かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

田舎暮らし雑感05冬

2005-12-16 17:35:45 | 日記・エッセイ・コラム
今年は天気が悪い
今年の冬は寒い。12月最初の週は小雨が降る日が続き、今週は日曜日だけ晴れ、その後は雪。田舎で車がないと本当に生活するのが難しい。運動不足になりおなかが気になる。書斎にあるエアロ・バイクも3日もやると続かない。ホームシアター開催ゼロ。

何とか体を動かさないと
それでも昨日リハビリを兼ねて小雨の中近所の堤防を2-3km走ってみた。股関節あたりの内転筋が突っ張る感じがあるが痛みは我慢できたので何とか走り終えた。この調子で少しずつ筋肉の弾力性を取り戻していくことが出来れば、10-15kmランまで距離を伸ばしてみる。

目標は高く
ダッシュやターン出来るまで筋力が回復すれば2月にはもう一度バドミントンが出来るかもしれない。マウンテンバイクは心配ない。来月までには雪がなければ出石寺の山岳コースをクリアする積もりだったが、山の雪は溶けないからもう駄目だろう。

自分のことは大丈夫?
先週末、母の病状を確認する為もあって同じ掛かりつけの医者に田舎に滞在時のホームドクターになってもらった。ところが母の病状もさることながら私のほうもかなり問題があると思われてしまった。検査に来いといわれたが正直行きたくない。

大企業の凄さ
2年半前早期退職以来まともな検査を受けたことがない。それ以前の定期検査内容を先生に説明すると、最先端の検査を受けていたようで、今そこまでやると費用が大変らしい。大企業の隠れた凄さを思い知った。

ご近所デビュー(続)
日曜日の念仏講の年番が母になっていたので、代わりに私がご近所を回って集金し出欠を確認した。15の時ここを出てからのことなので、半分の家はその後引っ越してきた方で挨拶代わりになった。会うと皆話し好きで母の病状を心配して聞いてくれ無事終わった。まだご近所デビューが続いている。

一人暮らし
広い農家の中での一人暮らしもやっと慣れてきた。2階の書斎と寝室、1階の台所と居間を往復するだけで他の部屋には行きもしない。書斎だけ暖房し家全体は寒々としている。主なところにインターネットカメラを付け世界中どこからでも母を監視できるようにしていたのだが、いざ自分が誰かに見られると思うと気持ちよくない。

レトルトが切れた
東京で買い込んで送った業務用のレトルト食品がついに底をついた。アラビアータは作るより余程美味しかったのだがもう無くなった。お歳暮の稲庭うどんがまだ残っている。母が冷凍していた魚や肉を使えばまだ2-3日凌げる。

大事なもの
一人暮らししてよくよく考えている間に、今までのビジネスライクな生活では気づかなかったものが見つかったような気がする。私には経験したことのなく触ると霧のように消えてしまうようなものなので表現に困る。これからどう育んでいくのか分からない。

読書はまるで
田舎では読書三昧のつもりでみかん箱一杯の読みたい本を宅急便で送ったが、どうにも集中できない。NZのBスクール(経営大学院)からの連絡もこのところ途絶え来年どうなるか分からない。最初はいい返事をくれ期待したのだが。

母の退院
昼過ぎに電話があり明日の午後退院することになったそうだ。天候が回復すればいいのだが。もともと検査入院だったので病気が回復したと言うわけではないのだが、急に寒い家に帰って大丈夫か退院した後の方が心配である。■ 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカー王国、愛媛!?

2005-12-16 12:16:37 | スポーツ
今月初め田舎に戻った日だと思うが、地元の愛媛FCがJ2に昇格したというニュースで持ちきりだった。地元NHKはゴールデンタイムに75分の特番を組み、選手・監督とサポーターに加え県知事、松山市長まで出演していた。東京ではありえない盛り上がりだった。

大変結構なことだが、小さな驚きもあった。愛媛は戦前から野球王国だった。野球にあらずばスポーツにあらずと言う感じで、私もバリバリの野球少年だった。中学に入学したときもためらわず野球部に入部した。

将来プロになることを夢見て毎日暗くなるまでボールを追っかけた。試合になると地元の人が沢山応援に来てくれいつもドキドキだったけど、2年生でレギュラーになり晴れがましく嬉しくてしょうがなかった。

3年になると勉学と両立に悩み、一方で幼心に責任も感じた。最後に地区大会の決勝で惜敗した悔しさを今でも鮮明に覚えている。自分で野球をするのはこれで終わったがその後も心はずっと野球少年だった。

実は入学した前年にサッカー部が県大会で母校が初優勝すると言う快挙があった。その機会に野球部後援会が全てのスポーツ後援に名前を変えた。しかし、女の子に人気のあったのは野球部だった(と信じている)。

その後もずっと甲子園で好成績を残す高校野球を中心に愛媛では圧倒的に野球の人気があったと思う。ところがJリーグの発足後、サッカーで地域起こしをしようという動きが全国で広まった。いまや40の都府県がJリ-グチームがあるかそれを目指しているらしい。

理由は明らかである。現在のプロ野球が会員制クラブで参入障壁の極めて高い企業の所有物でありのに対し、Jリーグがサッカークラブは地域のものであり誰にでも参入の機会を与えた透明性の高い理念の下に運営されていると言うコンセプトの差から来るものである。だからこそ知事がチームのために球技場に巨額の税金を使い、テレビに出演して応援するのである。
    
愛媛FCがJ2似昇格した結果、地元に一流チームが来てレベルの高い公式戦が見られるようになる。メディアの露出度が上がり相乗的に人気が出て、県は継続的に税金を投入し更に盛り上がるという良い循環が生まれるのが関係者の狙いのはずだ。

これは明らかにサッカー普及戦略の勝利である。いくら野球王国の愛媛であっても、一流プレイを見て目の肥えた子供たちのサッカー熱が広まると、3年後、5年後の子供の広場は随分変わった風景になると思われる。

でも愛媛県人の野球好きは正岡子規以来の筋金入りで、DNAに組み込まれている。サッカーを参考に野球普及のための戦略をしっかり計画して実行すれば野球は廃れない。問題は指導力を発揮すべきはアマチュア野球機構ではなく最高峰のプロ野球機構なのだが、その関係がギクシャクすると最悪の事態になるかも。■


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする