「今年の夏は、宮崎駿(みやざき はやお)監督の『風立ちぬ』が、7月20日から公開されとるね」
「興行成績もええらしいのう」
『風立ちぬ』の土日2日間成績は、動員60万8,096人、興行収入8億1,085万8,400円。
2週目にして前週興収比およそ84パーセントというハイペースかつ落ちの少ない興行を展開。
公開9日間で早くも累計動員220万人、累計興収28億円を突破している。
(「宮崎駿『風立ちぬ』動員200万人突破でV2!アニメ作品がトップ3独占!」シネマトゥデイ 2013年7月30日)
「で、映画はまだ観に行とらんのじゃが、この映画の主人公・堀越二郎(ほりこし じろう)氏が書かれた『零戦』(角川文庫 2012年)を読んだ」
堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫 2012年
「堀越さんは、零戦(ぜろせん。「ゼロ戦」とも)を設計されちゃった方かいね?」
「零戦、つまり零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)の設計主任を務められた方じゃ。この本には、海軍からの要請を受けて零戦を設計し、完成させ、実際に戦場で戦果をあげるまでが書かれてあるんじゃの」
「初歩的な質問じゃけど、なんで「零戦」という名前になったん?」
「海軍に制式採用されたのが、昭和15年(1940年)、皇紀(こうき)2600年じゃったけぇ、0(ゼロ、れい)=零で、零式」
「皇紀?」
「皇紀については、説明がいるのう。皇紀というのは、初代の天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位したとされる年を始まりとする、年の数え方じゃ」
「あぁ。お義母さんは昭和15年生まれ、つまり皇紀2600年じゃけぇ、皇紀から一文字もろうて紀代子(きよこ)という名前になった、という話を聞いたことがあるね」
「話を零戦に戻すと…。零戦は、当時の日本が持っている技術をつぎ込んで作られた、当時、世界でも優秀な戦闘機じゃったんじゃの」
「その優秀な零戦と牛車が、どういう関係があるん?」
「零戦は、堀越氏が所属する三菱重工業(株)名古屋航空機製作所で設計・製作されたんじゃ。ものが戦闘機じゃけぇ、工場で作って終わりじゃない。飛行場で実際に飛ばしてみにゃいけん」
「そうじゃね。まてよ…。ということは、工場から飛行場へ運ぶのに、牛車を使(つこ)うた?」
「正解!」
「まさかぁ…。そんなもん大型のトラックで運びゃすむことじゃん」
「零戦の試作第一号機が完成した1939年(昭和14年)当時、三菱重工から、各務原(かかみがはら)飛行場までは、道路の状態がよくなかったそうじゃ」
きれいに鋪装されたハイウエーなどありえなかった。
大半が砂利を敷いた穴ぼこだらけの曲がりくねった道だった。
そんな道を、トラックや荷馬車で運んでいたらどうなるだろうか。
(堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫 2012年)
「このあたりは憶測で話をするんじゃけど、戦前の話じゃけぇ、鋪装されてない、整備されてない道路がほとんどじゃったんじゃろうね」
「これがアメリカなんかじゃったら、ガガガーッと、必要なところには鋪装道路を作ってしまうんじゃろうがの」
「そんな道を、荷物をガタガタいわせながら走りよったら、大事な飛行機に傷がついてしまうよ」
「そこで、トラックや荷馬車でなく、牛車で運んだ、というわけ」
「どのくらいの距離を?」
「約48キロの距離を、24時間かけて運ばれたそうじゃ」
数個の部分に分解され梱包された一号機は、三月二十三日午後七時すぎ、牛車二台に分載されて、名古屋市の南はずれ、港区大江町の工場を出発、名古屋市内を夜のうちに通過し、小牧(こまき)、犬山(いぬやま)をへて、まる一日がかりで、約四十八キロ離れた岐阜(ぎふ)県各務原飛行場の片隅にある三菱の格納庫に着いた。
(同上)
「よう考えてみりゃ、飛行場のすぐ近くに工場を作れば、こんなややこしいことをせんでもえかったのに」
「と思うじゃろ? 堀越氏が視察した欧米の航空機工場で、飛行場に隣接しとらん飛行場はひとつもなかったそうじゃ。ところが、日本は国土が狭いうえに、平地のしめる割合が少ない」
「あぁ、少しでも平地がありゃ、農地に使われとるよね」
「かといって、北海道などの未開の平地に工場を建てるわけにもいかん。そこで、工場と飛行場は、たがいに離れたところに作られることになったそうじゃ」
「そういや、零戦の最高速度って、どのくらい?」
「このとき完成した二一型は、533.4km/hじゃったんじゃと」
「そんな、高速で飛ぶ零戦を牛車でちんたら運ぶなんて、このころはまだ、のんびりした時代じゃったんかね」
太平洋戦争前、一日数機ぐらいしか生産しない時期には、それで十分ことはすんでいたのである。
(同上)
「今日は、「零戦と牛車」ということで、零戦の機体を工場から飛行場まで牛車で運んでいたということについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「興行成績もええらしいのう」
『風立ちぬ』の土日2日間成績は、動員60万8,096人、興行収入8億1,085万8,400円。
2週目にして前週興収比およそ84パーセントというハイペースかつ落ちの少ない興行を展開。
公開9日間で早くも累計動員220万人、累計興収28億円を突破している。
(「宮崎駿『風立ちぬ』動員200万人突破でV2!アニメ作品がトップ3独占!」シネマトゥデイ 2013年7月30日)
「で、映画はまだ観に行とらんのじゃが、この映画の主人公・堀越二郎(ほりこし じろう)氏が書かれた『零戦』(角川文庫 2012年)を読んだ」
堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫 2012年
「堀越さんは、零戦(ぜろせん。「ゼロ戦」とも)を設計されちゃった方かいね?」
「零戦、つまり零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)の設計主任を務められた方じゃ。この本には、海軍からの要請を受けて零戦を設計し、完成させ、実際に戦場で戦果をあげるまでが書かれてあるんじゃの」
「初歩的な質問じゃけど、なんで「零戦」という名前になったん?」
「海軍に制式採用されたのが、昭和15年(1940年)、皇紀(こうき)2600年じゃったけぇ、0(ゼロ、れい)=零で、零式」
「皇紀?」
「皇紀については、説明がいるのう。皇紀というのは、初代の天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位したとされる年を始まりとする、年の数え方じゃ」
「あぁ。お義母さんは昭和15年生まれ、つまり皇紀2600年じゃけぇ、皇紀から一文字もろうて紀代子(きよこ)という名前になった、という話を聞いたことがあるね」
「話を零戦に戻すと…。零戦は、当時の日本が持っている技術をつぎ込んで作られた、当時、世界でも優秀な戦闘機じゃったんじゃの」
「その優秀な零戦と牛車が、どういう関係があるん?」
「零戦は、堀越氏が所属する三菱重工業(株)名古屋航空機製作所で設計・製作されたんじゃ。ものが戦闘機じゃけぇ、工場で作って終わりじゃない。飛行場で実際に飛ばしてみにゃいけん」
「そうじゃね。まてよ…。ということは、工場から飛行場へ運ぶのに、牛車を使(つこ)うた?」
「正解!」
「まさかぁ…。そんなもん大型のトラックで運びゃすむことじゃん」
「零戦の試作第一号機が完成した1939年(昭和14年)当時、三菱重工から、各務原(かかみがはら)飛行場までは、道路の状態がよくなかったそうじゃ」
きれいに鋪装されたハイウエーなどありえなかった。
大半が砂利を敷いた穴ぼこだらけの曲がりくねった道だった。
そんな道を、トラックや荷馬車で運んでいたらどうなるだろうか。
(堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫 2012年)
「このあたりは憶測で話をするんじゃけど、戦前の話じゃけぇ、鋪装されてない、整備されてない道路がほとんどじゃったんじゃろうね」
「これがアメリカなんかじゃったら、ガガガーッと、必要なところには鋪装道路を作ってしまうんじゃろうがの」
「そんな道を、荷物をガタガタいわせながら走りよったら、大事な飛行機に傷がついてしまうよ」
「そこで、トラックや荷馬車でなく、牛車で運んだ、というわけ」
「どのくらいの距離を?」
「約48キロの距離を、24時間かけて運ばれたそうじゃ」
数個の部分に分解され梱包された一号機は、三月二十三日午後七時すぎ、牛車二台に分載されて、名古屋市の南はずれ、港区大江町の工場を出発、名古屋市内を夜のうちに通過し、小牧(こまき)、犬山(いぬやま)をへて、まる一日がかりで、約四十八キロ離れた岐阜(ぎふ)県各務原飛行場の片隅にある三菱の格納庫に着いた。
(同上)
「よう考えてみりゃ、飛行場のすぐ近くに工場を作れば、こんなややこしいことをせんでもえかったのに」
「と思うじゃろ? 堀越氏が視察した欧米の航空機工場で、飛行場に隣接しとらん飛行場はひとつもなかったそうじゃ。ところが、日本は国土が狭いうえに、平地のしめる割合が少ない」
「あぁ、少しでも平地がありゃ、農地に使われとるよね」
「かといって、北海道などの未開の平地に工場を建てるわけにもいかん。そこで、工場と飛行場は、たがいに離れたところに作られることになったそうじゃ」
「そういや、零戦の最高速度って、どのくらい?」
「このとき完成した二一型は、533.4km/hじゃったんじゃと」
「そんな、高速で飛ぶ零戦を牛車でちんたら運ぶなんて、このころはまだ、のんびりした時代じゃったんかね」
太平洋戦争前、一日数機ぐらいしか生産しない時期には、それで十分ことはすんでいたのである。
(同上)
「今日は、「零戦と牛車」ということで、零戦の機体を工場から飛行場まで牛車で運んでいたということについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」