通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

今日から「ザ・ビートルズ展」 福屋八丁堀本店

2013年08月22日 | 広島の話題




「今日、8月22日(木)から、広島市中区の福屋八丁堀本店で「ザ・ビートルズ展」が始まるじゃ」

「ビートルズか。うちゃ、お姉ちゃんの影響で聞き始めたね」

「わしゃ、「ビートルズ」より、「ずうとるび」の方を先に知っとったもんの」

「出た、ずうとるび!」

「山田くぅーん! 座布団1枚持っといで!!」

「ずうとるびって、テレビの『笑点』に出とった人たちで結成したんじゃろ?」

「『笑点』の「ちびっ子大喜利」で、山田隆夫(やまだ たかお)が座布団10枚をためて、レコードデビューの権利を獲得。新井康弘(あらい やすひろ)、今村良樹(いまむら よしき)、江藤博利(えとう ひろとし)の4人でバンドを結成し、ずうとるびとしてデビューしたそうじゃ」



↓ずうとるびについては、こちら↓

ずうとるびオフィシャルファンサイト





「わしが始めて聞いたビートルズの曲は、『イエスタデイ』かの」

「レコードで聞いたん?」

「いいや。NHKのドラマのオープニングで使われとっての、「あぁ、これがビートルズの曲か」と思いながら聞いとった」

「へぇ。ドラマに使われとったんじゃね」

「調べてみたら、NHKニュースセンター9時の後に放送された銀河テレビ小説の中の1作『早春の光』(原作:曽野綾子、1977年3月7日~25日 21時40分~22時)じゃそうな。いや~、ネットで調べると、こんなのがチャチャッとわかるんじゃの」

「テレビで使われたといえば、『ハード・デイズ・ナイト』もあるよ」

「おぉ、『突然ガバチョ!』(毎日放送 1982年~1985年)。あのころ、火曜日の夜10時といえば、これを見よったのう」

「テレビにらめっこ!!」

「おぉ、鶴瓶(=笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ))師匠!」

「そこのあなた、笑いましたね…? 退場!!」

「笑(わろ)うた人は指摘マンに指摘されて、ムキムキマン(?)に連れ去られるんじゃったの」

「ネタが面白いかどうかより、その場の雰囲気で笑うてしもうたりしたよね」



「今さらわしが言うことでもないが、ビートルズは世界中のミュージシャンに影響を与えとってんじゃの」

「日本のミュージシャンでも、ビートルズの影響を受けとっての方は多いじゃろうね」

「たとえば、サザンオールスターズの、バンドとしての最初期も「一緒にビートルズやんないか?」の一言で始まったそうじゃ」

「サザンの桑田佳祐(くわた けいすけ)のお姉さんがビートルズのファンで、桑田さんはその影響を受けたという話を聞いたことがあるよ」

「サザンのベーシスト・関口和之(せきぐち かずゆき)氏によると、青山学院大学の英米文学科で同じクラスだった井ノ川氏と、その井ノ川と高校の同級生だった桑田(=桑田佳祐)氏が、大学のフォークソングサークルで出会ったところから始まるんじゃの」



好きな音楽の話をしているうちに、ビートルズの話題になって急に話がはずんだ。

(略)

「一緒にビートルズやんないか?」
話はすぐに決まった。
パートも2人がギターで、僕がベースをやることになった。

(略)

桑田も井ノ川も似たようなもので、少々ギターは弾けるが本格的なバンドを組むのは初めてみたいだった。

(関口和之『突然ですがキリギリス』集英社文庫 1991年)




「そういや、石井いさみの漫画『750ライダー』(ナナハンライダー。少年チャンピオン掲載)に出てくる、喫茶店「ピットイン」のマスターが、ジョン・レノンが亡くなったとき、線香代わりじゃいうて、灰皿に吸いかけのタバコを山盛りにしとったシーンもあったのう」





「今日は、今日から、広島市中区の福屋八丁堀本店で開催される「ザ・ビートルズ展」について話をさせてもらいました」

「9月3日までやっとりますけぇの。ほいじゃあ、またの」
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ちんこんかん踊り 三原市

2013年08月18日 | 広島の話題
広島県や三原市の無形民俗文化財で、雨乞いや虫よけを願う踊り「ちんこんかん」の合同奉納が16日、同市新倉の大須賀神社であった。
各地域で踊りを継承する保存会など市内4団体のメンバーたちが、かねや太鼓の音に合わせて軽やかに踊った。

奉納されたのは、県指定の沼田町のちんこんかんと、いずれも市指定の八ツ頭チコカン踊り、小坂チンコンカン踊り、宗郷町太鼓踊り。
詰めかけた見物客を前に、境内で順番に太鼓を打ち鳴らしたり、掛け声をそろえて踊ったりした。

沼田町のちんこんかんは、金髪で赤い衣装の鬼役が六尺棒などを大きく回しながら華麗な舞いを披露した。

(「三原で「ちんこんかん」奉納」中国新聞 2013年8月17日)




「…? 「ちんこんかん」っていくつあるん?」

「1.ちんこんかん(県無形民俗文化財)

2.八ツ頭チコカン踊り(市無形民俗文化財)

3.小坂チンコンカン踊り(市無形民俗文化財)

4.宗郷町太鼓踊り(市無形民俗文化財)

…の4つがあるそうじゃ」

「雨乞いや虫よけを願っての踊りなんじゃね」

「ちんこんかんは、三原市新倉町(しんくらちょう)にある牛神社(大須賀神社)に奉納される踊りなんじゃそうな」

「牛神社?」

「牛神社というくらいじゃけぇ、死んだ牛を祭るために建立されたと伝えられとるんじゃ」

「牛といえば、むかしは、農業で田を耕したり、物を運ぶために使われてきたんよね」

「宮崎駿の映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎が書いた本『零戦』(角川文庫)にも、工場から飛行場へ零戦を運ぶのに牛を使(つこ)うとったというエピソードが描かれとったのう」

「牛でゆっくりと運んだほうが、機体に傷がつきにくいということじゃったね」



↓ちんこんかんについては、こちら↓

「ちんこんかん」三原市





「雨乞いか…、ちいたぁ(=少しは)雨が降って欲しいねぇ」

「毎日毎日、暑い日が続いとるもんの」

「はぁ、もう、やれんよ」

「広島市中区では、今月10日から昨日まで8日間、最高気温が35度以上になる「猛暑日」が続いとるそうじゃ」

「7月は、夕立が降ったりしよったのに」

「雨でも降りゃ、少しは涼しゅうなるのにの」

「広島でも雨乞い、やってくれんかね?」





「今日は、三原市で行われたちんこんかん踊りについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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宮島水中花火大会 2013夏

2013年08月12日 | 季節の話題
「昨日は、宮島墓苑へ墓参りに行ってきた」

「この暑い中、ご苦労さまでした」

「近くの公園をのぞいてみると…」





「シートが敷いてあるよ?」

「昨日、2013年8月11日(日)は、宮島水中花火大会があったんじゃ」

「…? 宮島の水中花火って8月14日じゃなかったっけ?」

「それが、昨年(2012年)から8月11日に行われることになったんじゃ。来年はわからんが…」

「へぇ、それでシートが敷いてあるんか。目の前に宮島があって、ここは、花火を見るには、ええ場所じゃね」





瀬戸内の海と夜空を彩る宮島水中花火大会(実行委員会主催)が11日夜、廿日市市宮島町の厳島神社沖であった。
島内や対岸に集まった大勢の見物客が、約5300発の光の幻想花に見入った。

島の神様やてんぐ、弘法大師など、島内に伝わる昔話をちりばめた7景で構成。
ナレーションや音楽とともに、色鮮やかな光のショーを繰り広げた。

見せ場の水中花火は約200発を披露。
金色に輝く直径約320メートルの大輪が勢いよく扇状に広がり、大鳥居や神社沖の干潟に並んだ見物客のシルエットを浮かび上がらせた。

(「瀬戸の夜空彩る宮島水中花火」中国新聞 2013年8月11日)






↓宮島水中花火大会については、こちら↓

「宮島水中花火大会」一般社団法人宮島観光協会







「ついでじゃけぇ、宮島に渡ってみよう思うて、JR宮島口駅に行ってみると…」

「なるほど。花火帰りの人が迷わんように、広島方面(向かって右側)、岩国方面(向かって左側)の看板をつけよってんじゃね」

「花火大会が終わるのが20時40分で、ここ、本土側にあるJR宮島口駅に着くころには、21時を過ぎとるはずじゃ。ほいじゃけぇ、看板の上にはライトもつけよっちゃったのう。JRの時刻表を見たら、岩国方面は8本、広島方面は15本の臨時電車が走ることになっとったで」

「それだけの人が、見に来られてんじゃね」

「花火大会を見るのはええんじゃが、帰りの人混みが大変なよのう」





「JR宮島フェリー乗り場のすぐ近くにも、シートが敷いてあった」

「このあたりでも場所取りをしよってんか」





「海には、侵入禁止のブイが海上に浮かべてあったのう」

「船どうしで衝突したり、カキいかだへの乗り上げたりいうのが、毎年のようにテレビや新聞で報道されとるけぇね」





「宮島に着いた」

「おぉー、巨大な看板が」





「宮島桟橋のすぐそばには、迷子センターもあった」

「昨日だけで、何人の迷子が出たんじゃろうか?」





「フェリー乗り場のすぐ近くから、シートが敷いてあるんじゃね」

「このあたりから、海岸沿いに、ず~っと花火の席取りがしてあったのう」





「前日からの場所取りはしちゃいけんのじゃそうな」





「有の浦あたりには、海上近くに3列にわたってイスが並べてあった」

「これは、なんじゃろ?」

「どうやら有料席らしいのう」





「これは?」

「花火を打ち上げる台船か、音楽を流す台船かの、どっちかじゃろうの」







「こんな感じで、あちこちで場所取りをしとってじゃ」





「おぉ、カメラマンの人たちじゃ」

「大鳥居の前では、カメラマンの方が場所取りをしよっちゃったのう」

「宮島の花火は、大鳥居を手前にした写真が定番じゃけぇね。このあたりが撮影ポイントになるんじゃろうね」

「ちなみに、昨日の満潮は12時12分で、干潮が18時20分」

「ということは、この写真を撮ったころは、ちょうど満潮のころじゃね」

「花火大会は19時40分からじゃったけぇ、もう少し海側へ行って写真を撮っちゃったんじゃないんかの」









「これは?」

「ゴミ捨て場」

「ゴミ箱じゃのうて?」

「ゴミ箱じゃ間に合わんけぇ、こうしとってんじゃろうの。とにかく、ここへ投げ込んでください、という感じじゃった」





「宮島に渡ったのが12時くらいじゃったが、この時点でも、とにかく人人人…」

「正月の初もうでに負けんくらい人が多いようなね」

「ただでさえ暑うてやれんのに、人いきれしてきて、わしゃ、気分が悪うなってきたで」

「調子に乗って宮島に渡るけぇよ」

「確かに。花火大会の日の宮島には行かんほうがええのう」

「船で本土に戻ってくるだけで大変じゃいうもんね」

「JRの最終電車が、岩国方面が0時34分、広島方面が0時30分。花火大会が終ったのが20時40分じゃけぇ、宮島に渡った人が戻ってくるのに、このくらいの時間までかかるということじゃ」

「ま、その覚悟があれば、宮島の花火を楽しめるじゃろうけど」

「わしらはその覚悟がないけぇ、宮島の花火は一度も見に行っとりません」

「でも、やっぱり一度は見に行きたいよね」







訪問日:2013年8月11日





「今日は、宮島水中花火大会について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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立秋 二十四節気(その13)

2013年08月07日 | 季節の話題
「毎日毎日、暑い日が続くのう」

「はぁ(=もう)、ええかげん、やれんねぇ」

「ニュースでは、今年の夏は1000年に一度の「千年猛暑」になるかもしれん、なんて言いよったのう」

「ええ~っ。そんなん聞いたら余計でも暑うなるじゃん」

「大丈夫。今日、8月7日は、二十四節気(にじゅうしせっき)の一つ「立秋(りっしゅう)」じゃ」

「暦の上では、今日から秋かぁ…」



立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。
七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。

初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。
七月節(旧暦7月)。
『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆゑなれば也」と説明している。

夏至と秋分の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立冬の前日までが秋となる。
暦の上ではこの日が暑さの頂点となる。
翌日からの暑さを「残暑」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられる。
また、翌日から暑中見舞いではなく残暑見舞いを出すことになる。

(「立秋」ウィキペディア)





「昨日までは「暑中見舞い」じゃったのが、今日からは「残暑見舞い」。残暑は、立秋から秋分(しゅうぶん。9月23日ころ)までの間の暑さをいうそうじゃ」

「暑い話は、もうええけぇ(=やめにしよう)。ちいたぁ(=少しは)、涼しそうな話はないん?」

「ほうじゃの。秋になってはじめて感じる涼しさを、「新涼(しんりょう)」とか「初涼(しょりょう)」とか言うそうじゃ」

「あぁ。涼しさを感じる言葉じゃね」

「夏の涼しさは、そこに逃げ込んで、やれやれと一休みしとうなるような感じの涼しさ。ほいじゃが、秋の涼しさは、体を動かしたくなるようなくなるような感じの涼しさ、とでも表現したらええんかのう」

「なるほど。スポーツの秋って、この秋の涼しさから生まれてくるんじゃろうね」

「あと、秋の風を「金風(きんぷう)」とか、「白風(はくふう)」とも呼ぶそうじゃ」

「金といえば、秋に実る稲穂が黄金の色になびく風景が思い浮かぶよ」

「五行説では、秋=金、秋の色=白。ここで、クイズ。「秋」「白」から連想する詩人といえば?」

「これは前、お父さんから聞いたよ。北原白秋(きたはら はくしゅう)じゃろ?」

「正解! ちなみに、春・夏・秋・冬を、それぞれ青春・朱夏(しゅか)・白秋・玄冬(げんとう)ともいうんじゃの」

「あー。なんか暑さを忘れてきたような気がするね」

「明日、8月8日からは、夏の甲子園(第95回全国高校野球選手権大会)が始まるんじゃ」

「うわー。また暑い話題に戻ってしもうたよ」

「「夏の甲子園」とはいいながら、暦の上では秋に行われるんじゃがの」

「ところで、広島県代表・瀬戸高(せとこう。瀬戸内高校)の対戦相手は?」

「第6日(8月13日)第4試合、これは2回戦になるんじゃが、昨年の夏4強になった高知の明徳義塾(めいとくぎじゅく)高校との対戦じゃ」

「明徳義塾? よう聞く名前の高校じゃけど?」

「4年連続15度目の出場を誇る、いわゆる強豪校じゃの」

「うぇぇ~」

「しかも、2011年、春のセンバツ初戦で負けるまで、初戦で20連勝じゃったんじゃそうな」

「そりゃ、負けとられんよ」

「夏の大会での連続初戦勝利記録は、いまだに続いとるそうじゃ」

「こりゃ、意地でも勝って、明徳義塾の記録を終わらせんにゃいけんね」



防御率0・46の右腕山岡を擁する瀬戸内は、昨夏4強で投手力を含めた守りに自信のある明徳義塾と顔を合わせる。
広島大会で準々決勝以降の3試合(決勝の延長十五回引き分けを除く)を1点差で制した勝負強さを発揮できるか。
大会屈指の好カードは、ミスが勝敗を分ける我慢比べとなるだろう。

(「全国高校野球の組み合わせ決定」中国新聞 2013年8月6日)




「思わず力んでしもうたけど、甲子園でも自分たちの力を出して、ええ試合をしてきてください」





「今日は、二十四節気の一つ、立秋について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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零戦と牛車

2013年08月06日 | 日記
「今年の夏は、宮崎駿(みやざき はやお)監督の『風立ちぬ』が、7月20日から公開されとるね」

「興行成績もええらしいのう」



『風立ちぬ』の土日2日間成績は、動員60万8,096人、興行収入8億1,085万8,400円。
2週目にして前週興収比およそ84パーセントというハイペースかつ落ちの少ない興行を展開。
公開9日間で早くも累計動員220万人、累計興収28億円を突破している。

(「宮崎駿『風立ちぬ』動員200万人突破でV2!アニメ作品がトップ3独占!」シネマトゥデイ 2013年7月30日)




「で、映画はまだ観に行とらんのじゃが、この映画の主人公・堀越二郎(ほりこし じろう)氏が書かれた『零戦』(角川文庫 2012年)を読んだ」




堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫 2012年




「堀越さんは、零戦(ぜろせん。「ゼロ戦」とも)を設計されちゃった方かいね?」

「零戦、つまり零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)の設計主任を務められた方じゃ。この本には、海軍からの要請を受けて零戦を設計し、完成させ、実際に戦場で戦果をあげるまでが書かれてあるんじゃの」

「初歩的な質問じゃけど、なんで「零戦」という名前になったん?」

「海軍に制式採用されたのが、昭和15年(1940年)、皇紀(こうき)2600年じゃったけぇ、0(ゼロ、れい)=零で、零式」

「皇紀?」

「皇紀については、説明がいるのう。皇紀というのは、初代の天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位したとされる年を始まりとする、年の数え方じゃ」

「あぁ。お義母さんは昭和15年生まれ、つまり皇紀2600年じゃけぇ、皇紀から一文字もろうて紀代子(きよこ)という名前になった、という話を聞いたことがあるね」

「話を零戦に戻すと…。零戦は、当時の日本が持っている技術をつぎ込んで作られた、当時、世界でも優秀な戦闘機じゃったんじゃの」

「その優秀な零戦と牛車が、どういう関係があるん?」

「零戦は、堀越氏が所属する三菱重工業(株)名古屋航空機製作所で設計・製作されたんじゃ。ものが戦闘機じゃけぇ、工場で作って終わりじゃない。飛行場で実際に飛ばしてみにゃいけん」

「そうじゃね。まてよ…。ということは、工場から飛行場へ運ぶのに、牛車を使(つこ)うた?」

「正解!」

「まさかぁ…。そんなもん大型のトラックで運びゃすむことじゃん」

「零戦の試作第一号機が完成した1939年(昭和14年)当時、三菱重工から、各務原(かかみがはら)飛行場までは、道路の状態がよくなかったそうじゃ」



きれいに鋪装されたハイウエーなどありえなかった。
大半が砂利を敷いた穴ぼこだらけの曲がりくねった道だった。
そんな道を、トラックや荷馬車で運んでいたらどうなるだろうか。

(堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫 2012年)




「このあたりは憶測で話をするんじゃけど、戦前の話じゃけぇ、鋪装されてない、整備されてない道路がほとんどじゃったんじゃろうね」

「これがアメリカなんかじゃったら、ガガガーッと、必要なところには鋪装道路を作ってしまうんじゃろうがの」

「そんな道を、荷物をガタガタいわせながら走りよったら、大事な飛行機に傷がついてしまうよ」

「そこで、トラックや荷馬車でなく、牛車で運んだ、というわけ」

「どのくらいの距離を?」

「約48キロの距離を、24時間かけて運ばれたそうじゃ」



数個の部分に分解され梱包された一号機は、三月二十三日午後七時すぎ、牛車二台に分載されて、名古屋市の南はずれ、港区大江町の工場を出発、名古屋市内を夜のうちに通過し、小牧(こまき)、犬山(いぬやま)をへて、まる一日がかりで、約四十八キロ離れた岐阜(ぎふ)県各務原飛行場の片隅にある三菱の格納庫に着いた。

(同上)




「よう考えてみりゃ、飛行場のすぐ近くに工場を作れば、こんなややこしいことをせんでもえかったのに」

「と思うじゃろ? 堀越氏が視察した欧米の航空機工場で、飛行場に隣接しとらん飛行場はひとつもなかったそうじゃ。ところが、日本は国土が狭いうえに、平地のしめる割合が少ない」

「あぁ、少しでも平地がありゃ、農地に使われとるよね」

「かといって、北海道などの未開の平地に工場を建てるわけにもいかん。そこで、工場と飛行場は、たがいに離れたところに作られることになったそうじゃ」

「そういや、零戦の最高速度って、どのくらい?」

「このとき完成した二一型は、533.4km/hじゃったんじゃと」

「そんな、高速で飛ぶ零戦を牛車でちんたら運ぶなんて、このころはまだ、のんびりした時代じゃったんかね」



太平洋戦争前、一日数機ぐらいしか生産しない時期には、それで十分ことはすんでいたのである。

(同上)






「今日は、「零戦と牛車」ということで、零戦の機体を工場から飛行場まで牛車で運んでいたということについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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