「先週の金曜日、11月の1日にゆめマート二葉の里がオープンしたのう」
「新聞の折り込みチラシを探したんじゃけど、入ってなかったね」
「その代わりといってはなんじゃが、中国新聞に全面広告が出とった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2f/28167f268baffd5d8bed84baa7f70fa4.jpg)
いつの時代も、広島のみなさまとともに。
何もないところから、一歩一歩。
私たちはみなさまとともに、広島の地を歩んできました。
1961年11月3日、「スーパーいづみ1号店」が開店して以来、今日に至るまで、私たちはここ広島の地で、広島のみなさまに支えられながら、常に新しい時代のゆめを拓いてきました。
ふるさと広島とみなさまへの心からの感謝の気持ちを胸に、私たちはこれからも、時代の先駆けとなる新しい未来を、この広島の地からつぎつぎと興していきたいと思います。
(『中国新聞』2013年11月1日)
「1961年(昭和36年)いうたら、今から52年前か」
「当時は「イズミ」じゃのうて、「いづみ」じゃったんじゃね」
「いづみの前身となる山西商店は、戦後、広島駅前で誕生。1950年(昭和25年)、繊維問屋・山西商店として法人化を果たしたそうじゃ」
「広島駅前の、どのあたり?」
「今でいう、広島駅南口再開発事業のBブロック地区じゃの」
「もともとは、繊維問屋じゃったんじゃね」
「当時は、1階がメリヤスや婦人服・子供服など一般の商品を、2階で既製服やセーター・ショールのほか婦人服などを扱っとったそうじゃ」
↓広島駅南口再開発事業Bブロック地区については、こちら↓
「広島駅南口Bブロック市街地再開発事業」広島市ホームページ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/22/95e805001f5af1afa8476d8672f173d1.jpg)
1961年
広島・八丁堀
広島初の大型スーパー「いづみ1号店」開店
戦後の復興から新時代の発展へ歩み始めた
広島の中心部・八丁堀に、1号店がオープン。
ここから大量生産・大量消費の時代が幕を開けました。
(同上)
「株式会社いづみは、山西商店の小売り部門として創業。市内中区の八丁堀(はっちょうぼり)に、1号店をオープンしたんじゃの」
「1号店は、「ウィズワンダーランド」という若者向けのファッションビルになったこともあったよ。今は「ドン・キホーテ」が入っとるけど」
「オープンした当日(11月3日)は多くの来店客がつめかけ、入店制限を行うほどじゃったそうな」
「そういや、1961年って、なにが流行しとったん?」
「歌でいうと、九ちゃん(きゅうちゃん。坂本九(さかもと きゅう))の『上を向いて歩こう』とか」
「♪上を向いて歩こう 涙がこぼれないように~」
「石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)と牧村旬子(まきむら じゅんこ)の『銀座の恋の物語』とか」
「♪東京で一つ 銀座で一つ 若い二人が 初めて逢った~」
「村田英雄(むらた ひでお)『王将』とかかの」
「♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え~」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/4937b6f1dd294208146667580d2a19f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d6/e98e8cf0c89c03553bbf99bb019c2eb6.jpg)
1964年
広島駅前・京橋町
ヤマニシビル(現イズミ本社)完成
まだバラックが立ち並ぶ広島駅前の京橋町に、
地下1階・地上5階の本格的なビルディングが完成。
周囲の雰囲気も一変し、高度経済成長を実感させました。
(同上)
「広告写真では、手前に猿猴川(えんこうがわ)があるんじゃけど、川にはみ出しとるように建っとる住宅が、時代を感じるね」
「このビルは鉄筋コンクリート造、地下1階地上5階建てで、敷地面積が200坪もあるそうじゃ」
「このビルが店舗じゃった、いうのは知らんかったよ」
「わしも。本社ビルじゃいうのは知っとったが、店舗というのは知らんかったのう」
「広島駅あたりじゃったら、広島駅南口の東側、今のフタバ図書GIGA(ギガ)が入っとる店舗しか知らんけど」
「駅前の店舗は1967年(昭和42年)、八丁堀店に続く「いづみ2号店」としてオープンしたんじゃの」
「こっちのビルは、地下1階地上6階建てで、売場面積が1200坪もあったんじゃね」
「当時の資料によると、オープン当日(3月2日)だけで、5万人もの人が訪れたそうじゃ」
「すごいね」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/30/3d9a6cf90bf8334c5bd319755feef944.jpg)
1981年
西部流通団地(商工センター)
新ヤマニシビル完成
広島市西区の西部流通団地に、いち早く、本格的な物流拠点をかねて衣類卸業の新ヤマニシビルが完成。
当時スタートしたばかりの開発整備に弾みをつけました。
(同上)
「前の年の1980年に、商号を「株式会社イズミ」に変更しとってんじゃの」
「ここにはエクセルがあるね」
「泉美術館もあるのう。2年前、イズミ創業50周年記念企画『復興の記憶 広島 戦後の商業史』が開かれたのも、ここじゃった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b2/c74d2a1e25a2016ebef595026039b08a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/a6/2376a356cca92124f4bd6d3e427c3a05.jpg)
2013年 広島駅新幹線口(二葉の里)
イズミ新本社完成
広島市の新たな拠点として再開発が進められる二葉の里エリアに、イズミ新本社が完成。
これを皮切りに、活気ある街の整備が進みます。
(同上)
「ここって、新しい本社になるん?」
「今月末、京橋町にある本社ビルから、このビルの2階~6階に移転して来るんじゃと」
「あぁ、それで1階にしかお店がないんじゃね」
「今後、イズミの大型店舗は「ゆめタウン」に、小型店舗が「ゆめマート」に切り替わるそうじゃ」
広がりゆく「ゆめの街」。
これからも、未来(あす)のゆめへ、みなさまと
(同上)
↓イズミについては、こちら↓
イズミ・ゆめタウン WEB
【参考文献】
『イズミ創業50周年記念企画 復興の記憶 広島 戦後の商業史』(財団法人 泉美術館 2011年)
「今日は、中国新聞に掲載されていた広告をもとに、イズミの歴史について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「新聞の折り込みチラシを探したんじゃけど、入ってなかったね」
「その代わりといってはなんじゃが、中国新聞に全面広告が出とった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2f/28167f268baffd5d8bed84baa7f70fa4.jpg)
いつの時代も、広島のみなさまとともに。
何もないところから、一歩一歩。
私たちはみなさまとともに、広島の地を歩んできました。
1961年11月3日、「スーパーいづみ1号店」が開店して以来、今日に至るまで、私たちはここ広島の地で、広島のみなさまに支えられながら、常に新しい時代のゆめを拓いてきました。
ふるさと広島とみなさまへの心からの感謝の気持ちを胸に、私たちはこれからも、時代の先駆けとなる新しい未来を、この広島の地からつぎつぎと興していきたいと思います。
(『中国新聞』2013年11月1日)
「1961年(昭和36年)いうたら、今から52年前か」
「当時は「イズミ」じゃのうて、「いづみ」じゃったんじゃね」
「いづみの前身となる山西商店は、戦後、広島駅前で誕生。1950年(昭和25年)、繊維問屋・山西商店として法人化を果たしたそうじゃ」
「広島駅前の、どのあたり?」
「今でいう、広島駅南口再開発事業のBブロック地区じゃの」
「もともとは、繊維問屋じゃったんじゃね」
「当時は、1階がメリヤスや婦人服・子供服など一般の商品を、2階で既製服やセーター・ショールのほか婦人服などを扱っとったそうじゃ」
↓広島駅南口再開発事業Bブロック地区については、こちら↓
「広島駅南口Bブロック市街地再開発事業」広島市ホームページ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/22/95e805001f5af1afa8476d8672f173d1.jpg)
1961年
広島・八丁堀
広島初の大型スーパー「いづみ1号店」開店
戦後の復興から新時代の発展へ歩み始めた
広島の中心部・八丁堀に、1号店がオープン。
ここから大量生産・大量消費の時代が幕を開けました。
(同上)
「株式会社いづみは、山西商店の小売り部門として創業。市内中区の八丁堀(はっちょうぼり)に、1号店をオープンしたんじゃの」
「1号店は、「ウィズワンダーランド」という若者向けのファッションビルになったこともあったよ。今は「ドン・キホーテ」が入っとるけど」
「オープンした当日(11月3日)は多くの来店客がつめかけ、入店制限を行うほどじゃったそうな」
「そういや、1961年って、なにが流行しとったん?」
「歌でいうと、九ちゃん(きゅうちゃん。坂本九(さかもと きゅう))の『上を向いて歩こう』とか」
「♪上を向いて歩こう 涙がこぼれないように~」
「石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)と牧村旬子(まきむら じゅんこ)の『銀座の恋の物語』とか」
「♪東京で一つ 銀座で一つ 若い二人が 初めて逢った~」
「村田英雄(むらた ひでお)『王将』とかかの」
「♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え~」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/4937b6f1dd294208146667580d2a19f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d6/e98e8cf0c89c03553bbf99bb019c2eb6.jpg)
1964年
広島駅前・京橋町
ヤマニシビル(現イズミ本社)完成
まだバラックが立ち並ぶ広島駅前の京橋町に、
地下1階・地上5階の本格的なビルディングが完成。
周囲の雰囲気も一変し、高度経済成長を実感させました。
(同上)
「広告写真では、手前に猿猴川(えんこうがわ)があるんじゃけど、川にはみ出しとるように建っとる住宅が、時代を感じるね」
「このビルは鉄筋コンクリート造、地下1階地上5階建てで、敷地面積が200坪もあるそうじゃ」
「このビルが店舗じゃった、いうのは知らんかったよ」
「わしも。本社ビルじゃいうのは知っとったが、店舗というのは知らんかったのう」
「広島駅あたりじゃったら、広島駅南口の東側、今のフタバ図書GIGA(ギガ)が入っとる店舗しか知らんけど」
「駅前の店舗は1967年(昭和42年)、八丁堀店に続く「いづみ2号店」としてオープンしたんじゃの」
「こっちのビルは、地下1階地上6階建てで、売場面積が1200坪もあったんじゃね」
「当時の資料によると、オープン当日(3月2日)だけで、5万人もの人が訪れたそうじゃ」
「すごいね」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/30/3d9a6cf90bf8334c5bd319755feef944.jpg)
1981年
西部流通団地(商工センター)
新ヤマニシビル完成
広島市西区の西部流通団地に、いち早く、本格的な物流拠点をかねて衣類卸業の新ヤマニシビルが完成。
当時スタートしたばかりの開発整備に弾みをつけました。
(同上)
「前の年の1980年に、商号を「株式会社イズミ」に変更しとってんじゃの」
「ここにはエクセルがあるね」
「泉美術館もあるのう。2年前、イズミ創業50周年記念企画『復興の記憶 広島 戦後の商業史』が開かれたのも、ここじゃった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b2/c74d2a1e25a2016ebef595026039b08a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/a6/2376a356cca92124f4bd6d3e427c3a05.jpg)
2013年 広島駅新幹線口(二葉の里)
イズミ新本社完成
広島市の新たな拠点として再開発が進められる二葉の里エリアに、イズミ新本社が完成。
これを皮切りに、活気ある街の整備が進みます。
(同上)
「ここって、新しい本社になるん?」
「今月末、京橋町にある本社ビルから、このビルの2階~6階に移転して来るんじゃと」
「あぁ、それで1階にしかお店がないんじゃね」
「今後、イズミの大型店舗は「ゆめタウン」に、小型店舗が「ゆめマート」に切り替わるそうじゃ」
広がりゆく「ゆめの街」。
これからも、未来(あす)のゆめへ、みなさまと
(同上)
↓イズミについては、こちら↓
イズミ・ゆめタウン WEB
【参考文献】
『イズミ創業50周年記念企画 復興の記憶 広島 戦後の商業史』(財団法人 泉美術館 2011年)
「今日は、中国新聞に掲載されていた広告をもとに、イズミの歴史について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」