ヤズドでは、街外れにあるSAFAYIEH YAZDに泊まりました。長時間のバス移動で、すっかり暗くなった7時過ぎに到着し、ホテルのレストランで夕食をとって後は寝るだけになりました。
新しくできたホテルのようで、部屋もきれいでした。
朝になってから見たホテルの外観。アラブ的な造りになっていました。
5日目は、まず沈黙の塔から見学を始めました。沈黙の塔は、ダフネと呼ばれるゾロアスター教の鳥葬(風葬)を行うための墓場です。
街外れの砂漠の中に沈黙の塔の小山が二つならんでいます。
ヤズドは、イラン中央部にあって、ササーン朝ペルシャの時代からゾロアスター教の中心地になってきました。
左の塔の方が少し高くなっています。
右の少し低い方に上がることになりました。
沈黙の塔の麓には、葬儀に使われた施設が並んでいます。
塔を備えたドームは、アーブ・アンバールと呼ばれ、ガナートと呼ばれる地下水路で運ばれた水の貯水槽をドームで覆い、周囲に冷却のための塔を立てたものです。
近くに、地下に下りる階段がありました。信者は礼拝の前に身を清めるために使ったといいます。
こちらはトイレ。
トイレの内部。
集会場
礼拝室
中からは、沈黙の塔を望むことができます。
こちらは、高い方の沈黙の塔。
丘の上をめざして歩き始めました。
結構急で息が切れてきましたが、一気に登りつめました。
丘の上は、リング状の土壁がめぐらされ、入り口が設けられていました。
中央に穴が開いている円形の葬祭場が設けられていました。ゾロアスター教では、火、水、土を神聖なものとしたため、遺体を安置して風化させる方法をとりました。本来は風葬であったものが、鳥が寄ってきてついばんでしまったため、鳥葬に変わったようです。
最後に残った骨は中央の穴に入れ、満杯になると酸でとかしたといいます。
斎場の外に出ると、雪をまとった山が見えていました。
ヤズドの郊外には、シルクロードが通っています。ゾロアスター教もシルクロードを伝わって、中国ではけん教あるいは拝火教と呼ばれました。
丘の麓の眺め。
本来は砂漠の真ん中にあったのでしょうが、市街地が迫ってきて神秘性が薄まってきています。
現在のゾロアスター教徒の墓。
1930年に鳥葬が禁止され、現在では土葬が行われているようです。
ヤズド市街地の眺め。
バスに戻って移動を始めると、標高4000m級のシール・クーフ山脈の眺めが広がりました。
新しくできたホテルのようで、部屋もきれいでした。
朝になってから見たホテルの外観。アラブ的な造りになっていました。
5日目は、まず沈黙の塔から見学を始めました。沈黙の塔は、ダフネと呼ばれるゾロアスター教の鳥葬(風葬)を行うための墓場です。
街外れの砂漠の中に沈黙の塔の小山が二つならんでいます。
ヤズドは、イラン中央部にあって、ササーン朝ペルシャの時代からゾロアスター教の中心地になってきました。
左の塔の方が少し高くなっています。
右の少し低い方に上がることになりました。
沈黙の塔の麓には、葬儀に使われた施設が並んでいます。
塔を備えたドームは、アーブ・アンバールと呼ばれ、ガナートと呼ばれる地下水路で運ばれた水の貯水槽をドームで覆い、周囲に冷却のための塔を立てたものです。
近くに、地下に下りる階段がありました。信者は礼拝の前に身を清めるために使ったといいます。
こちらはトイレ。
トイレの内部。
集会場
礼拝室
中からは、沈黙の塔を望むことができます。
こちらは、高い方の沈黙の塔。
丘の上をめざして歩き始めました。
結構急で息が切れてきましたが、一気に登りつめました。
丘の上は、リング状の土壁がめぐらされ、入り口が設けられていました。
中央に穴が開いている円形の葬祭場が設けられていました。ゾロアスター教では、火、水、土を神聖なものとしたため、遺体を安置して風化させる方法をとりました。本来は風葬であったものが、鳥が寄ってきてついばんでしまったため、鳥葬に変わったようです。
最後に残った骨は中央の穴に入れ、満杯になると酸でとかしたといいます。
斎場の外に出ると、雪をまとった山が見えていました。
ヤズドの郊外には、シルクロードが通っています。ゾロアスター教もシルクロードを伝わって、中国ではけん教あるいは拝火教と呼ばれました。
丘の麓の眺め。
本来は砂漠の真ん中にあったのでしょうが、市街地が迫ってきて神秘性が薄まってきています。
現在のゾロアスター教徒の墓。
1930年に鳥葬が禁止され、現在では土葬が行われているようです。
ヤズド市街地の眺め。
バスに戻って移動を始めると、標高4000m級のシール・クーフ山脈の眺めが広がりました。