西日本豪雨(その1)
2018年7月6日(金)
最初に、正直に告白しておこう。
今回の豪雨災害は、災害に対する意識が甘かった結果じゃと思う。
「災害はいつ起こるかわからない」
誰もがそう考える。
しかし同時に、
「災害はたぶん、自分が生きている間は起きないだろう」
「自分が住んでいる町は大丈夫だろう」
「我が身に災害が降りかかることはないだろう」
と、ほとんどの人が、何の根拠もなく考えるはずじゃ。
わしもそのひとりじゃった…。
今から振り返ってみると、断続的にじゃが、今月1日(日)から雨は降り続いとった。
3日(火)は、台風7号接近のため定時で退社。
5日(木)からの大雨で、県内の一部には避難勧告も出た。
6日(金)朝、JR西日本のホームページを見ると、「雨の状況によっては、運転を見合わせる可能性があります」との予告が。
そのせいか、JR広島駅は普段よりも人が少なかった。
わしがいつも利用する山陽本線は、通常どおり運行。
「今までも大丈夫じゃったけぇ、今回も大丈夫じゃろう」
JRの在来線がお昼で運転を見合わ、との情報が。
「JRが止まるいうけぇ、今日は帰ります」と早退する人も。
「仕事が忙しい時に、このくらいの雨で帰社しちゃいけまぁ」
口に出しては言わんかったが、そういう認識じゃった。
結局、JRは15時30分、広島県内すべての在来線の運転を見合わせた。
台風以外でこれだけ大規模にJRが運転を取りやめるのは、今回が初めてじゃないかの。
この時、行動を開始しておけばえかった(=良かった)んじゃが、神ならぬ身の知る由(よし)も無かった。
昼過ぎ、広島市北西部にある大学に通う娘2号からLINE。
「大学で課題を済ませてから帰るか、すぐ帰るか。どうしよう?」と聞いてきたので、
「アストラムラインに乗って、早く帰りなさい!!」と伝える。
アストラムラインに乗って広島市中心部まで戻ってこれたら、バスか市内電車に乗って家までたどり着くことができるけぇの。
結局、市内電車は満員のため乗ることができず、家まで歩くことになったが、娘2号は無事に家に帰ることができた。
14時35分、緊急速報!
土砂災害発生の危険性が高いため、自宅がある広島市東区の一部に避難勧告が発令された。
自宅におった女房と、病気で仕事を休んどった娘1号は、無事じゃったが。
この時点でもまだ、わし自身の身に災難が降りかかろうとは、露ほども思うとらんかった。
JR運休のため、帰りは職場の人の車で連れて帰ってもらうことにして、残業体制に。
18時ころから雨脚(あまあし)が強くなり、19時前、退社命令!
会社を出て車で国道2号線を広島市へ向かうも、大渋滞。
志和(しわ)インター入口手前あたりから車がほとんど動かず。
そんな雨の中、国道2号線を歩いて帰る強者(つわもの)も。
普段ならたくさんの車が通る国道2号線を歩いて帰ること自体、自殺行為に近いんじゃが、これだけの大渋滞じゃったら、逆に歩いて帰る方が早いかもしれん。
大雨で瀬野川(せのがわ)が決壊(けっかい)、海田(かいた)あたりで冠水(かんすい)通行止めとの情報が、ネット経由で入ってくる。
天下の国道2号線とはいえ、このまま進むことができそうにない。
…ということで、車内で緊急会議を開く。
「志和を北上して行ったらJR芸備線の志和口あたりに出れるけぇ、芸備線沿いで帰るんはどうじゃろ?」
「ほいじゃが、あそこは三篠川(みささがわ)が流れとるけぇの。瀬野川みたいに川が決壊しとったら通れんで」
「…どうするかいの?」
結論。
会社に戻ろう!!
瀬野川公園のはるか手前からUターンして志和インターまで戻り、コンビニで夕食と明日の朝食を確保。
駐車場は満杯じゃったが、この時点ではまだ、弁当・おにぎり・パン類を買うことができた。
2号線は渋滞しとるので、裏道を通って行くことに。
その裏道から2号線に戻ろうとするが、「通行止め」の看板やコーンが置いてあったりして、車が通ることができん。
ある交差点では、警察官が交通整理をされとった。
いくら仕事とはいえ、雨の中、本当にお疲れさまです。
道路に水が流れとるが、通れそうな道があったので、そこを進むことに。
車が走ると窓くらいの高さまで水が跳ね上がって、まるで遊園地のアトラクションに乗ったような気分!
そんなことをいうと、車を運転しとるW君に申し訳ないんじゃが…。
この道を進む間、土砂崩れに巻き込まれ、乗り捨てられた車を2台くらい見かける。
嗚呼、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。
23時30分ころ、会社着。
会社を出てから、帰り着くまで4時間半かかった。
最初から会社泊まりを決め込んどった方から、
「おぉっ、いつもより早いご出勤じゃん」
「いやですねぇ。いつもこのくらいの時間に出勤しとりますよ」
「駆けつけ三杯で、ビールでもどう?」
「いいですねぇ。飲んだ方が仕事がはかどりますから」
と軽口を交わした後、夕食をいただく。
会社泊まりの方は、近くのコンビニまで自動車で買い出しに行ったり、近所のラーメン屋で夕食を食べたそうじゃ。
夕食を食べて、ひと休み。
ふと時計を見ると、日付が変わって、7月7日(土)になっとった。
7月7日。
そうか、今日は七夕か。
子どもが大きゅうなった今じゃ、七夕なんて意識せんようになっとったが。
こりゃ、一生忘れられん七夕になるのう。
タクシーで熊野・呉(くれ)方面へ脱出を試みた人が、会社に戻ってくる。
話を聞いてみると、国道2号線が通れそうにないので、熊野か呉に出て、そこから広島市内に向かおうとしたらしいが、こちらも行く道がことごとく通行止め。
結局、会社に戻ってきたという。
この人もチャレンジャーじゃが、付き合うてくれた運転手さんも、仕事とはいえ大変じゃったろうの。
このタクシーの運転手さんは無事、会社まで戻れたんじゃろか?
会社の応接室のソファで休むように言われるが、体が沈んでしまうような立派なソファで眠れるわけがない。
自分の机で突っ伏して眠ろうとするが、眠れず。
空いたイスに足を乗せて眠ろうとするも、眠れず。
結局、使っていない机の上に横になって、ウトウトする。
5時30分ころ、目覚める。
2時ころトイレに行った時は、国道2号線で渋滞が続いとったが、この時点では渋滞が解消しとった。
夜半まで土砂降りじゃった雨も、止んどった。
会社に、少しずつ情報が入ってくる。
明け方になってようやく自宅にたどり着いた人もいれば、国道2号線の渋滞から帰宅をあきらめて西条市内のホテルに泊まった人も。
避難勧告が出てたので、自宅でなく避難所で一夜を明かした人も。
この時点では、被災した人はおらんいうことじゃったんで、一安心。
昨日の夜、コンビニで調達したおにぎりとみそ汁で、朝ごはんでいただく。
水が出ること、電気がつくこと、ポットでお湯が沸かせること、
そして、命があることに感謝しながら。
合掌。
今日の課題は、東広島市を脱出して、女房・子供が待つ広島市の自宅まで帰ること。
ほいじゃが、どの道を行ったら、広島市までたどり着くことができるのか?
ネットで情報を探すも、「これ!」という決定的な情報がない。
とりあえず、出たとこ勝負で行くしか、ない!
…というわけで、2018年七夕の、長い長い1日が始まったのであった。
(つづく)
今日は、西日本豪雨(その1)「東広島市から脱出せよ!」について話をさせてもらいました。
次回は、西日本豪雨(その2)「広島市への帰還!」の予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。
2018年7月6日(金)
最初に、正直に告白しておこう。
今回の豪雨災害は、災害に対する意識が甘かった結果じゃと思う。
「災害はいつ起こるかわからない」
誰もがそう考える。
しかし同時に、
「災害はたぶん、自分が生きている間は起きないだろう」
「自分が住んでいる町は大丈夫だろう」
「我が身に災害が降りかかることはないだろう」
と、ほとんどの人が、何の根拠もなく考えるはずじゃ。
わしもそのひとりじゃった…。
今から振り返ってみると、断続的にじゃが、今月1日(日)から雨は降り続いとった。
3日(火)は、台風7号接近のため定時で退社。
5日(木)からの大雨で、県内の一部には避難勧告も出た。
6日(金)朝、JR西日本のホームページを見ると、「雨の状況によっては、運転を見合わせる可能性があります」との予告が。
そのせいか、JR広島駅は普段よりも人が少なかった。
わしがいつも利用する山陽本線は、通常どおり運行。
「今までも大丈夫じゃったけぇ、今回も大丈夫じゃろう」
JRの在来線がお昼で運転を見合わ、との情報が。
「JRが止まるいうけぇ、今日は帰ります」と早退する人も。
「仕事が忙しい時に、このくらいの雨で帰社しちゃいけまぁ」
口に出しては言わんかったが、そういう認識じゃった。
結局、JRは15時30分、広島県内すべての在来線の運転を見合わせた。
台風以外でこれだけ大規模にJRが運転を取りやめるのは、今回が初めてじゃないかの。
この時、行動を開始しておけばえかった(=良かった)んじゃが、神ならぬ身の知る由(よし)も無かった。
昼過ぎ、広島市北西部にある大学に通う娘2号からLINE。
「大学で課題を済ませてから帰るか、すぐ帰るか。どうしよう?」と聞いてきたので、
「アストラムラインに乗って、早く帰りなさい!!」と伝える。
アストラムラインに乗って広島市中心部まで戻ってこれたら、バスか市内電車に乗って家までたどり着くことができるけぇの。
結局、市内電車は満員のため乗ることができず、家まで歩くことになったが、娘2号は無事に家に帰ることができた。
14時35分、緊急速報!
土砂災害発生の危険性が高いため、自宅がある広島市東区の一部に避難勧告が発令された。
自宅におった女房と、病気で仕事を休んどった娘1号は、無事じゃったが。
この時点でもまだ、わし自身の身に災難が降りかかろうとは、露ほども思うとらんかった。
JR運休のため、帰りは職場の人の車で連れて帰ってもらうことにして、残業体制に。
18時ころから雨脚(あまあし)が強くなり、19時前、退社命令!
会社を出て車で国道2号線を広島市へ向かうも、大渋滞。
志和(しわ)インター入口手前あたりから車がほとんど動かず。
そんな雨の中、国道2号線を歩いて帰る強者(つわもの)も。
普段ならたくさんの車が通る国道2号線を歩いて帰ること自体、自殺行為に近いんじゃが、これだけの大渋滞じゃったら、逆に歩いて帰る方が早いかもしれん。
大雨で瀬野川(せのがわ)が決壊(けっかい)、海田(かいた)あたりで冠水(かんすい)通行止めとの情報が、ネット経由で入ってくる。
天下の国道2号線とはいえ、このまま進むことができそうにない。
…ということで、車内で緊急会議を開く。
「志和を北上して行ったらJR芸備線の志和口あたりに出れるけぇ、芸備線沿いで帰るんはどうじゃろ?」
「ほいじゃが、あそこは三篠川(みささがわ)が流れとるけぇの。瀬野川みたいに川が決壊しとったら通れんで」
「…どうするかいの?」
結論。
会社に戻ろう!!
瀬野川公園のはるか手前からUターンして志和インターまで戻り、コンビニで夕食と明日の朝食を確保。
駐車場は満杯じゃったが、この時点ではまだ、弁当・おにぎり・パン類を買うことができた。
2号線は渋滞しとるので、裏道を通って行くことに。
その裏道から2号線に戻ろうとするが、「通行止め」の看板やコーンが置いてあったりして、車が通ることができん。
ある交差点では、警察官が交通整理をされとった。
いくら仕事とはいえ、雨の中、本当にお疲れさまです。
道路に水が流れとるが、通れそうな道があったので、そこを進むことに。
車が走ると窓くらいの高さまで水が跳ね上がって、まるで遊園地のアトラクションに乗ったような気分!
そんなことをいうと、車を運転しとるW君に申し訳ないんじゃが…。
この道を進む間、土砂崩れに巻き込まれ、乗り捨てられた車を2台くらい見かける。
嗚呼、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。
23時30分ころ、会社着。
会社を出てから、帰り着くまで4時間半かかった。
最初から会社泊まりを決め込んどった方から、
「おぉっ、いつもより早いご出勤じゃん」
「いやですねぇ。いつもこのくらいの時間に出勤しとりますよ」
「駆けつけ三杯で、ビールでもどう?」
「いいですねぇ。飲んだ方が仕事がはかどりますから」
と軽口を交わした後、夕食をいただく。
会社泊まりの方は、近くのコンビニまで自動車で買い出しに行ったり、近所のラーメン屋で夕食を食べたそうじゃ。
夕食を食べて、ひと休み。
ふと時計を見ると、日付が変わって、7月7日(土)になっとった。
7月7日。
そうか、今日は七夕か。
子どもが大きゅうなった今じゃ、七夕なんて意識せんようになっとったが。
こりゃ、一生忘れられん七夕になるのう。
タクシーで熊野・呉(くれ)方面へ脱出を試みた人が、会社に戻ってくる。
話を聞いてみると、国道2号線が通れそうにないので、熊野か呉に出て、そこから広島市内に向かおうとしたらしいが、こちらも行く道がことごとく通行止め。
結局、会社に戻ってきたという。
この人もチャレンジャーじゃが、付き合うてくれた運転手さんも、仕事とはいえ大変じゃったろうの。
このタクシーの運転手さんは無事、会社まで戻れたんじゃろか?
会社の応接室のソファで休むように言われるが、体が沈んでしまうような立派なソファで眠れるわけがない。
自分の机で突っ伏して眠ろうとするが、眠れず。
空いたイスに足を乗せて眠ろうとするも、眠れず。
結局、使っていない机の上に横になって、ウトウトする。
5時30分ころ、目覚める。
2時ころトイレに行った時は、国道2号線で渋滞が続いとったが、この時点では渋滞が解消しとった。
夜半まで土砂降りじゃった雨も、止んどった。
会社に、少しずつ情報が入ってくる。
明け方になってようやく自宅にたどり着いた人もいれば、国道2号線の渋滞から帰宅をあきらめて西条市内のホテルに泊まった人も。
避難勧告が出てたので、自宅でなく避難所で一夜を明かした人も。
この時点では、被災した人はおらんいうことじゃったんで、一安心。
昨日の夜、コンビニで調達したおにぎりとみそ汁で、朝ごはんでいただく。
水が出ること、電気がつくこと、ポットでお湯が沸かせること、
そして、命があることに感謝しながら。
合掌。
今日の課題は、東広島市を脱出して、女房・子供が待つ広島市の自宅まで帰ること。
ほいじゃが、どの道を行ったら、広島市までたどり着くことができるのか?
ネットで情報を探すも、「これ!」という決定的な情報がない。
とりあえず、出たとこ勝負で行くしか、ない!
…というわけで、2018年七夕の、長い長い1日が始まったのであった。
(つづく)
今日は、西日本豪雨(その1)「東広島市から脱出せよ!」について話をさせてもらいました。
次回は、西日本豪雨(その2)「広島市への帰還!」の予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。