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風景・風物詩 池上本門寺 満開の桜に染まる日蓮聖人霊跡の東国花の寺4番本門寺での花見

2014年04月06日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 参道から桜満開の本門寺を眺める

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池上本門寺の花見
2014年の東京での桜の開花日は3月25日で、満開日は同1日でしたので、大田区の花見のスポット池上本門寺には、約100本のソメイヨシノがありますので、見ごろの4月1日に花見に行きました。
池上本門寺(大田区池上1-1-1)は、1282年(弘安5年)に病身の日蓮が身延から湯治に行く途中、武蔵国池上郷の池上宗仲の館に到着して、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といわれています。日蓮、池上に20数日間過ごして同年10月13日に没しした後、池上宗仲は69,384坪を寺領として寄進し、寺院「池上本門寺」が築かれました。本門寺では、毎年10月11 ~13日にお会式(「風景・風物詩(B9) 秋の風物詩 池上本門寺のお会式」参照)が行われ、約30万人が参詣に訪れて賑わいます。本門寺の本殿裏には、小堀遠州の作庭の松涛園(「風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その1」参照)があり、そこで1868年(明治元年)に西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした所です。

 池上本門寺境内図

呑み川から池上本門寺全山の桜は、見事に満開の景色(トップ写真参照)です。川を渡り参道を進むと両側には、長栄山中道院、喜昇山本成院と朗栄山本妙院と塔頭3寺院が並んでいます。塔頭(たっちゅう)は、禅寺の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、その敷地内に建てた小院で、本門寺の周辺寺院の塔頭は、最盛期に36寺院ありましたが、現在は23寺院が残っています。

 本門寺の周辺寺院塔頭(:長栄山中道院、:喜昇山本成院、:朗栄山本妙院0401)

周辺寺院の先には、17世紀末~18世紀初め(元禄年間)に建立されたと云われる主柱間5.3mの総門があります。門を潜ると此経難持坂(しきょうなんざか)と呼ぶ96段の石段坂で、慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられています。この石段の両脇の桜も、見事に咲き誇っています。

 総門と此経難持坂周辺の桜(:総門、:此経難持坂、:此経難持坂の桜0401)

此経難持坂を上がり参道を進むと仁王門です。国宝であった仁王門は大戦で焼失し、現在の仁王門は1977年(昭和52年)に再建されたものです。仁王門前の参道両脇の桜も満開です。

 仁王門前の参道周辺の桜(:此経難持坂上から桜を見る、:仁王門前の参道脇の桜、:仁王門内から見る桜0401)

仁王門を潜ると正面には大堂(祖師堂)が建ち、内陣中央には祖師像(日蓮聖人の御尊像)が奉安され、本尊の向かって左側に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置されています。大堂は、1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したが、1710年(宝永7年)に焼失しました。2代目大堂は本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建されました。大戦により1945年(昭和20年)焼失のため、1964年(昭和39年)に現在の大堂を鉄筋コンクリートにて再建されました。大堂の扁額は、本門寺80世金子日威が揮毫したものです。

 池上本門寺大堂(写真拡大0401)

大堂前の境内の左側には、1958年(昭和33年)に再建の鐘楼堂があり、1647年(正保4年)に徳川頼宣の室となった加藤清正の娘の瑤林院が寄進した旧梵鐘は、鐘楼の脇に保存されています。霊宝殿は、平成13年に完成し本門寺の霊宝を永代に亘って保全しており、毎週日曜日に観覧出来ます。

 
楼と霊宝殿の間の桜(:鐘楼と霊宝殿、:鐘楼、:霊宝殿0401)

仁王門の周辺の桜は、右側の墓地への道を進むと日蓮聖人像の付近と五重塔の周辺に多くの桜が植えられてあります。また、門の前にはササベサクラが植えられてあります。

 仁王門周辺の桜 (写真拡大0401)

本門寺には、貴重なササベサクラが見られます。ササベサクラは、日本の桜であるサトザクラ、ヤマザクラの保護育成に生涯を捧げた笹部新太郎氏が、神戸市東灘区にあった笹部邸の庭に生えた実生の桜で、カスミザクラとオオシマザクラ系のサトザクラの交配種であります。(「櫻守の会」から)

 ササベサクラ(:仁王門前のササベサクラ、:五重の塔とササベサクラ、:ササベサクラ(左)とソメイヨシノ(右)0401)

仁王門の右手裏方には、日蓮聖人説法像が建立されています。日蓮像は、宗祖七百遠忌記念のとして、(昭和58年)に富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたもので、製作者は北村西望氏です。

 日蓮聖人像周辺の桜
(写真拡大0401)

五重塔は、大戦による戦災をまぬかれたもので、関東にある幕末以前の五重塔のうち一番古い塔です。1607年(慶長12年)に徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願で快癒し、建立されたが、直後の1614年(慶長19年)の大地震で傾き、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築して修復されました。平成9~13年に、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業として、全解体修理が施され全容を一新しました。

 五重の塔と桜(写真拡大0401)

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