「今は廃止線となった旧宇品(うじな)線跡をたどる今回のシリーズ」
「前回は、下大河駅(しもおおこうえき)を紹介したんじゃけど」
「今回は、丹那駅(たんなえき)を紹介しようかの」
【丹那駅(たんなえき)】
駅間距離/0.5キロ
広島駅からの距離/3.8キロ
1930年(昭和5年)12月20日/芸備鉄道が「丹那停留場」を新設
1966年(昭和41年)12月20日/廃止
【丹那駅(たんなえき)】
駅間距離/0.2キロ
広島駅からの距離/4.0キロ
1904年(明治37年)6月12日/山陽鉄道が「丹那簡易停車場」を新設
1919年(昭和12年)8月1日/旅客営業廃止
「今回も、ちょっとややこしいね」
「1904年に丹那簡易停車場ができたんじゃが、1919年には宇品線自体が旅客営業を廃止して、貨物専用線になったんじゃの」
「なんで?」
「旧宇品線と競合するのは、どこかいの?」
「あぁ、広電(ひろでん。=広島電鉄)の宇品線が開通したけぇ?」
「ほうじゃの。正確には、この年の5月に御幸橋(みゆきばし)に電車専用の橋が開通して、市内から宇品まで電車で行き来できるようになったのが理由のひとつらしいのう」
「それまで、広電の電車はどうなっとったっけ?」
「市内・紙屋町(かみやちょう)から御幸橋までと、御幸橋から宇品までは、それぞれ電車が通っとったんじゃ」
「御幸橋は?」
「一度電車を降りて、御幸橋を歩いて渡る。その後、また電車に乗りよったんじゃそうな」
「なんでまた、そんなややこしいことを…」
「御幸橋は1885年(明治18年)、宇品の港を作るときに架けられた、木造の橋なんじゃの」
「あぁ、木の橋には電車を通すことができんかったんじゃね」
「1919年に電車専用の橋ができて、広島市内から宇品までを結ぶことができるようになったんじゃ」
「旧宇品線に話を戻すと…。南警察署交差点を渡って南側、福山通運寄り(西寄り)を旧宇品線が走りよったんじゃの」
「花がたくさん咲いとるね」
「写真左側、花が咲いとるあたりを、旧宇品線が走りよったそうじゃ」
「海岸通りには、こんな車も走っとった」
「こんな古いオート三輪が、今も走りよるんじゃね」
「海岸通り沿いには宇品線の跡が見当たらんかったけぇ、西側にある一段低い道路、福山通運の倉庫手前にある道路から見てみようかの」
「なんでここは、低(ひう)うなっとるん?」
「旧宇品線が開通したとき、線路は堤防の上にあった。この東側、今、海岸通りと呼ばれる道路が通っとるところは、まだ海じゃったんじゃの」
「あぁ、堤防は高くしてあるけぇ、道路は低うなっとるというわけじゃね」
「それを昭和30年代に埋め立てて、今のようになったそうじゃ。ちなみに、宇品にある東西の堤防を線路が通っとったことになるんじゃ」
「東側は旧宇品線じゃけぇ、…西側は広電の宇品線が走っとったん?」
「ほうじゃの。広電の宇品線は、今のルートとは違(ちご)うて、堤防に沿うて走っとった。ほいじゃけぇ、1915年(大正4年)に開通したころは「堤防下線」と呼ばれとったそうじゃ」
(以下、撮影日:2013年10月26日)
「道の下側には、石積みも残っとるのう」
「2段のものや、3段のものもあるんじゃね」
「石積みといえば、こんなものも残っとった」
「この石も、旧宇品線と関係あるんじゃろうか?」
「旧宇品線を横切る生活道が、今も何か所か残っとるんじゃの」
「足場になる石や木を置いただけの簡単なものから、立派なものまでいろんなのがあるんじゃね」
「石碑があって、そこにはこう刻んであった」
【西側】
広島市水道局排水本管
四〇〇粍埋設位置軌条面下二米二〇糎
【東側】
竣工 昭和四十年五月 施工 伏光組
「軌条って?」
「軌条(きじょう)いうのは、レールのことじゃ」
「「粍」とか「糎」は?」
「「粍」は「ミリ」、「糎」は「センチ」。直径400ミリの配管が、旧宇品線のレールの下2メートル20センチ下を通っています、という意味じゃろう」
「うーん。漢字は難しい…」
「写真奥に見える建物が、広島市旭町水資源再生センターじゃけぇ、この配管はここと関係があるんじゃないんかの」
「これはおまけ。旧宇品線のそばにある宇品東住宅の入り口が気に入ったので、写真を撮ってみた」
【参考文献】
長船友則『宇品線92年の軌跡』(ネコ・パブリッシング 2012年)
訪問日:2013年10月14日
「今日は、旧宇品線の丹那駅について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「前回は、下大河駅(しもおおこうえき)を紹介したんじゃけど」
「今回は、丹那駅(たんなえき)を紹介しようかの」
【丹那駅(たんなえき)】
駅間距離/0.5キロ
広島駅からの距離/3.8キロ
1930年(昭和5年)12月20日/芸備鉄道が「丹那停留場」を新設
1966年(昭和41年)12月20日/廃止
【丹那駅(たんなえき)】
駅間距離/0.2キロ
広島駅からの距離/4.0キロ
1904年(明治37年)6月12日/山陽鉄道が「丹那簡易停車場」を新設
1919年(昭和12年)8月1日/旅客営業廃止
「今回も、ちょっとややこしいね」
「1904年に丹那簡易停車場ができたんじゃが、1919年には宇品線自体が旅客営業を廃止して、貨物専用線になったんじゃの」
「なんで?」
「旧宇品線と競合するのは、どこかいの?」
「あぁ、広電(ひろでん。=広島電鉄)の宇品線が開通したけぇ?」
「ほうじゃの。正確には、この年の5月に御幸橋(みゆきばし)に電車専用の橋が開通して、市内から宇品まで電車で行き来できるようになったのが理由のひとつらしいのう」
「それまで、広電の電車はどうなっとったっけ?」
「市内・紙屋町(かみやちょう)から御幸橋までと、御幸橋から宇品までは、それぞれ電車が通っとったんじゃ」
「御幸橋は?」
「一度電車を降りて、御幸橋を歩いて渡る。その後、また電車に乗りよったんじゃそうな」
「なんでまた、そんなややこしいことを…」
「御幸橋は1885年(明治18年)、宇品の港を作るときに架けられた、木造の橋なんじゃの」
「あぁ、木の橋には電車を通すことができんかったんじゃね」
「1919年に電車専用の橋ができて、広島市内から宇品までを結ぶことができるようになったんじゃ」
「旧宇品線に話を戻すと…。南警察署交差点を渡って南側、福山通運寄り(西寄り)を旧宇品線が走りよったんじゃの」
「花がたくさん咲いとるね」
「写真左側、花が咲いとるあたりを、旧宇品線が走りよったそうじゃ」
「海岸通りには、こんな車も走っとった」
「こんな古いオート三輪が、今も走りよるんじゃね」
「海岸通り沿いには宇品線の跡が見当たらんかったけぇ、西側にある一段低い道路、福山通運の倉庫手前にある道路から見てみようかの」
「なんでここは、低(ひう)うなっとるん?」
「旧宇品線が開通したとき、線路は堤防の上にあった。この東側、今、海岸通りと呼ばれる道路が通っとるところは、まだ海じゃったんじゃの」
「あぁ、堤防は高くしてあるけぇ、道路は低うなっとるというわけじゃね」
「それを昭和30年代に埋め立てて、今のようになったそうじゃ。ちなみに、宇品にある東西の堤防を線路が通っとったことになるんじゃ」
「東側は旧宇品線じゃけぇ、…西側は広電の宇品線が走っとったん?」
「ほうじゃの。広電の宇品線は、今のルートとは違(ちご)うて、堤防に沿うて走っとった。ほいじゃけぇ、1915年(大正4年)に開通したころは「堤防下線」と呼ばれとったそうじゃ」
(以下、撮影日:2013年10月26日)
「道の下側には、石積みも残っとるのう」
「2段のものや、3段のものもあるんじゃね」
「石積みといえば、こんなものも残っとった」
「この石も、旧宇品線と関係あるんじゃろうか?」
「旧宇品線を横切る生活道が、今も何か所か残っとるんじゃの」
「足場になる石や木を置いただけの簡単なものから、立派なものまでいろんなのがあるんじゃね」
「石碑があって、そこにはこう刻んであった」
【西側】
広島市水道局排水本管
四〇〇粍埋設位置軌条面下二米二〇糎
【東側】
竣工 昭和四十年五月 施工 伏光組
「軌条って?」
「軌条(きじょう)いうのは、レールのことじゃ」
「「粍」とか「糎」は?」
「「粍」は「ミリ」、「糎」は「センチ」。直径400ミリの配管が、旧宇品線のレールの下2メートル20センチ下を通っています、という意味じゃろう」
「うーん。漢字は難しい…」
「写真奥に見える建物が、広島市旭町水資源再生センターじゃけぇ、この配管はここと関係があるんじゃないんかの」
「これはおまけ。旧宇品線のそばにある宇品東住宅の入り口が気に入ったので、写真を撮ってみた」
【参考文献】
長船友則『宇品線92年の軌跡』(ネコ・パブリッシング 2012年)
訪問日:2013年10月14日
「今日は、旧宇品線の丹那駅について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」