通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

運命の星が生れた(その2)

2016年01月17日 | まんが・テレビ・映画
猿飛佐助

武田勝頼(たけだ かつより)の遺児(いじ)

NHK人形劇『真田十勇士』(さなだじゅうゆうし)






今から40年ほど前、

NHKで放送された人形劇『真田十勇士』

(1975年~1977年。原作:柴田錬三郎。人形:辻村ジュサブロー)

の話じゃ。





前回(「運命の星が生れた(その1)」)は、

真田幸村は、自分の星のまわりに星が10個輝くことで

自分の手足となって働く10人の勇士が現われることをさとった、

という話じゃった。





今回は、『真田十勇士』の主役である

猿飛佐助の誕生について。





実は佐助は、滅亡した武田家

武田勝頼の遺児である

という設定なんじゃ。





その時のいきさつは、次のとおり…。





ときは、天正10年(1582年)早春の、ある宵。

ところは、伊賀山中。





今は亡き武田信玄(たけだ しんげん)の軍師として活躍しとった

山本勘助(やまもと かんすけ)が、

忍者・戸沢白雲斎(とざわ はくうんさい)の草庵を訪ねた。





「織田信長(おだ のぶなが)の手によって、

武田家はもうすぐ滅びる。

その前に身ごもっている武田勝頼夫人だけはお救いしたい」





白雲斎は一度は断るものの、その依頼を引き受け、

伊賀(現:三重県)から

甲斐(現:山梨県)にある天目山(てんもくざん)に追い詰められた

武田勝頼の元に急ぐんじゃ。





…が、時すでに遅く、勝頼は一族郎党とも切腹し、

武田家は滅亡した。





「遅かったか!」





天を仰ぐ白雲斎の目に、

ひとつの流星が空に向かって駆けのぼっていくのが映った。





これこそ、勝頼の子が生まれた証拠に違いないと

陣中に駆け込むと、

そこで木の枝につるされた短冊を見つけた。





黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき

思ひに消ゆる 露の玉の緒






その木の下で果てていたのが勝頼夫人で、

抱き起こしてみると、その下に赤児(あかご)がおった。

白雲斎が抱き上げると、赤児は片手を上げ、夜空を指さすと、

そこには、大きな星のまわりをひとつの小さな星が回っていた。





…同じころ。

この星を見た幸村は

勇士がひとり現われたことを知ったんじゃの。





…さて、赤児を連れて草庵に戻った白雲斎。

山本勘助から、

「この子を一流の忍者として育てあげ、

父の敵である織田信長を討たせたい」

と頼まれるも、

「この子の澄んだ眸子(ひとみ)は優しく、

忍者に向かないのではないか」

と答えた。





と、その時!





満天の星が、にわかにきらめき、光の渦を起こした。

とたん、赤児が、すっと、起き上がって、天を指さした。

「おお! やはり、ただの子ではない」






こうして白雲斎は勘助の依頼を受け、

佐助を立派な忍者に育てることにしたというわけじゃ。





【参考文献】

柴田錬三郎『真田十勇士 巻の一 運命の星が生れた』(日本放送出版協会 1975年)






今日は、NHK人形劇『真田十勇士』で、猿飛佐助は武田勝頼の遺児で、白雲斎の下で忍者として育てられることになったことについて話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする