渡り鳥たちの能力には遠く及ばないが、
人にはみな、体内にナビゲーションシステムが備わっている。
しかし、生まれつきそのシステムが機能せず、
“方向音痴”という言葉では片付けられないほどの
深刻な問題に悩む人たちがいるという。
そんな障害を抱える一女性のエッセイを紹介する。
I can’t follow a map or directions, and at 61 I still get lost and frightened.
私は地図や方角に従うことができない、そして61才になる今でも道に迷い恐怖を覚える
Mary McLaurine さんには発達性地誌的見当識障害という神経学的異常がある
By Mary McLaurine,
自分に身の危険がないということはわかっていました。
私は飼っていたビーグル犬の Otis と一緒に歩き始めたところからほんの数ブロックのところにいました。しかし、そんなことは理解していても何の役にも立ちませんでした;恐怖とアドレナリンが私の静脈を流れ、ひどく汗をかき始めました。そして私の脳の中の混乱が一層増大しました。自分がどこにいるのかわかりませんでしたし、周囲の状況が全く見知らぬもののように見えました。それはまるで自分が見知らぬ土地の真ん中に降ろされたかのようでした。どの方向に歩くとしても当てずっぽうにすぎませんでした:自分は行くべき場所に近づいているのでしょうか、それとも離れようとしているのでしょうか?
住んでいた家の住所を書き留めていなかったので人に方角を尋ねることはできませんでした。携帯電話や GPS のナビゲーションはまだない時代です。幸運にも Otis に挨拶しに近づいてきた女性が、飼い主とその家を知っていたのです。彼女は親切にも私を連れて帰ってくれました。私たちがいた場所は家からほんの4ブロックしか離れていなかったのです。
このできごとは私が13才の時のことで、自分が目的地にたどり着くのが他の大勢の人たちより難しいということはずっと幼いころからわかっていましたが、他の人について行きさえすれば問題はありませんでした。しかし、その経験から、自分にはどこか異常があるということを身につまされることになったのです。私の人生は永久に変わってしまいました。
あの女性が偶然居あわせなかったらどうなっていたでしょうか?誰かの家のドアをノックして、警察に電話するためにそこの電話を借りるよう頼まなくてはならなくなっていたのでしょうか?警察には何て言ったいいのでしょう?もし、提供できる住所や説明がなかったら、どのようにして自分を戻してくれることをお願いできたでしょうか?
私には developmental topographical disorientation(発達性地誌的見当識障害、DTD)があります。これは、自分の周囲の心象的な地図やイメージをかたち作ることができないことを意味します。大方の人たちと違って、私には体内コンパスがないのです。61才の今でも私は道に迷い、何十年も前と全く同じように、それは私を混乱させ恐怖に陥れるのです。
「人は移動するとき、多くの情報を観察することによってそれを行うことができます。目印となる建物を見て、壁にぶつからないようにします」 そういうのは University of Calgary の認知神経科学の Giuseppe Iaria 准教授です。「動的情報の様々な処理作業があります。人はそれによって自分の周りにあるあらゆるものの認知地図を形成し、常に更新しているのです」
脳の病変はしばしばこの位置確認の作業に影響を及ぼし、後天的地誌的見当識障害と呼ばれる障害を起こします。しかし、DTD を持つ私たちのような人では脳損傷の形跡は認められません。
「言い換えると、脳には損傷がないのです。つまり自動車事故、脳腫瘍、あるいは脳梗塞などはありません」 DTD の診断を発展させ、これについて2009年に初めて報告した Iaria 氏はそのように言います。「彼らは、特定の能力を形成できていないのです。この障害を持つ人たちは、基本的に最も慣れた環境でも毎日迷ってしまい、生涯そんな感じなのです」
Iaria 氏によると、DTD の人の脳は他の人たちの脳とは全く違った働きをするそうです。安静時の DTD 患者の脳検査では海馬と前頭前野灰白質との間の連絡が減少していることが示されています。この両領域は空間見当識に重要です。この2ヶ所はお互いに協調して機能しないとナビゲーション能力が障害されます。Iaria 氏によると、この障害は人口の2%に見られるとのことです。
この障害により、人は自分の周囲の心象的地図を形成できなくなる
DTD は、自分のアパートの周辺の道がわからなくなったデンバーの Sharon Roseman さんについての2010年のドキュメンタリー映画 “Lost Every Day” の映画制作者 Michelle Coomber 氏によって有名になりました。
Roseman さんは多重人格障害などいくつかの誤った診断を受け何年もの間自分の障害を秘密にしていました。彼女がついに兄に秘密を打ち明けたところ、彼は Iaria 氏と連絡をとれるよう尽力してくれました。以来、彼女のほかにも数百人の患者が多くの研究に参加し、それらすべての人たちの脳には脳梗塞など、脳、記憶、知能に対する障害がないことが結論づけられたのです。
かつて運転を始めたとき自分の障害に適応しなくてはならなかったことを私は鮮明に覚えています。私は、パーティーやその他の会合に行くために、すぐ前の車に乗っている友人について行くか、同乗者となるしかありませんでした。運転するとき同乗者がいなければ、たとえ1マイル半離れた店に行くのでさえも恐怖を覚えていたのです。数時間戻れないこともしばしばでした。
私は多くの時間を費やしたものですが、それは自宅から数マイル以内のところで完全に迷ったためでもあり、単純な方角にも従うことができない理由を人に説明しようとしたためでもありました。人は、全く、完全に迷うようなことがどうして起こりうるのか理解できませんでした。「自分がどこにいるかわからない?目印がわからないの?運転中注意してないの?地図が読めないの?」
時に迷うことは誰もが経験することですが、それは、きわめて慣れている環境で完全に方角がわからなくなることとは全く異なるものです。どこにいるのかが分からなくなって片田舎の道路で非常に長い時間を過ごしたこともあります;あるとき、自分がどの州にいるのかさえわからないこともありました。
バージニア州での緊急事態に急いで対応するため、午後10時にメリーランド州 Frederick の自宅を出て約60マイル離れた Alexandria に向かったことがあります。7時間後、ガソリンがごくわずかとなってしまった私は、道路端に立ち往生し停まってくれる誰かにすがるしかない状況になるのではないかと案じてパニックになりかけていました。しかし明け方にガソリンスタンドを見つけました。私は車を止め、自分がどこの州にいるのかを尋ねなければなりませんでした。私がいる場所は自宅から約200マイル西のウェストバージニア州 Elkins で、Alexandria からは遠く離れていたことがわかりました。正しい道へと私を戻すために係員が方向を走り書きしてくれたと思われる汚れたレシートを握りしめ私は丁寧に会釈しました。しかしそれらは何の意味もありませんでした。私は地図や書かれた方角に従うことができないのです。真昼になってようやく私は州間高速道路を見つけ出し、息子が目的地の近くの休息施設で私を出迎え無事到着したことを確認したのです。
私は目的地に到達するのに必要な時間を計算する際“損失時間”を考慮に入れます。そして、GPS 装置がある現在でも確実に行き先にたどりつけるとは限りません。しばしば自分の衛星信号を失うと、それによって安心感も失われてしまうのです。現在、自分の電話や GPS 機器に何か起こるといけないので、私は家を出る前には常に目的地の住所を書き留め、行き先を誰かに伝えるようにしています。
迷子になるかもしれないため、私が外のどこかで待ち合わせることをためらっていると、友人や知人はしばしば親切ぶって笑います。「道路のすぐ近くだよ!見逃すことはないよ:あの大きな赤い建物はちょうど角のところにあるから」 実際、 DTD の患者にとって、既に理解できなくなっている経路にさらに目印を加えることは事態をさらに複雑にさせるだけなのです。
今、私は自身の障害の説明に迫られたとき例えを提供しています:それは、盲目の人に黄色い色を見るように言うことと似たものです。「目の前にあるでしょう、見損ねることはないでしょう:それは明るい黄金色ですよ!」 社会は盲目については容易に受け入れその本質を理解しています:つまり、その人はどれだけその色が明るくても見ることができないと。しかし、DTD についてはほとんど知られておらず、また、たいていの人たちが容易に脳内の認知地図でナビゲートすることができるため、その障害に対して “アホ” ではないかという 烙印が押されてしまいます。この障害と闘っている私たちはしばしば、不安、絶望、孤立、自信喪失などの感覚を持ち続けており、そのため自身の障害を他人に知らせようとしないのです。
自分の子供たちは成人しており、忍耐強く、また理解があります。彼らは私の障害の深刻な本質や複雑さ、およびそれに伴う危険性を十分理解しています。彼らはそれを軽んじることなく、私が旅行するときには頻回に到着を報告するように求めてきます。
DTD には治療法はありませんが研究は進行中です。他の DTD の人たち、特にその障害を持ちながら診断名が存在することに気付いていない人たちに手がさしのべられることを願って私は自分の話を広く共有できるようにしています。自分の障害について医学用語や診断名があること、そして必要性の高い研究の的となっていることに安らぎを覚えています。人に認知されることによって、私たちは、孤立、不安、自身喪失、絶望などの感覚から開放されるのです。
いまのところ、人生をナビゲートするのと全く同じように道路をナビゲートしていくつもりです:シンプルに、そして率直に生き、常に代替の策を用意するようにと…。
明らかな意識障害、健忘症候群、認知症や
半側空間無視のような神経症状がないにもかかわらず
住み慣れた町で道に迷う症状を地誌的見当識障害という。
この障害には複雑な要因が関与しているが、
大きく分けると、街並失認と道順障害がある。
街並失認は視覚性失認の一つで、
目にする建物や風景が何であるかは理解できるが親近感がなく、
どこにあるものかがわからない障害である。
一方、道順障害は視空間失認の一つで、
目印となる建物は認識できるが、
自分との位置関係が認識できないため
そこからどの方向に進んでよいかわからない障害である。
前者は右海馬傍回の後部、舌状回、紡錘状回が、
後者は右後頭頭頂葉(特に脳梁膨大後皮質・後帯状皮質)が、
それぞれ責任病巣と考えられている。
いずれにしてもこのような障害を抱えて社会活動を行うことには
多くの困難を伴うと推察される。
今クールのドラマ 『視覚探偵』 ではないが、
そのような人たちには残された
機能(たとえば言語機能など)で
辛い症状を代償する訓練が必要である。
一方、私たちには、
この障害に対する十分な理解と協力が求められるのである。