落ち着くことが分かった。変に愛嬌があるので、最近は言いたい様に好きなだけ言わせている。表現は変だけど何だかそれも初心い奴と思うようになった。万蔵は田舎の暇つぶしだけでなく、私の残り少ない人生の最後の極めて個人的な友人かもしれない。万蔵に海外出張の折り東京に来るなら食事しようと誘ったが、松山から海外出張する場合は韓国経由の方が便利で安価らしい。次は来春になりそうだ。■

コメント
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