かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

私のヒーロー

2013-12-17 23:03:40 | 社会・経済

今年は日本経済が再生に向かい走り出した1年だった。日経平均が年初来6割も上昇して幅広い分野に波及し始めた。円安効果で企業業績が回復し、資産効果で消費が刺激され、停滞していた不動産市場が動き始めた。最新の日銀短観では中小企業から地方まで景況感が回復したと報じられた。税収が50兆円を上回ると予測され、懸案の年金資金運用が改善し、確定拠出型年金の資産状況も大幅に改善したと報じられた。経済成長の効果はあらゆる領域に波及し、警戒感は残しながらも久し振りに人々の心に希望が見え始めた。あれこれケチをつけられても安倍首相は紛れもなく今年のヒーローだと私は評価する。

私も日経平均ほどではないが金融資産が年初来約10%増となり、好調だったリーマンショック直前の状況を上回るところまで回復した。プラス分はアベノミクスの恩恵を受けたと言って間違いない。だが、損を取り戻したのは誰のお蔭かといえば実はアベノミクスではない。もう古い話になるが、私の場合それは米国自動車メーカーのフォード社CEOムラリー氏だ。彼は37年間務めたボーイング社から2006年に畑違いのフォードに引き抜かれた。リーマンショック後自動車メーカーが軒並み倒産の危機に見舞われた2009年初め、私は文字通り死にそうになった。

米国駐在時に入手した金融資産や不動産を処分して得たドル資産を投じて、2004年に定年後の年金を補う為絶対倒産はない優良資産としてフォード社債を購入していた。よせばいいのにその後時価が下がったところで買い増した。フォード社債だけで退職金を総て注ぎ込んでも足りない金額になった。平均時価80ドル、クーポン(利子)6.625%という凄くいい条件だった、倒産しない限り。ところがリーマンショックの翌年2009年春オバマ大統領がGM支援を決定する直前には時価が一桁に暴落し紙切れ同然の値打になった。証券会社からは少しでも損を減らすために何度も売却を勧められた。これが死にそうになった訳だ。

自動車メーカー危機が報じられ出した2008年末から私は必死で情報収集を始めた。インターネットで米国でどう報じられているか徹底的に調べた。暫くすると証券会社からの情報より私の調べた方が余程詳しく的確だと感じるようになった。その時初めてフォードのCEOがムラーリ氏で、彼がボーイング時代に苦労した資金繰りの経験を活かして、フォードを危機に強い体質に変えたと私は読んだ。私は不安を抑えフォードの社債は売らないと伝え回復を待った。その後のクライスラーの政府支援が決定したところで、フォードの生き残りが決定的になり胸をなで下ろした。

オペレーションの改革もさることながら、2006年ムラリー氏がボーイング社からフォードCEOに就任して2ヶ月以内に、会社の資産を担保にして$23.6B2.4兆円)のローンを組んだのが、GMとクライスラーの混迷とフォードを隔てる決定的な分岐点となったと、それが私の判断の根拠だった、今でも正しかった思う。勿論運も良かったのだが。

当時はまだ住宅バブルが弾ける前で、氏の決断は評価されたとはいえなかった。ボーイング社での経験が危機に対する備えとして流動性を確保する決断をさせた。酷評に動じず信じることを実行したリーダーとして生きた伝説的存在になった。これをきっかけにリーマンショックで半減した私の投資は徐々に値を戻し、更にアベノミクスで水面に浮上した。そして今、フォードの長期社債は額面を上回る113ドル、そのまま持っていれば凄い儲けになったはずだが、残念ながら元を取ったところで売ってしまった。ムラリー氏はフォードを救い、私の退職金を救ってくれたヒーローなのだ。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする