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煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

レッテルとともに生きる

2011-07-04 18:27:31 | 健康・病気

5年前に自分がADHD(注意欠陥・多動性障害)
であることを公表した女性の手記を紹介する。

6月28日付 Washington Post 電子版

Former ‘poster child for female ADHD’ decides her past won’t hold her back かつての『女性 ADHD のポスターチャイルド』は、過去に引き止められることはないと確信する

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JON KRAUSE FOR THE WASHINGTON POST

By Molly Zametkin
 数週間前、大学の最後の授業を終了したあと私は自分の名前をグーグル検索してみた。目にするものが好ましいものではないということはわかっていたがとにかく私はやってみた。そうするとグーグルで845件がヒットしたが、将来の雇用主や大学院がこれを見つけるかもしれないと思うとパニックに陥った:オンラインには私の不名誉な評判が載せられていたのである。
 5年ほど時計を巻き戻そう。高校の上級年。私はいくつかの大学に合格していて、attention-deficit hyperactivity disorder(ADHD:注意欠陥・多動性障害)を持って成長したという事実を受け入れたばかりであり、ようやく私という人間の一部としてその診断名を容認し始めていた。

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Molly Zametkin さんは18才のとき ADHD であることを公表、注目を集めた。

 注意障害を持っていたことを認めることは私にとって大きな前進だった。学生生活の間は恥辱と不名誉との苦闘に明け暮れていた。私は ADHD のラベルを貼られるのを嫌った。それによって、私が異常に敏感で、怠惰で、意欲のない、集中力のない人間であると人に思われてしまうように感じてしまうからだった。もちろんそんなことは事実とは異なっていた。宿題をしなければならないとき、クラスメートとおしゃべりをするのを我慢するのがむずかしかったことを覚えているし、いつも宿題はぎりぎり間際にやっていたのだが、自分の教師が、私は“聡明な”愛らしい少女だと言っていたのも憶えている。私は創造力に富んでいたし、コツコツ勉強するのが好きだったし、いい成績をとった。ただ、人が私を優秀だと言ってくれるときも、まるで彼らが「あなたは優秀だわ…注意障害がある人にしては」と言っているように思われた。私が異常で欠点のある人間であると教師や両親に思われるのが本当に嫌だった。
 しかし、高校の上級生のとき、親しかった家族の友人がADHDであり、そのことを全く恥じていなかったことを知った。彼女は美しく人気者である上に聡明で、彼女がADHDを抱えて生きており、それを治療するための刺激薬を内服していたという事実を大っぴらに言いふらしていた。どういうわけか彼女のあからさまなそんな姿勢は私の救いとなった。私はこう考え始めた。「ええ、もし彼女がADHD であり、人々はそれでも彼女が素敵だと思っているとしたら、私もそうなのだという事実を“公表した”としても、私に対する評価は変わらないだろう」
 私は正しかった。ついに自分がADHDだということを友人やラクロスのチームメイトに話すことができ、それでも私に対する見方や姿勢は誰も全く変わらなかった。事実、色々な意味で、私のことをさらに理解してもらうことができたのである。
 同じころ、(たまたまADHDの研究者だった)私の父は、近々行われるADHDのシリーズの講演の演者を探していた National Institutes of Health(国立衛生研究所)の公開討論会の事務局から相談を受けていた。主催者はこの討論会での講演に、この疾病を持って生きている人だけでなく専門家も必要としていた。父は話すことに同意し、個人的な見解を私が発表することを提案した。
 数週後私は、NIH での大勢の聴衆の前で自分のADHDとの苦闘やそれとともに生きることの成功談を話していた。NIH での公開討論会からほどなくして学術誌での講演の発表を依頼され、ADHDを抱えた若い女性の実態を話題として取り上げるためThe Post の記者から連絡を受けた。その時点まで ADHD は若い男性で診断されることが多かったのだが、ついに関心が女性に向けられるようになった。
 突然私は女性 ADHD のポスター・チャイルドとなったのである。私の写真が The Post の Health 欄の最初のページに載り、トロントで行われたCanadian Children and Adults With Attention Deficit Hyperactivity Disorder conference の演者となるよう招待まで受けた。「すごい!私は有名なんだ!」と、私は思った。

Everybody knows  みんな知っている

 あっという間の5年間、私は大学をちょうど卒業した。私は自分のコンピューター画面の前に座ってあえいでいる。というのも、私の名前はいつもADHDと関連づけられているからだ。グーグルで “Molly Zametkin” で最初にヒットするものには『ついに注目は少女に移る』と書かれてあり、その記述の中には “ADHD” の文字がページから飛び出してくる。検索結果の最初の3ページの中には、私のフルネームを使った13のリンクがADHDに関係していた。
 「私の将来!大学院!就職志望!未来のボーイフレンド!私がADHDだったってことみんなが知るでしょう!」そう考えてしまう。
 突然自分の病気のせいでひどく不名誉に感じていた9年生に私は戻ってしまう。次に私が会う男性は私の名前をグーグルで調べ、現実にはない病気と思っている人もいるような疾病と私が強く関わっていると知って私の番号を削除することを想像している自分がいた。私の考えは全く的外れではない。ADHD が不正行為や怠慢の口実になっていると考える人たちにいつも出会う。ADHD を持つ子供たちは聡明で有能な傾向にあるが、治療をしなければ、発達不全、学業低下、情緒的問題、落ちこぼれ、自動車事故、薬物乱用、あるいはその他の問題の危険がある。
 たとえ私がそういった問題のいずれも経験していないとしても、経験しているように人は考えてしまうのではないだろうか?

Who I am  私という人間

 ある程度調べてみたところ、ある“風評防衛”会社に頼めば3,000ドルの料金でオンライン上に存在するADHDと私の関連を減らしてもらうことができることがわかった。これは、私の仕事、学術的業績、ラクロスでの表彰、出版物など、より建設的な情報の認知度を高めることで行われる。しかし、3,000ドルとは!:私は思った「それだけの価値があるの?」
 こういった会社が存在するという事実は私が向き合っている問題の共通の本質に訴えるものである。インターネットがすべてとなっている昨今、デジタル的な改善に3,000ドルを払うことで本当に過去から逃れることができるのだろうか?
 その答えは簡単である。不可能だ。今から20年後、政治家たちは自分たちの評判を汚すであろう古い Facebook の写真やコメントに対処しなければならなくなるだろう。それは、烙印となっている疾患にリンクされていることが私に影響を及ぼす可能性を私が心配するのと同じである。そのため、私はオンラインの風評防衛会社と同じ考えで、自分自身の前向きな情報の認知度を高めるため最善を尽くし、難題を抱えて成長したという事実を上回る方法で成功し続けなければならないと心に決めた。
 今日、National Institutes of Health でフルタイムで働いていることに加え、私はハウスシッターと家庭教師のビジネスを行っており、週末には町の屋上のレストランで働いている。自分の過去を変えられないこと、そして間違いなくインターネットを変えることができないことを私は理解しているが、もし逆境がなかったなら、これまで私を疑っていた人々のすべてに反証するため、懸命に、また毅然と努力してこなかっただろうとも思う。
 子供のとき ADHD を持っていたことは、私が学び、努力する方法、私を最もやる気にさせてくれたことなどについて信じられないほど貴重な教訓を教えてくれた。(いかなる薬も飲まず、コーヒー、やることリスト、強迫神経症患者の組織などの助けがなくとも)ADHD に関連する問題や症状に対処することはもはやはなくなってはいるが、インターネットの永続的な特性によって、自分が常にADHDと関連付けられるだろうことを私は理解しており、そのことが私をこの病気についての誤解に常に立ち向かわせることになるような現実を受け入れることができる。
 ようやく、過去が今日の自分を作っているということを私は理解し、もし、過去の自分を受け入れがたい誰かがいるとしたら、間違いなくその人たちは自分の未来の一部を形作るに値しない人たちなのだ。

ADHD の子供にとって、
正しい診断を受け、
適切な治療を受けることがきわめて重要だが、
周囲の理解や環境の整備も欠かせない。
脳の機能障害が基盤にあるとされるが、
明確な原因は明らかにされていない。
薬物療法としては
中枢神経興奮薬の塩酸メチルフェニデート(コンサータ)や
ノルアドレナリンの再取り込みを阻害する
アトモキセチン塩酸塩製剤(ストラテラ)が
用いられている。
薬以外の治療として
行動療法やワーキングメモリー・トレーニングのほか
患児の環境整備、親への教育など周囲の状況を
改善することが重要とされている。
日本ではADHDに対する理解や受け入れが
他の先進諸国に比べ遅れており、
こういった症例がひきこもりや自殺などに
至らないよう社会全体で見守ってゆく必要がありそうだ。

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