「昨日から今日にかけて、FNS27時間テレビをやっとるのう」
「今年のタイトルは、「女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!」じゃね」
「「女子力」ということで、今日は「江戸の女子旅」について話をしてみようと思う。元ネタは、今年の7月、南区宇品(うじな)にある県立広島大学の企画展示「旅人が見た厳島―忘れられた風景―」じゃ」
「宮島学センター」県立広島大学
「江戸の女子旅?」
「時は天保(てんぽう)12年(1841年)というから、今から172年前、江戸時代も終わりのころのこと。仲良し50代女性4人が、供の者、いわゆる荷物持ち兼ボディガードといったところの男性3人を引き連れて旅に出るんじゃ」
「50代の女性だけで!? どこからどこまで?」
「筑前(ちくぜん)の国、今の福岡県から、三重県伊勢市にあるお伊勢参りに出かけ、ものはついでと栃木県日光市にある日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)まで足をのばす」
「福岡から日光まで? それって、とんでもない距離があるんじゃない?」
「陸路と海路をあわせて5か月、計800里(り)にもおよぶ長旅じゃったそうな」
「すごいねぇ。ところで、里って、歴史で勉強したけど、何キロじゃったっけ?」
「1里は、約4キロじゃの」
「ということは…、約3200キロ!?」
「わしゃ毎朝、広島駅北口(新幹線口)を通るが、バス旅行に参加する人を見とると、女性のほうが圧倒的に多いもんの」
「女性は、友達と一緒に、話をしながらじゃったら、たいていのことはできるけぇね」
「ちなみに、この旅は、商家「米伝」の桑原久子が企画して、歌仲間で商家「小松屋」の小田宅子(いえこ)たちと連れ立って出かけたもの。女性の年齢をいうのもあれじゃが…、桑原久子は51歳、小田宅子は53歳じゃったそうな」
「旅の距離もすごいけど、年齢もすごいね。170年くらい前の、51歳と53歳じゃろ。そういや、この旅の元ネタってあるん? 書き残したものとか、なにか…」
「桑原久子は『二荒詣(ふたらもうで)日記』(1844年)を、小田宅子は『東路(あずまじ)日記』(1851年)を、それぞれ書き残しとってんじゃの」
「『二荒詣日記』というのは、日光の二荒山神社まで行っちゃったけぇつけた題名じゃろうね」
「この日記に、宮島に来たときの様子が書かれとるんじゃ」
四日、厳島ノ御社に詣で、みこの神楽をみる、またこゝにて鏡ノ餅を給はりける、
かさぬべきちよの鏡のもちひにも神のめぐみのみゆるうれしさ
(桑原久子『二荒詣日記』)
五日、また神の前に詣づれば、正月のかゞみもちひなりとて神司より玉ふ、尊くおぼえて、
旅ごろもつゝむにあまるたふとさよ神の鏡のもちひとおもへば
(小田宅子『東路日記』)
(以上、企画展示「旅人が見た厳島―忘れられた風景―」パンフレットより)
「あれ? ふたりの日記の日付がずれとるんじゃない?」
「どちらかが、間違っとってんじゃろうの。ほいじゃが、この前日、岩国から船で宮島に渡ってきて、この日に厳島神社に詣でて鏡餅をもらっている、というのは確かなようじゃ」
「ふたりは歌仲間というとったけど、日記の中にも歌を書かれとってんじゃね」
「宮島にいるあいだ、雨が降っとって船が出んかったけぇ、何日か待ちぼうけをくらわされたんじゃと。ほいで、宮島を出たあとは、音戸(音頭)の瀬戸に向かわれたそうじゃ」
「このあたりは、船旅じゃったんじゃね」
「大阪から東は、東海道もあるし、歩きになるんじゃがの」
「今日は、江戸の女子旅について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「今年のタイトルは、「女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!」じゃね」
「「女子力」ということで、今日は「江戸の女子旅」について話をしてみようと思う。元ネタは、今年の7月、南区宇品(うじな)にある県立広島大学の企画展示「旅人が見た厳島―忘れられた風景―」じゃ」
「宮島学センター」県立広島大学
「江戸の女子旅?」
「時は天保(てんぽう)12年(1841年)というから、今から172年前、江戸時代も終わりのころのこと。仲良し50代女性4人が、供の者、いわゆる荷物持ち兼ボディガードといったところの男性3人を引き連れて旅に出るんじゃ」
「50代の女性だけで!? どこからどこまで?」
「筑前(ちくぜん)の国、今の福岡県から、三重県伊勢市にあるお伊勢参りに出かけ、ものはついでと栃木県日光市にある日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)まで足をのばす」
「福岡から日光まで? それって、とんでもない距離があるんじゃない?」
「陸路と海路をあわせて5か月、計800里(り)にもおよぶ長旅じゃったそうな」
「すごいねぇ。ところで、里って、歴史で勉強したけど、何キロじゃったっけ?」
「1里は、約4キロじゃの」
「ということは…、約3200キロ!?」
「わしゃ毎朝、広島駅北口(新幹線口)を通るが、バス旅行に参加する人を見とると、女性のほうが圧倒的に多いもんの」
「女性は、友達と一緒に、話をしながらじゃったら、たいていのことはできるけぇね」
「ちなみに、この旅は、商家「米伝」の桑原久子が企画して、歌仲間で商家「小松屋」の小田宅子(いえこ)たちと連れ立って出かけたもの。女性の年齢をいうのもあれじゃが…、桑原久子は51歳、小田宅子は53歳じゃったそうな」
「旅の距離もすごいけど、年齢もすごいね。170年くらい前の、51歳と53歳じゃろ。そういや、この旅の元ネタってあるん? 書き残したものとか、なにか…」
「桑原久子は『二荒詣(ふたらもうで)日記』(1844年)を、小田宅子は『東路(あずまじ)日記』(1851年)を、それぞれ書き残しとってんじゃの」
「『二荒詣日記』というのは、日光の二荒山神社まで行っちゃったけぇつけた題名じゃろうね」
「この日記に、宮島に来たときの様子が書かれとるんじゃ」
四日、厳島ノ御社に詣で、みこの神楽をみる、またこゝにて鏡ノ餅を給はりける、
かさぬべきちよの鏡のもちひにも神のめぐみのみゆるうれしさ
(桑原久子『二荒詣日記』)
五日、また神の前に詣づれば、正月のかゞみもちひなりとて神司より玉ふ、尊くおぼえて、
旅ごろもつゝむにあまるたふとさよ神の鏡のもちひとおもへば
(小田宅子『東路日記』)
(以上、企画展示「旅人が見た厳島―忘れられた風景―」パンフレットより)
「あれ? ふたりの日記の日付がずれとるんじゃない?」
「どちらかが、間違っとってんじゃろうの。ほいじゃが、この前日、岩国から船で宮島に渡ってきて、この日に厳島神社に詣でて鏡餅をもらっている、というのは確かなようじゃ」
「ふたりは歌仲間というとったけど、日記の中にも歌を書かれとってんじゃね」
「宮島にいるあいだ、雨が降っとって船が出んかったけぇ、何日か待ちぼうけをくらわされたんじゃと。ほいで、宮島を出たあとは、音戸(音頭)の瀬戸に向かわれたそうじゃ」
「このあたりは、船旅じゃったんじゃね」
「大阪から東は、東海道もあるし、歩きになるんじゃがの」
「今日は、江戸の女子旅について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」