おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

ロシアと戦争

2022-03-14 21:14:05 | 日記・エッセイ・コラム

【今日の 少年時代】

小学生のワシは、学校の行き帰りに(特に下校時に)歌を歌って帰ったもんだ、しかも大声でさ。

どんな歌かと尋ねられれば、例えば

♪そーらんも みなとも よははれて つうきにかずます ふねのかげ

はしけのかよい にぎやかに よせくうるなあみも こがねなり♪

これを日本語に変換すると

♪空も港も夜は晴れて、月に数増す船の影、艀の通い賑やかに

寄せ来る波も黄金なり♪

てな調子だ。いま思い出せば赤面の限りであるが・・・・純朴な少年であったのだ

(『港(みなと)』は、1896年(明治29年)発表の日本の唱歌。作詞:旗野十一郎、作曲:吉田信太)

歌と言うまでもないが、近所の上級生から口伝えで教わって、こんなものも大声出して叫んでいた。

(一部不適当な表現があります)

 

再現してみようと思う

♪ ・・・・りくぐんの、のぎさんが、がいせんす、すずめ、めじろ、ろしや、やばんこく、くろぱときん、きんたま、まぐろ、・・・・・♪

まあ、しりとり歌のたぐいだな。

歌詞?はもっと長いのかもしれないが、今思い出せる範囲はここいらだ。

これを大人になった今漢字で表現すると

♪・・・陸軍の、乃木さんが、凱旋す、スズメ、メジロ、ロシア、野蛮国、クロパトキン、金〇、マグロ・・・♪

リズムは123,123、123、123と三拍子でどうぞ。

 

陸軍の乃木さんとは明治時代旧日本陸軍の乃木希典(まれすけ)将軍のことである。

日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことで国際的にも著名である。最終階級陸軍大将栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。人々より「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれて深く敬愛され、「乃木神社」や「乃木坂」にも名前を残している。(ウィキペディアから無断借用)

 

クロパトキンとは日露戦争時のロシア満州軍の総司令官である。

つまりだな、ワシが小学生の頃と言うと1960年ころである。

日露戦争と言うは明治37年1904年前後である(旅順攻囲戦は明治37年)

その頃の戦争の頭(かしら)2人をうたったしりとり歌が、56年経過してても、昭和の戦後の小学生が通学時などに遊び半分でうたわれていた。

56年は昔か?

いまからちょうど58年前が東京オリンピックの年であった。

それを考えると56年間は短いかもね。

プーチンの暴挙のお陰で、ワシの恥ずかしい少年時代を思い出したわ。

戦争は断固反対じゃ、ヤツは特別軍事作戦と言っとるが。