通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

御建神社 東広島市西条町

2016年01月16日 | 見て歩き
御建神社(みたてじんじゃ)

旧村社

東広島市西条町






JR西条駅北口を出てすぐのところに、

旧村社でもある御建神社がある。







参道入口









鳥居







参道の両側には、西条にある酒造会社の旗が立ててある。







参道の右側には手水舎と…、







御建稲荷神社がある。







境内に上る石段の右側には…、







商売繁盛・福の神である

えびす様が彫られた石が埋めてあった。



えびす様は、

事代主命(ことしろぬしのみこと)ともいわれ、

御建神社に祀ってあるんじゃ。







御建神社由緒


祭神として素戔嗚命 事代主命 市杵島姫命等を祀っている。


由緒


慶雲三年(七〇六)諸国に疫病が流行した時、
素戔嗚命に祈り疫病が止んだ事から当時の
人々が社を建てて祀ったのが当社の起りと伝
えられている。もとは西条町字御建に鎮座し
ていたが明治四十三年十月西条町字北の若宮
八幡神社 胡子神社 金崎神社 西条町大地
面の大地面神社及びその境内社を御建神社に
合併し翌年十月に現在地に遷産された。

大正三年十一月の火災の為 神殿が焼失した
が翌年より三年をかけて現在の社に再建され
た。なお当社は旧称を「祇園社四日市次郎丸村
にあり」と記されている。

昭和初年 山城伏見の松尾神社の分霊を境内に
勧請し酒都西条の酒の守護神とした摂本社松尾
神社がある。毎年酒造期の十一月には町内の酒
造家によって厳粛に祭礼が行われている。


例祭 十月十四日

本殿 三間社流造 銅板葺(間口 二間、奥行 三間)

付属社殿 弊殿、拝殿、御供社、手水舎、鳥居

境内地 一三〇〇坪


  宮司 三善 孝昭

  総代代表 石井 泰行


(由緒書きより)






御建神社の旧称・祇園社は、

もとは現在のJR西条駅南側にあった、

素戔嗚命(すさのおのみこと)

牛頭天王(ごずてんのう)

を祭神とする祇園信仰の神社。



素戔嗚命が御建神社に祀られとるんは

そのためじゃろうの。



牛頭天王は、釈迦(シャカ)の生誕地にちなむ

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神で、

疫病払いの神でもあるんじゃ。





四日市次郎丸村(よつかいちじろうまるむら)は、

現在の東広島市西条あたり。



四日市といえば、江戸時代、

西国街道(旧山陽道)最大の宿駅「四日市宿(よつかいちじゅく)」

として有名じゃった。







拝殿





訪問したのが年末(2015年12月30日)ということもあって、

新年の準備中。









拝殿には酒造会社の酒樽が奉納してあった。









境内の入口には、

阿形(あぎょう。写真上)

吽形(うんぎょう。写真下)とも

玉乗りで、子持ちの狛犬がある。



台座には、今から162年前の

嘉永七年(1854年)の銘が。







拝殿の左奥には、酒都(しゅと)・西条の酒の守護神

松尾神社がある。





↓松尾神社についての関連記事は、こちら↓

松尾神社 東広島市西条町







拝殿の右奥には…、







駆逐艦「深雪(みゆき)」の絵馬が奉納されてあった。



深雪は、横須賀市の浦賀船渠(うらがせんきょ)で建造され、

1929年(昭和4年)に竣工した駆逐艦。



竣工から5年後の1934年(昭和9年)、

済州島(チェジュとう、さいしゅうとう)南方で演習中、

駆逐艦「電(いなづま)」が右舷中央部に衝突し、

その場で沈没したそうじゃ。







御建神社の西側にあるのが、

御建公園野球場。



ここは1914年(大正3年)、

乗馬を行うための土地である馬場(ばば)として造成され、

秋季大祭には近郊の農耕馬が集い、健脚を競ったという。



また、盆踊り大会や大相撲の地方巡業も行われたことがあるそうじゃ。





↓御建公園野球場については、こちら↓

「御建公園野球場」東広島市公式ホームページ





訪問日:2015年12月30日





【参考文献】

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』(平凡社 1982年)

東広島市郷土史研究会『西條四日市 町並写真集』(2012年)






今日は、JR西条駅北側にある御建神社について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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