3月のメディカル・ミステリーです。
She’d lost a lot of weight and had trouble swallowing. Was she dying?
彼女は激やせし、飲み込みも難しかった。彼女は死に瀕しているのだろうか?
体重が22ポンド(約10kg)減り、飲み込みが難しくなった女性は助けが必要だと実感した。
By Sandra G. Boodman,
スポーツジムで体重計に載った Jill Sherrill(ジル・シェリル)さんは青ざめた。体重がさらに落ちていたのである。身長 5フィート5インチ(167.6cm)の Sherrill さんは特に減量もしていないのにこの 10ヶ月で体重が 22ポンド(約10kg)減っていた。
友人たちから、胃腸疾患が悪化していないか医師を受診するよう勧められていたが、種々の理由により Sherrill さんは自分で治療することを選択していた。
しかし、2015年8月のあの数値 112ポンド(50.8kg)は「私をひどく怖がらせ、『えっ、私は死ぬんだ』と思いました」そう彼女は思い起こす。
その Sherrill さんの恐怖心がようやく彼女を行動に移させることとなり、それまでめったに会うことのなかった近親者と連絡を取ることにつながった。そして彼の助言が、消耗をもたらすある疾患に対する有効な治療を彼女が受けられるきっかけとなったのである。「私は全く横道にそれていました」現在サクラメントに住む Sherrill さんは言う。「親族の縁故が大切だったのです」
Jill Sherrill さんには痛みを伴わない嚥下障害があり、意図せず22ポンド(約10kg)以上も体重が減った。
現在72歳になる Sherrill さんには多彩な職歴があった。元教師で元弁護士補助員、そして現在、宿泊施設を貸し出す人向けのウェブサイト Airbnb(エアビーアンドビー)を通じて、自宅で部屋を間貸している。2014年の初めころ、利用客の一人に出張中のフランスのワイン商人がいた。
「私たちは大変良い関係でした」と彼女は思い起こす。それで、その男性は程なく二人の若い娘を米国にバケーションのため連れてきた。彼女らは、高校の時にフランス語を勉強していた Sherrill さんの家に滞在した。
その滞在中、家族の引っ越しの準備をするために男性とその妻がオーストラリアにいる間の 3ヶ月間、Sherrill さんがフランスで娘たちの世話をしながら過ごす気がないかその男性は尋ねた。
自身に子供がおらず、その7歳と11歳の少女たちが好きだった Sherrill さんにとって、それはドキドキするようなチャンスに思えた。2014年10月、彼女はボルドー郊外の農場の家に向かった。
A difficult hiatus 困難をきわめた空白の時間
しかしそれは彼女が想像していたような愉快で楽しいことではなかった。
「フランスで生活することは真に難題であることを知りました」そう Sherrill さんは思い起こす。「水も違っていたし、食べ物も違っていました」彼女は繰り返し胃酸過多に苦しむようになった。それは、そこで彼女が食べるこってりしたフランスの食事と、それまで食べ慣れていたカロリーの低い菜食料理との違いが原因であると彼女は考えた。
2015年1月の帰国前、彼女は観光でパリに数日滞在した。
彼女が思い出して言う。ある晩、夕食後のこと、「キャバレーのムーラン・ルージュ近くにあるみすぼらしいホテルの部屋に戻ったとき、『えっ!食道がひどくヒリヒリする』と感じました。食道が破裂しそうな感じでした。自宅に戻ったら主治医を受診しなくてはならないと思いました」
その一年前、彼女は、飲み込みにくさと、時々、食べたものを吐き出すエピソードがあることをかかりつけの歯科医に訴えていた。しかしそんな症状は聞いたことがないと彼は言った。
20015年2月、フランスに着いたときより 10ポンド(約4.5kg)体重が減っていた Sherrill さんは医療保険団体 Kaiser Permanente (カイザー・パーマネンテ)に所属する昔からかかっている家庭医を受診した。その女性の医師は Scherrill さんに、食道胃逆流症(GERD)という胃酸逆流の重症のタイプが疑われると説明した。これは食道の下端の筋肉がきちんと閉じない時に発生し胃の内容物の逆流が起こるものである。症状として、頻回の胸やけや咳嗽がみられる。
その医師はよく用いられる制酸薬を処方し、Sherrill さんに、ワイン、コーヒー、柑橘類など避けるべき飲食品のリストを渡した。
Sherrill さんが薬を内服し始めると、最初のうちは彼女の喉の痛みは和らいだようであり、また食事制限も順守した。しかし彼女は新たな症状に悩まされることになった:息が詰まるというエピソードである。
夕食を作っていたときに一度、彼女が生のニンジンをムシャムシャと食べたところ、突然咳が始まった。「それはまるでニンジンの破片が私の頸に詰まった感じでした」と彼女は言う。また別の時には、水を飲んだ後に横になり、短時間うとうとしていると、水が鼻から噴き出して目を覚ましたことがあった。
Sherrill さんによると 4ヶ月後には GERD の診断に疑いを持つようになったという。胃酸の問題は続いておりその薬が効いてないと考えた。彼女はその医師に eメールを送り、この薬を中止したいと伝えた。Sherrill さんは体重減少に言及し胃食道逆流の専門医への紹介を依頼した。その医師は、既に消化器科医に相談しているからと答え、別の薬物治療を試みるよう提案した。
Sherrill さんは自分で何とかするしかないと考えた。
彼女は健康食品による治療法を検索し、リンゴ酢を飲み始め、胸やけの治療法として宣伝されていたオレンジの皮のエキスの入ったカプセルの内服を始めた。
彼女は、そのころひどくなっていた過剰な唾液の産生をそれらが減らしてくれることに期待した。大量の唾液は彼女が横になる時や、食事の時間に彼女の息を詰まらせた。心の拠り所で楽しみだったはずの食事が、もはや苦行となっていた。
「私は痩せて針金のようになりながらも異常に活発になっていました」と Sherrill さんは言う。彼女は夕食後に長い散歩を行ったが、それは、より多くの運動が消化を助け、徐々に難しくなっていた睡眠に良い効果をもたらしてくれることに期待したからである。
彼女は 12インチの発泡体の入った枕を購入し頭部と胴を挙上したが、これは逆流を緩和させるために推奨された対応策だった。しかし、すぐに Sherrill さんは、夜間にその枕から転がり落ちると、発作的に咳が出て目が覚めてしまうことがわかった。
例のスポーツジムの計量器に載ったことによって、より有効な行動を起こす必要があると彼女は実感した。その数日前、彼女には、レストランでオレンジの皮のカプセルを飲み込んだあと苛立つほどの息苦しさがあった。彼女によれば、そのカプセルが彼女の食道内で爆発したような感じで、あまりに激しい咳が起こったので、近くにいた常連客は 911に通報しようとしたという。
'Pretty miserable' ‘実に惨めなこと’
Sherrill さんは 15年前のことが頭に浮かんだという。それは、彼女が、めったに会うことのなかった兄に、彼の頸にあった傷跡について尋ねた時のことだった。窒息を治療するために手術を受けたと彼は言った。
Sherrill さんはただちに彼にメールを送った。驚いたことに 30分後に彼から電話があった。
古くからの Kaiser のメンバーである兄は、時々 eメールを送るのではなく積極的に説明することを彼女に勧めたと Sherrill さんは言う。(Sherrill さんによると、彼女が医師を受診しないで eメールに頼っていた理由の一つとして、飲みたくない薬を処方されることを恐れていたという理由があったという)
彼女に対して、Kaiser の患者ホットラインに電話をかけて専門医への受診を強く要求するよう彼は助言した。治療を受けた彼の疾患はまれであるため彼女がそれとは異なる疾病である可能性が高いと彼は言った。そして、「誰かに喉を切ることを許すはめになったことは実に惨めなことだったよ」弁護士として、また元海兵隊員として、彼はそんなふうに皮肉めかして言った。
Sherrill さんはホットラインに電話をかけ、担当医に自身の悪化する症状や兄の診断名について eメールした。数時間のうちに、彼女はある胃腸科医への紹介状を受け取った。彼は様々な検査を行ったが、その中に上部消化管を調べるためのX線を用いる画像検査であるバリウム食道造影があった。
Sherrill さんの症状の原因はすぐに明らかになった。彼女も兄と同じまれな疾患 Zenker's diverticulum(ツェンカー憩室)だったのである。
食道上部の筋肉の機能障害によって引き起こされるツェンカー憩室は咽頭、または喉頭と食道の境界部に形成される袋(嚢)である。
食物、液体、あるいは(オレンジの皮のカプセルなど)その他の摂取物がその袋に捕捉され、窒息や誤嚥を起こし、時には肺炎の原因となりうる。食後数分から数時間後に至るまで逆流が起こることもある。
本疾患は60歳以上の人や、北ヨーロッパ系の人たちに多く見られる。本疾患はまれであり、Sherrill さんを治療した Kaiser Permanente Sacramento の頭頸部外科医 Paula Borges(ポーラ・ボージェス)氏によると、イギリスでは年間 10万人に2人の発症頻度だという。兄弟姉妹例を見るのはめずらしいと Borges 氏は言う。
Sherrill さんのケースではその袋がかなり大きく、彼女の症状の重症度から手術が必要となった。しばしば GERD とツェンカー憩室の両方を持つ患者も存在する。
「そのような状況から、患者はしばしば食事の変更や内服薬で治療され」、改善するように見えるため「若干混同されることがあります」と Borges 氏は言う。
Borges 氏は袋の切除に、より早い回復が期待できる低侵襲手術となる内視鏡的手技を用いて治療したいと考えていた。しかし、それはうまくいかなかった。Sherrill さんにはあらかじめ通告されていたように、その結果は予想されていたことだった。Borges 氏は Sherrill さんの喉の二つの筋肉の間に挟まれていた袋に到達することができなかった。
Sherrill さんの頸部の切開を行う2回目の手術は 2015年12月に行われた。Sherrill さんは 3日間入院し、栄養チューブで 6日間過ごした。手術は成功した。彼女の疼痛と嚥下困難は消失、正常に食べたり飲んだりできるようになり、減少した体重はほぼ回復した。これまでのところ症状は再発していない。
胃酸逆流と診断され、治療にもかかわらず症状が続くような人は専門医への紹介を求めるよう Borges 氏は推奨する。嚥下困難や食物の逆流があれば精査すべきであると彼女は助言する。
兄の援助により Kaiser システムをうまく利用できたと考えていると Sherrill さんは言い、その結果受けることができた治療に満足している。彼女は自分がもっと積極的であればよかったと思っており、今も彼女の主治医であるかかりつけ医のもとに、eメールに頼るのではなく受診しておけばよかったと考えている。
「私の過ちは悪化する状況に順応しようとしていたことです。コンピュータで繰り出す eメールより、直接向かい合い接することの方が、より現実的なのですから」と彼女は言う。
ツェンカー憩室(Zenker’s diverticulum)についての詳細は
下記論文をご参照いただきたい。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jibi/58/5/58_250/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspen/32/4/32_1369/_pdf/-char/ja
ツェンカー憩室は、食道の入り口の後壁に認められる
憩室(袋状の突出)であり、
下咽頭収縮筋と輪状咽頭筋との間に存在する解剖学的脆弱部
(Killian[キリアン]の三角と呼ばれる)に形成される。
上部食道括約部(upper esophageal sphincter, UES)の開大障害と、
憩室そのものによる頸部食道への圧迫により、嚥下困難が生じる。
ツェンカー憩室は UES の弛緩障害がベースにあって、
これに咽頭収縮筋と UES との協調運動障害が加わって
食道入口部の内圧が上昇し、前述の解剖学的脆弱部に
圧出性憩室が形成されると考えられているが
正確な成因はいまだ不明である。
加齢等による輪状咽頭筋の変性が関与している可能性がある。
本疾患は欧米人において発症率が高い。
高齢の男性に多く、有病率は 0.01~0.11 %とされている。
代表的な症状として嚥下障害が 80~90 %に認められる。
その他、嚥下時の疼痛、発声困難、唾液分泌過多、
悪心、嘔吐、口臭、息が詰まる感覚(窒息感)、
憩室内容物の逆流に伴う誤嚥、それに伴う咳嗽、
誤嚥性肺炎の合併などが見られる。
憩室が 1cm未満の小さい例では無症状のこともあるが、
憩室の大きさが 1cmを越えるケースでは
80%以上の症例で固形物、液状物の嚥下時に
憩室からの内容物逆流を来たす。
また憩室粘膜からの癌の発生も知られている。
確定診断には、造影剤嚥下時の食道造影検査や内視鏡検査、
CT検査が行われる。
憩室が小さく症状が軽微なケースでは経過観察でよいが、
症状が強い症例には外科的治療が行われる。
UES の開大障害に対する輪状咽頭筋切開術、
あるいは憩室切除術、またはその両者が行われる。
憩室の大きさが 5cm以下の症例では内視鏡手術が選択されるが
これのみでは癌化の可能性がある病変を残すことになるため、
将来の癌発生のリスクが懸念される。
憩室が大きい症例に対しては頸部切開を行う open surgery が行われる。
いずれの手術法でも 90%以上の改善率が報告されている。
通常の上部消化管内視鏡検査では見逃されるケースもあるため、
原因不明の嚥下障害や食物の逆流を認める患者では
本疾患の可能性を考えておく必要がある。