旅の四日目は、トビリシの市内観光は後回しにして、ムツヘタからグルジア軍用道路に向かいました。
トビリシの北20kmの場所にグルジアの東南部を治めたイベリア王国の首都であったムツヘタの街があります。その手前で、丘の上に建つジュヴァリ聖堂が見えてきました。まずは、この聖堂の見学を行うために、丘の上を目指しました。
丘の上に出るとジュヴァリ聖堂が正面に見えてきたので、写真ストップになりました。道路の上に広がって記念写真を行っていましたが、やってくる車は無く、通行の妨げにはなりませんでした。「ムツヘタの文化遺産群」として、世界遺産の一部になっているのですがね。
シンプルですが、美しい姿をしています。この教会は、ドームを中心に正十字に翼を広げた四葉型(テトラコンチ)型建築の典型で、南コーカサス地域全体で見られる教会のモデルになっています。
周囲の壁が崩れて本堂だけになっているのが、かえって美しさを増しています。
ジュヴァリ聖堂下の駐車場でバスを降りました。
ジュヴァリ聖堂は、グルジアへキリスト教を伝道したと信じられている女性の伝道者聖ニノが祈りのためこの地に滞在し、ムツヘタの高地にあるこの丘に大きな木製の十字架を立てたのが始まりとされています。ジュヴァリ聖堂の名前も、「十字架の教会」という意味です。
この地に最初の規模の小さな教会が建てられたのはおよそ545年のことで、586年から605年の間に現在の教会が建設されました。ジュヴァリ聖堂は、損傷が進んでいますが、現在も主要な式典に使用されているようです。
ジュヴァリ聖堂の魅力は、ここから見るムツヘタの街の眺めです。ムトゥクヴァリ川(クラ川)とアラグヴィ川の合流地点に街が広がる様子を鳥瞰図的に眺めることができます。
なお、西に向かってムトゥクヴァリ川(クラ川)を遡っていくとゴリの街があり、ソ連の第二代主席指導者であったレーニンはそこで生まれました。ロシア系グルジア人ということですが、レーニンがロシア生まれでないのは、ヒトラーがドイツ人ではなくオーストリア人であるのと同様に盲点ですね。悪名高き二人の政治家ですが、出身地についての共通したコンプレックスのようなものがあったのでしょうか。
ムツヘタの街の中心に見えるのは、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂です。ジュヴァリ聖堂の後に見学することになります。
ムツヘタの眺めを楽しんだら、聖堂内に入場します。
入口の上には、キリストの昇天を暗示した天使が十字架を支える「十字架昇天」のレリーフが飾られています。中央の十字架の形は、マルタ十字と似た形になっています。
このレリーフは顔が欠けているのが残念です。
ジュヴァリ聖堂に入ると、薄暗い堂内で大きな十字架が目に入ってきます。これが、聖ニノがこの丘に立てた十字架ということなのでしょう。
ただ、木製の十字架を良く見ると、表面に彫刻が施されており、聖ニノが立てたという4世紀のものにしては新し過ぎます。
興味深いのは、この「葡萄十字」、「聖ニノの十字」、「グルジア十字」と呼ばれる十字架です。
十字架の横に水平な部分が、やや下へ垂れ下がっている点が特徴です。
砂の上に立てられているのは、その周りにロウソクを奉納するためのようです。時間が早いため、ロウソクは立てられていませんでしたが。
堂内に飾られていた聖ニノの絵です。
聖ニノは、トルコ・カッパドキアの女性で、4世紀初頭にイベリア(現在のグルジア)にやってきて、この独特な形状をした十字架を用い、キリスト教の伝道を行ったとされています。
伝説によると、この十字架は聖ニノがこのブドウの木で作られた十字架をイエスの母マリアから受けとって、それに彼女の髪を絡めたいわれています。
この絵は、スヴェティ・ツホヴェリリ大聖堂における聖衣伝説を描いたものです。
その拡大。
木の柱の右側に立っている女性が聖ニノです。
スヴェティ・ツホヴェリリ大聖堂で、同じ絵を見ることになりますので、詳しい説明は、その際に。
天井はドームになっていますが、装飾は施されておらず、質素な造りです。
正教会に属するためイコノスタシスが設けられています。
左手の壁に飾られた聖母子像。
イコノスタシスは質素な造りで、同じ正教会といっても装飾過多のロシア正教会とは異なっています。
堂内には、他にもイコンが飾られていました。
これは、聖ジョージでしょうか。龍の代わりに人を倒していますが。
何の絵かは不明。
キリスト教を国教と定めたイベリア王ミリアン3世と王妃ナナの像でしょうか。
イベリア王国では、330年代にキリスト教を国教と定め、これはアルメニアに次ぐ世界で二番目に古いキリスト教の国教化になっています。
聖人のイコン。ペテロでしょうか、
ペテロに対するパウロといったところでしょうか。
回廊越しに見たムツヘタの街。
黒衣をまとった神父。
本堂の周りには、廃墟と化した壁が残されていました。
以前は要塞のような機能を果たしていたのでしょう。
周辺の草地には、フウロの仲間と思われる花が咲いていました。
駐車場には、観光客を目当てに物売りが集まってきていました。
手回しオルガン弾きも。
ジュヴァリ聖堂は荒廃が進んでいますが、それがかえって心を引き付けているようです。日本人好みといえます。
トビリシの北20kmの場所にグルジアの東南部を治めたイベリア王国の首都であったムツヘタの街があります。その手前で、丘の上に建つジュヴァリ聖堂が見えてきました。まずは、この聖堂の見学を行うために、丘の上を目指しました。
丘の上に出るとジュヴァリ聖堂が正面に見えてきたので、写真ストップになりました。道路の上に広がって記念写真を行っていましたが、やってくる車は無く、通行の妨げにはなりませんでした。「ムツヘタの文化遺産群」として、世界遺産の一部になっているのですがね。
シンプルですが、美しい姿をしています。この教会は、ドームを中心に正十字に翼を広げた四葉型(テトラコンチ)型建築の典型で、南コーカサス地域全体で見られる教会のモデルになっています。
周囲の壁が崩れて本堂だけになっているのが、かえって美しさを増しています。
ジュヴァリ聖堂下の駐車場でバスを降りました。
ジュヴァリ聖堂は、グルジアへキリスト教を伝道したと信じられている女性の伝道者聖ニノが祈りのためこの地に滞在し、ムツヘタの高地にあるこの丘に大きな木製の十字架を立てたのが始まりとされています。ジュヴァリ聖堂の名前も、「十字架の教会」という意味です。
この地に最初の規模の小さな教会が建てられたのはおよそ545年のことで、586年から605年の間に現在の教会が建設されました。ジュヴァリ聖堂は、損傷が進んでいますが、現在も主要な式典に使用されているようです。
ジュヴァリ聖堂の魅力は、ここから見るムツヘタの街の眺めです。ムトゥクヴァリ川(クラ川)とアラグヴィ川の合流地点に街が広がる様子を鳥瞰図的に眺めることができます。
なお、西に向かってムトゥクヴァリ川(クラ川)を遡っていくとゴリの街があり、ソ連の第二代主席指導者であったレーニンはそこで生まれました。ロシア系グルジア人ということですが、レーニンがロシア生まれでないのは、ヒトラーがドイツ人ではなくオーストリア人であるのと同様に盲点ですね。悪名高き二人の政治家ですが、出身地についての共通したコンプレックスのようなものがあったのでしょうか。
ムツヘタの街の中心に見えるのは、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂です。ジュヴァリ聖堂の後に見学することになります。
ムツヘタの眺めを楽しんだら、聖堂内に入場します。
入口の上には、キリストの昇天を暗示した天使が十字架を支える「十字架昇天」のレリーフが飾られています。中央の十字架の形は、マルタ十字と似た形になっています。
このレリーフは顔が欠けているのが残念です。
ジュヴァリ聖堂に入ると、薄暗い堂内で大きな十字架が目に入ってきます。これが、聖ニノがこの丘に立てた十字架ということなのでしょう。
ただ、木製の十字架を良く見ると、表面に彫刻が施されており、聖ニノが立てたという4世紀のものにしては新し過ぎます。
興味深いのは、この「葡萄十字」、「聖ニノの十字」、「グルジア十字」と呼ばれる十字架です。
十字架の横に水平な部分が、やや下へ垂れ下がっている点が特徴です。
砂の上に立てられているのは、その周りにロウソクを奉納するためのようです。時間が早いため、ロウソクは立てられていませんでしたが。
堂内に飾られていた聖ニノの絵です。
聖ニノは、トルコ・カッパドキアの女性で、4世紀初頭にイベリア(現在のグルジア)にやってきて、この独特な形状をした十字架を用い、キリスト教の伝道を行ったとされています。
伝説によると、この十字架は聖ニノがこのブドウの木で作られた十字架をイエスの母マリアから受けとって、それに彼女の髪を絡めたいわれています。
この絵は、スヴェティ・ツホヴェリリ大聖堂における聖衣伝説を描いたものです。
その拡大。
木の柱の右側に立っている女性が聖ニノです。
スヴェティ・ツホヴェリリ大聖堂で、同じ絵を見ることになりますので、詳しい説明は、その際に。
天井はドームになっていますが、装飾は施されておらず、質素な造りです。
正教会に属するためイコノスタシスが設けられています。
左手の壁に飾られた聖母子像。
イコノスタシスは質素な造りで、同じ正教会といっても装飾過多のロシア正教会とは異なっています。
堂内には、他にもイコンが飾られていました。
これは、聖ジョージでしょうか。龍の代わりに人を倒していますが。
何の絵かは不明。
キリスト教を国教と定めたイベリア王ミリアン3世と王妃ナナの像でしょうか。
イベリア王国では、330年代にキリスト教を国教と定め、これはアルメニアに次ぐ世界で二番目に古いキリスト教の国教化になっています。
聖人のイコン。ペテロでしょうか、
ペテロに対するパウロといったところでしょうか。
回廊越しに見たムツヘタの街。
黒衣をまとった神父。
本堂の周りには、廃墟と化した壁が残されていました。
以前は要塞のような機能を果たしていたのでしょう。
周辺の草地には、フウロの仲間と思われる花が咲いていました。
駐車場には、観光客を目当てに物売りが集まってきていました。
手回しオルガン弾きも。
ジュヴァリ聖堂は荒廃が進んでいますが、それがかえって心を引き付けているようです。日本人好みといえます。