kan-haru blog 2009 彼岸花と日和田山
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群生する彼岸花を一度見てみたいと思い、シルバーウイークの9月20日に巾着田の曼珠沙華公園に行ってきました。
巾着田
巾着田は、埼玉県日高市の西部の巾着の形をした高麗川に囲まれた川原田です。この大きく湾曲した高麗川の地形を利用して川原田は、8世紀頃高句麗からこの付近に移り住んで来て、開墾して稲作を伝えたと言われています。一時は、水田が約17ヘクタールにも及んだ時があったようですが、現在はグラウンドなどが整備され、巾着田曼珠沙華公園として憩いの場所となっています。
巾着田航空写真
曼珠沙華公園
曼珠沙華公園は、春には桜や菜の花が見頃となり、秋には100万本の曼珠沙華が群生し、コスモスの花見に沢山の人が訪れます。9月16~30日の期間中は、曼珠沙華まつりが開かれ公園の入場料が200円徴収されます。
曼珠沙華公園には、西武池袋線の高麗駅から徒歩で約15分のところです。曼珠沙華の開花中は臨時電車が増発し、特急電車が臨時停車しますので、池袋駅9時30分発の特急電車に乗り、高麗駅には10時17分に着きます。
雲一つ無い快晴の高麗駅前広場では、天下大将軍、地下女将軍の赤いポールが出迎えており、曼珠沙華花さんぽステーションが開設され、出店やテント、テーブルなどが設営されており簡単な食事などがとれます。
曼珠沙華見物で混雑の西武池袋線高麗駅(左:曼珠沙華見物で混雑の西武池袋線高麗駅、中:駅前広場の赤い将軍ポール、右:期間中駅前広場に開設の曼珠沙華花さんぽステーション)
曼珠沙華公園には、高麗駅横のガードを潜り道路を進むと国道299号の交差点に出て、信号を渡り細い農道に入ります。農道の角には、1985年(昭和60年)に復元した日高市指定文化財の台の高札場があります。高札場は、江戸時代に幕府が定めた法度や覚書などを掲示する施設で、人通りの多い交差点や村の中心に人々を見下ろすように掲げられたそうです。
高札場を左に見て農道を進むと、農家の軒先で白や黄色の彼岸花を並べたり、採りたての栗、茗荷、生姜などの野菜を売っていました。
曼珠沙華公園へと農道を進む1(左:台の高札場、中・右:黄色や白の彼岸花を売る農家庭先)
農家や民家の脇道を進むと、右手に宿老庵貫斎翁を称えて弟子たちが建立した勝海舟筆の筆塚の碑があり、農道をさらに直進すると道が左に折れて、角には水天の碑が建っています。水天の碑は、天保年代に干魃や大洪水などの天災・水難の事故を鎮めるために村人が建立したものとあります。この付近の畑には栗がたわわに実り、秋晴れの景色が何とも素晴らしいところです。
曼珠沙華公園へと農道を進む2(左:筆塚の碑、中:水天の碑、右:たわわに実をつけた栗の木)
農道の遊歩道を進むとあぜ道の土手には、曼珠沙華の花が咲き誇っていました。途中で高麗川方向に向かう道があり、彼岸花の見学者の一部には右折して進む人もみられましたが、ガイドの遊歩道コースを進み県道15号に出て道標に従い高麗川に架かる鹿台橋を渡ると下流に堰が見え、川岸を南に進むと巾着田への入り口道です。
曼珠沙華公園へと農道を進む3(左:遊歩道の脇には真っ赤な曼珠沙華が咲きほこる、中:県道15号の道標、右:鹿台橋を渡る)
橋を渡り、高麗川のUの字型に大きく湾曲している内岸に沿って南に進むと、橋上から見た堰の縁ですが、堰の石を渡りながら進んで来る人がおります。これは、対岸で別れて進んだ人の巾着田への近道であったのです。川沿いの道を進むと、道の縁には曼珠沙華の真っ赤な花の列が続いて見事でした。
曼珠沙華公園へと遊歩道を進む(左:高麗川の堰、中・右:高麗川縁の曼珠沙華公園への遊歩道)
高麗川沿いの遊歩道をUの字の中央付近まで歩いてから、巾着田の中に入ると、そこは約17ヘクタールのひだか巾着田のコスモス畑でした。見頃は、9月下旬から10月上旬です。
当日は快晴で気温も上昇して日陰が欲しいので、コスモス畑の中央の管理事務所のベンチで水分補給の休憩です。まだ、コスモスの花見には早い時期ですが、多勢の人が20本200円で花摘みを楽しんでいました。
巾着の中は雄大なコスモス畑(左・中・右写真拡大)
小休息後は、お目当ての曼珠沙華群生の鑑賞です。巾着田の中央部を南に進み、畑の中のそばの花や蓮畑を見ながら曼珠沙華公園の第3ゲートに到着です。
巾着田中央の畑(左:そばの花、中:蓮畑、右:曼珠沙華公園第3ゲート)
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(10月分掲Indexへ)
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次回 小さな旅 曼珠沙華まつり 秋の高麗の里巾着田に真っ赤に色づく彼岸花の郷(その2) へ
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群生する彼岸花を一度見てみたいと思い、シルバーウイークの9月20日に巾着田の曼珠沙華公園に行ってきました。
巾着田
巾着田は、埼玉県日高市の西部の巾着の形をした高麗川に囲まれた川原田です。この大きく湾曲した高麗川の地形を利用して川原田は、8世紀頃高句麗からこの付近に移り住んで来て、開墾して稲作を伝えたと言われています。一時は、水田が約17ヘクタールにも及んだ時があったようですが、現在はグラウンドなどが整備され、巾着田曼珠沙華公園として憩いの場所となっています。
巾着田航空写真
曼珠沙華公園
曼珠沙華公園は、春には桜や菜の花が見頃となり、秋には100万本の曼珠沙華が群生し、コスモスの花見に沢山の人が訪れます。9月16~30日の期間中は、曼珠沙華まつりが開かれ公園の入場料が200円徴収されます。
曼珠沙華公園には、西武池袋線の高麗駅から徒歩で約15分のところです。曼珠沙華の開花中は臨時電車が増発し、特急電車が臨時停車しますので、池袋駅9時30分発の特急電車に乗り、高麗駅には10時17分に着きます。
雲一つ無い快晴の高麗駅前広場では、天下大将軍、地下女将軍の赤いポールが出迎えており、曼珠沙華花さんぽステーションが開設され、出店やテント、テーブルなどが設営されており簡単な食事などがとれます。
曼珠沙華見物で混雑の西武池袋線高麗駅(左:曼珠沙華見物で混雑の西武池袋線高麗駅、中:駅前広場の赤い将軍ポール、右:期間中駅前広場に開設の曼珠沙華花さんぽステーション)
曼珠沙華公園には、高麗駅横のガードを潜り道路を進むと国道299号の交差点に出て、信号を渡り細い農道に入ります。農道の角には、1985年(昭和60年)に復元した日高市指定文化財の台の高札場があります。高札場は、江戸時代に幕府が定めた法度や覚書などを掲示する施設で、人通りの多い交差点や村の中心に人々を見下ろすように掲げられたそうです。
高札場を左に見て農道を進むと、農家の軒先で白や黄色の彼岸花を並べたり、採りたての栗、茗荷、生姜などの野菜を売っていました。
曼珠沙華公園へと農道を進む1(左:台の高札場、中・右:黄色や白の彼岸花を売る農家庭先)
農家や民家の脇道を進むと、右手に宿老庵貫斎翁を称えて弟子たちが建立した勝海舟筆の筆塚の碑があり、農道をさらに直進すると道が左に折れて、角には水天の碑が建っています。水天の碑は、天保年代に干魃や大洪水などの天災・水難の事故を鎮めるために村人が建立したものとあります。この付近の畑には栗がたわわに実り、秋晴れの景色が何とも素晴らしいところです。
曼珠沙華公園へと農道を進む2(左:筆塚の碑、中:水天の碑、右:たわわに実をつけた栗の木)
農道の遊歩道を進むとあぜ道の土手には、曼珠沙華の花が咲き誇っていました。途中で高麗川方向に向かう道があり、彼岸花の見学者の一部には右折して進む人もみられましたが、ガイドの遊歩道コースを進み県道15号に出て道標に従い高麗川に架かる鹿台橋を渡ると下流に堰が見え、川岸を南に進むと巾着田への入り口道です。
曼珠沙華公園へと農道を進む3(左:遊歩道の脇には真っ赤な曼珠沙華が咲きほこる、中:県道15号の道標、右:鹿台橋を渡る)
橋を渡り、高麗川のUの字型に大きく湾曲している内岸に沿って南に進むと、橋上から見た堰の縁ですが、堰の石を渡りながら進んで来る人がおります。これは、対岸で別れて進んだ人の巾着田への近道であったのです。川沿いの道を進むと、道の縁には曼珠沙華の真っ赤な花の列が続いて見事でした。
曼珠沙華公園へと遊歩道を進む(左:高麗川の堰、中・右:高麗川縁の曼珠沙華公園への遊歩道)
高麗川沿いの遊歩道をUの字の中央付近まで歩いてから、巾着田の中に入ると、そこは約17ヘクタールのひだか巾着田のコスモス畑でした。見頃は、9月下旬から10月上旬です。
当日は快晴で気温も上昇して日陰が欲しいので、コスモス畑の中央の管理事務所のベンチで水分補給の休憩です。まだ、コスモスの花見には早い時期ですが、多勢の人が20本200円で花摘みを楽しんでいました。
巾着の中は雄大なコスモス畑(左・中・右写真拡大)
小休息後は、お目当ての曼珠沙華群生の鑑賞です。巾着田の中央部を南に進み、畑の中のそばの花や蓮畑を見ながら曼珠沙華公園の第3ゲートに到着です。
巾着田中央の畑(左:そばの花、中:蓮畑、右:曼珠沙華公園第3ゲート)
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