通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

街歩き 音戸編(その4)

2013年04月16日 | 見て歩き
「今日の街歩きは、音戸(おんど)の4回目」

前回は、音戸観光文化会館うずしおスタートして、法専寺までを紹介したんじゃけど…」

「今回は、法専寺から榎酒造まで紹介する予定じゃ」









「法専寺を出て、石畳の坂を行くと…」







「ここは?」

「城谷本店。城(じょう)みちるの生家じゃそうな」

「えぇっ!? ここが? 実家が電器屋いうて聞いとったけぇ、それらしい建物を想像しとったんじゃけど…。それにしても立派な家じゃね」



♪誰も知らない南の海から
イルカにのった少年がやって来た

(『イルカにのった少年』作詞:杉 さとみ)




「城みちるが『イルカにのった少年』でデビューしたのが1973年(昭和48年)じゃけぇ、40年も前の話になるんじゃの」

「40年もたって、それなりに歳をとっとってじゃけど、見た目はむかしとあんまり変わっとってんないよね」



↓城みちるについては、こちら↓

城みちる - michiru-jo ホームページ!









「名もない散髪屋の窓には…」

「ミッキー、ミニーにプーさんのぬいぐるみと、七福神の人形の組合せか…。なんと言えばいいのやら…」











「ピンクの洋館?」

「建物の上には「呉銀行音戸支店」の看板跡が読み取れたけぇ、元は銀行の建物じゃったんじゃろうの」









「河野診療所。ここもええ感じの建物じゃ」









「ここは桜湯という銭湯じゃ」

「これが銭湯? 立派な構えの銭湯じゃね」

「残念ながら、今は営業しとらんそうじゃがの」







「しめ縄を飾った郵便ポストって、初めて見たよ」

「むかし懐かしい丸形のポストが、わしが見つけた限りで、このあたりに3つあったのう」







「地蔵湯という銭湯があって、こっちは現役のように見えたんじゃが…」







「ここで見つけたのが、曲がった電柱。写真じゃ見づらいかもしれんが、1階の屋根のところで道路側に張り出した形になっとるんじゃの」

「建物に合わせたら、こんな形になったんかね」







「音戸パン?」

「揚げパンに砂糖がまぶしてある音戸名物のパンで、添加物を一切使うとらんそうじゃ」

「それにしても、錆びた看板がすごいね」

「写真じゃ分かりづらいが、この看板が取り付けてある電柱は木製なんじゃの」









「榎酒造(えのきしゅぞう)という酒造会社があって、ここでは「華鳩」という地酒を造っとってんじゃそうな」



華鳩という商標は、蔵が立つ「鳩岡」から「鳩」、命名当時の国語の教科書は、ハナ・ハト・マメの様な言葉を教えるところから始まっている所から発想を得て、「華」の字を並べ、誰もが知っている言葉を使うことで、多くの人に覚えてもらえるようにと華鳩(はなばと)としたことが始まりである。

(「榎酒造」ウィキペディア)






「ようきてくれて駐車場?」

「アリが10匹描いてあるけぇ…」

「ようきてくれて「ありがとう(=アリが10匹)」って書いてあるん?」

「そうじゃろうの」

「えぇ!? こんなダジャレ、今でもあり?」

「わしゃ大喜びでこの写真を撮ったがのう」







「ここから少し先、海側に出ると御所の浦があるんじゃ」

「清盛が音戸の瀬戸を切り開いた時、この場所に仮の御殿を建てて工事を見守ったけぇ、「御所の浦」という地名がついたんじゃったよね」







訪問日:2012年1月9日





「今日は、音戸の街歩き4回目、法専寺から榎酒造までについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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街歩き 音戸編(その3)

2013年04月15日 | 見て歩き
「今日の街歩きは、音戸(おんど)の3回目」

前回までは、3月24日に開催された「ひまねきフリーウォーク」を歩いた後、警固屋(けごや)音戸バイパスの音戸渡子(とのこ)側入口から第二音戸大橋までの音戸の町を紹介したんじゃけど…」

「今回と次回は、「音戸観光文化会館 うずしお」をスタートして、音戸の町を紹介する予定じゃ」

「うずしおでは、NHK大河ドラマ『平清盛』の放送に合わせて、昨年1月から今年の1月まで、「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」をやっとったんよね」

「目の前にある音戸の瀬戸には、県の文化財にも指定されとる、清盛塚があるんじゃの」





↓音戸観光文化会館 うずしおについては、こちら↓

観光情報発信 音戸観光文化会館 うずしお







「今回は、うずしおをスタートして、すぐ北側にある音戸大橋の地下道をくぐるんじゃ」

「地下道なんてあるん?」

「ここは交通量が多いけぇ、地下道を作っちゃったんじゃないんかの。で、この地下道の壁には、清盛祭りが描かれてあるんじゃ」











清盛祭り

音戸小学校平成四年度卒業生が沖田教諭の指導のもと描きました




「へぇ。雰囲気も動きもあって、ええんじゃない」













「地下道を出ると…」

「昭和の雰囲気が残っとるね」

「このあたりは音戸銀座街とも呼ばれて、立派な町家(まちや)が残っとるんじゃの」







「おー。こんなタバコ屋がまだあるんじゃね」

「現役かどうかは知らんが…。むかしのタバコ屋は、こんな感じじゃったよのう」









「この、模様の入った窓ガラス。久しぶりに見たよ」

「ネットで探してみたんじゃが、この手のガラスは最近、入手困難じゃそうな」

「えー、そうなん?」

「ほいじゃが、窓ガラスだけ買(こ)うても仕方ないで。この窓ガラスに合(お)うた家の窓にはめてやらんといけんけぇの」







「第二音戸大橋も見えるんじゃね」









「来た道を戻って、山側に行くと…」

法専寺じゃね」

「ということで、次回へ続く、じゃ」





訪問日:2012年(平成24年)1月9日





「今日は、音戸の街歩き3回目ということで、音戸観光文化会館うずしおをスタートして音戸銀座街を通り、法専寺までについて話をさせてもらいました」

「次回は隠戸(おんど)の榎酒造あたりまでを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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宇宙戦艦ヤマト発進!

2013年04月14日 | まんが・テレビ・映画


「『宇宙戦艦ヤマト2199』(以下、『新作』と略す)のテレビ放送が始まりましたのう」

「何言うとるんね! 『新作』のテレビ放送は先週(4月7日)から始まっとるじゃん!」

「いやー、先週は録画に失敗してのう、『新作』の第1話「イスカンダルの使者」見ることができんかったんじゃ。今日は万全を期して家で待機しとったんじゃがの」

「待機って…。単にカゼをひいて、家で寝とっただけじゃん」

「昨日から、鼻水が出るし、ズル、ズル…。セキは出るし、ゴホ、ゴホ…」

「あーあ、歳は取りとうないね」

「考えてみりゃ、今みたいに録画機能のなかった時代、自分が見たいテレビが放送される時には、家に居(お)るか、テレビのあるところに居るのが当たり前じゃたよのう」

「ラジカセで音声だけを録音したりとか…ね」

「『機動戦士ガンダム』(1979年~1980年)のころはラジカセがあったけぇ録音したりしよったが、『宇宙戦艦ヤマト(以下、『旧作』と略す)』(1974年~1975年)のころは、テレビ放送を見るしかなかったんじゃ」

「うちゃ、テレビの画面をカメラで撮影したりしよったよ」

「そんなんできるんか?」

「もちろん!! オフコースの小田和正(おだ かずまさ)を、写したかったんよ」

「小田さんを写真で撮るって、アルバムに写真が出とったろうに?」

「動く小田さんを撮りたかったんよ。小田さんは、テレビにあんまり出てんなかったけぇね」

「そういや、『旧作』が放送されたころ、8ミリで画面を撮影された方がおったそうじゃ」

「8ミリで?」

「ほうなんよ。ほいじゃが、8ミリでテレビ画面を撮影すると色味が変わるみたいで、セル画を入手して、8ミリの画面を補正しながら楽しみよった、という話を聞いたことがあるよのう」





「ほいで、『新作』の感想は?」

「第2話「我が赴くは星の海原」か? ちょーっと、盛り上がりに欠けましたのう」

「盛り上がりに欠けた?」

「『新作』第2話は、『旧作』の第2話(「号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!!」)と第3話(「ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!!」)に相当する。つまり、2話分を1話にまとめとるけぇ、結果として、時間的に足りん部分が出たんじゃないんかのう」

「たとえば?」

「たとえば、ヤマトの存在に気づいたシュルツ司令が、冥王星基地から惑星間弾道弾(『旧作』の超大型ミサイル)を発射してから、宇宙戦艦ヤマトが発進するまでのシーン」

「うちには、よう分からんけど…」

「『旧作』では、超大型ミサイルがヤマト目指して飛んで来るんじゃが、肝心のヤマトはまだ発進することができん」

「早いとこ逃げるか、ミサイルを打ち落とさにゃいけんじゃん」

「エネルギー充電100%でエンジンを始動させようとする島大介(しま だいすけ)に、沖田艦長はこう言うんじゃ」



沖田 「エンジンの始動は、一発でしなければならない。万一、失敗したら、取り返しがつかなくなるんだぞ!」

(松本零士・西崎義展『宇宙戦艦ヤマト全記録集 TVシナリオ版』1979年 株式会社オフィス・アカデミー)




「そういうもんかねぇ…」

「そういうもんなんじゃ! で、司令部から「ヤマトはまだ動かないのか!?」の催促にも、「待てと伝えろ」と言うんじゃの」

「えぇ、ジリジリしてくるねぇ…」

「で、エネルギー充電120%になったヤマトはエンジンを始動するんじゃが、エンジンが…動かん」

「何をしよるんかいね!?」

「調べてみたら、島が連動スイッチを入れるのを忘れとったんじゃ」

「あー、もう!」

「もう1回、エンジンを始動するんじゃが…」

「…」

「…」

「…あー、もう!! どうなっとるんかいね!?」

「静寂の中から、エンジンの始動音が聞こえてくるんじゃ」

「やった!!」

「エンジンが始動して、ヤマト発進! 同時に、主砲を発射する準備をして…」



古代 「目標、超大型ミサイルはヤマトの軸線上にのりました!」

沖田 「主砲発射!」

古代 「発射!」

(同上)




「超大型ミサイルがヤマトに命中するよりも一瞬早く、ヤマトが主砲を発射! ……そして起こる大爆発!!」

「…」

「…」

「…ヤマトは?」

「大爆発の黒煙と炎の中から、ヤマトの勇姿があらわれるんじゃ」



参謀 「ヤマトだ! --ヤマトですよ!」

最高司令 「ヤマト!!」

(同上)




「ほーっ」

「という感じで、『旧作』では手に汗握るシーンなんじゃ。こうやって、ひとつひとつの困難を乗り越えて、ストーリーが進んでいくんじゃの」

「ほうじゃね」

「ところが、これが『新作』になると…。エンジンはサーシャから届けられた波動コアをセットするからOK。電力が不足していても、世界中から電力を供給してくれるからOK。大爆発の中からも、あっさりと出てきてOK」

「…なんじゃ、そりゃ?」

「もちろん、スタッフの方たちは意識してされとってんじゃろうし、それを否定するつもりもない。ほいじゃが、『旧作』を知っとる者にとっては、「盛り上がりに欠ける」んじゃの」

「リメイクって、難しいねぇ」

「難しいと思うで。特に『ヤマト』は、思い入れのある方がたくさんおってじゃけぇの」

「確か、『旧作』は26話じゃったと思うけど、『新作』は?」

「『新作』も、26話の予定じゃ。わしも今回は「ラピュタ作戦」を取っとるけぇ、最後まで楽しめると思うで」

「ラピュタ作戦?」

「映画『天空の城ラピュタ』(1986年)が上映される時、宮崎駿(みやざき はやお)ファンの友人が、「事前の情報なしに、無垢(むく)の状態で映画を楽しみたい」言うて、アニメ雑誌なんかの情報を事前にシャットアウトして映画を楽しんだ、というものじゃ」

「なんじゃ、そりゃ?」

「テレビ番組は、放送される時間に楽しまんといけんよの」





↓『宇宙戦艦ヤマト』についての関連記事は、こちら↓

夕日に眠る 戦艦大和

西崎義展と宇宙戦艦ヤマト






「今日は、「宇宙戦艦ヤマト発進!」ということで、『宇宙戦艦ヤマト2199』第2話「我が赴くは星の海原」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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ドコモの緊急速報「エリアメール」って知ってる?

2013年04月13日 | 日記
「今朝の地震には、びっくりしたね」

「すぐにテレビをつけたら、震源は淡路島って言(い)いよったけぇ、18年前の阪神大震災級の地震が、また起こったんかと思うたで」

「阪神大震災の時(1995年1月17日)は、新居に引っ越しした次の日じゃったよね」

「地震の揺れに起こされて、見慣れん新居を見渡して、「わしゃ今、どこにおるんじゃろうか?」と思うたことの方が、地震よりも記憶に残っとるよのう」

「今回は、それほど大きな被害ものうて、えかったよ」

「それでも、広島県の福山市や尾道、呉市は震度3で、広島市が震度2じゃったけぇの」



13日午前5時33分ごろ、淡路市で震度6弱を記録するなど広範囲で強い地震があった。
気象庁によると、震源地は淡路島付近で震源の深さは約15キロ。
地震の規模はマグニチュード(M)6・3と推定される。
兵庫県警によると正午現在、骨折など県内で14人が重軽傷。
大阪や徳島など4府県で少なくとも9人が負傷した。
洲本市などで家屋の一部損壊が100軒以上確認されたが倒壊など大規模被害の情報はない。
気象庁は「今後1週間は震度5弱程度の余震が起きる可能性がある」として警戒を呼び掛けている。

(「淡路で震度6弱 M6・3 県内14人が重軽傷」神戸新聞 2013年4月13日)




「ところで、地震の揺れを感じる前に携帯の着信音が鳴ったんじゃが、知っとるか?」

「着信音? 知らんよ」

「ちょっと、携帯を見てみ」

「ん? エリアメールというのが来とるね」



緊急地震速報

播磨灘で地震発生。
強い揺れに備えて下さい(気象庁)

(2013年4月13日 5時33分)




「おー。地震が発生したとほぼ同時にメールが送られてきとるんじゃね」

「明け方、携帯の着信音が聞こえて、「朝っぱらから、誰の携帯が鳴りよるんかいの。うるさいのう」と、起きあがったところへ地震の揺れが来たんじゃ」

「ということは、地震の揺れよりメールの方が早かったんじゃね」

「震源地からの距離にもよるじゃろうが、広島市内では、メールの方が早かったのう」

「そんな便利な機能があるんじゃね。ところで、エリアメールって何じゃろ?」

「わしも、「エリアメールなんて契約しとらんぞ」と思いながらドコモのホームページを見てみたんじゃ」



緊急速報「エリアメール」

気象庁が配信する緊急地震速報や津波警報、国・地方公共団体が配信する災害・避難情報を、回線混雑の影響を受けずに受信することができます。
対象エリアにいるお客様は、月額使用料のほか通信料や情報料も含め一切無料でご利用できます。

(「緊急速報「エリアメール」」NTTドコモ)




「へぇ。「緊急地震速報」以外にも、「津波警報」「災害・避難情報」があるんじゃね。知らんかったよ」

「今回の「緊急地震速報」は、「震度4以上の強い揺れが予想されたとき」に出されるそうじゃ」



緊急地震速報について

緊急地震速報は、震源近くで地震(P波、初期微動)をキャッチし、位置、規模、想定される揺れの強さを自動計算し、地震による強い揺れ(S波、主要動)が始まる数秒~数十秒前に素早くお知らせするものです。

ドコモでは、気象庁から配信された 「一般向け緊急地震速報」を利用して最大震度5弱以上と推定した地震の際に、強い揺れ(震度4以上)の地域(全国を約200の地域に区分)の携帯電話に一斉配信いたします。

(「緊急地震速報」NTTドコモ)




「地震をキャッチして、強い揺れが始まる数秒から数十秒前に知らせてくれるんか。すごい機能じゃね」

「まことにもって便利な機能じゃし、詳(くわ)しゅうは知らんが、携帯各社で似たようなサービスがあるはずじゃ。ほいじゃが、本当に大切なのは、この速報を受信した後にどういう行動をとるかということなんじゃの」

「まずは、安全な場所へ移動して、身の安全を守らにゃいけんよ」

「大きな地震でも、揺れが続くのは1分くらいじゃ。あわてて外に飛び出したりせずに、落ち着いて行動せにゃいけんの」

「ガスの元栓は閉めましょう」

「建物や電柱、ブロック塀などの近くにおるときは、安全なところまで離れにゃいけんの。車を運転しとるときは、急ブレーキをかけたりせずに、道路の左側に停めにゃいけんで」

「…と、口ではえらそうに言えるけど」

「いざ、地震が来たら、どういう行動をとってしまうんかのう」





↓地震については、こちら↓

「緊急地震速報について」気象庁

「緊急地震速報について」広島県






↓津波については、こちら↓

「津波から身を守るために!《広島県津波浸水想定図》」広島市





「今日は、今朝、発生した淡路島付近を震源とする地震と、ドコモの緊急速報「エリアメール」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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明日から『ウルトラマン創世紀展』 ふくやま美術館

2013年04月12日 | まんが・テレビ・映画
「今日(4月12日)は何の日か知っとるか?」

「パンの記念日じゃん」

「パンの記念日?」

「…いうて、テレビでやっとったよ」



日本人ではじめて本格的にパン製造を行ったのは、伊豆韮山の代官であり、軍学者でもあった江川太郎左衛門です。

江川太郎左衛門の師に当たる高島秋帆の従者に、長崎のオランダ屋敷に料理方として勤め、製パン技術を覚えた作太郎という人がいました。
そこで、作太郎を伊豆韮山の江川太郎左衛門宅に呼び寄せ、パン焼き窯を作り、1842年4月12日、記念すべき「兵糧パン」第1号が焼き上げられました。

(「パンの日」パンのはなし:パン食普及協議会がお送りするパンの情報提供サイト)




「ほー、そりゃ知らんかったのう…。いや、そうじゃのうて、50年前の今日。つまり、1963年(昭和38年)4月12日に、「株式会社円谷特技プロダクション(現:円谷プロダクション。以下、円谷プロと略す)」が設立されたんじゃ」

「50年前? 円谷プロって、『ゴジラ』や『ウルトラマン』を作った、「特撮の神様」の円谷英二(つぶらや えいじ)の会社じゃろ?」

「ほうじゃの」

「ほいじゃったら、もっと古くからあるんじゃないん?」

「それまで自宅にあった「円谷特技研究所」を、1963年に法人化されたそうじゃ」

「へぇ」





↓円谷プロについては、こちら↓

円谷ステーション - ウルトラマン、円谷プロ公式サイト





「で、円谷プロ設立50周年と関係があると思うんじゃが、明日(4月13日)から6月16日(日)まで、ふくやま美術館で『ウルトラマン創世紀展 -ウルトラQ誕生からウルトラマン80へ-』が開催されるんじゃ」





特撮の神様と呼ばれた円谷英二。そこに若い脚本家、監督、特撮スタッフらが集い情熱を注いで、1966年にウルトラマンは誕生しました。
それからおよそ半世紀にわたって、その映像は多くの人々の心をとらえ続けています。

娯楽の中心が映画からテレビに移り、さらにテレビの黄金期を迎える昭和時代において、ウルトラマンを生み育てた制作現場では、熱き思いとともに様々な挑戦が繰り広げられ、時代の要請に応えて変化を遂げてきました。

本展覧会では、その原点であるウルトラQから、ウルトラマン80までのウルトラシリーズを取り上げ、その人気の秘密を、送り手である制作側の情熱と、受け手である子どもを取り巻く文化の両面から探ります。当時夢中になっていた世代から、昭和のウルトラマンを知らない子どもたちまで、多くの世代にウルトラマンの魅力を存分にお楽しみいただけると思います。

「特別展 ウルトラマン創世紀展 -ウルトラQ誕生からウルトラマン80へ-」ふくやま美術館公式ホームページ






「今回の展示は、円谷プロの中でも、ウルトラマンがメインなんじゃね」

「ウルトラQ(1966年)からウルトラマン80(1980年)までは、昭和に制作された、第1期から第3期までのウルトラシリーズになるんじゃの」

「第1期から第3期?」

「これは放送時からあるものじゃのうて、1980年代ころから言われるようになったものなんじゃ」



第1期ウルトラシリーズ

『ウルトラQ』
1966年1月~7月。全28話

『ウルトラマン』
1966年7月~1967年4月。全39話

『ウルトラセブン』
1967年10月~1968年9月。全49話




「この3作品は、「空想特撮シリーズ」とも呼ばれとるんじゃ」

「お父さんは、リアルタイムじゃ見てないじゃろ?」

「再放送で見とるよのう。ほいじゃが、『ウルトラQ』だけは恐(こわ)あて、恐あてのう。よう見んかった。じっくりと見たのは、大人になってビデオ化されてからじゃの」



第2期ウルトラシリーズ

『帰ってきたウルトラマン』
1971年4月~1972年3月。全51話

『ウルトラマンA』
1972年4月~1973年3月。全52話

『ウルトラマンタロウ』
1973年4月~1974年3月。全53話

『ウルトラマンレオ』
1974年4月~1975年3月。全51話




「わしがリアルタイムで見た最初のウルトラマンが『帰ってきたウルトラマン』じゃったけぇ、思い入れが強いよのう」

「『帰ってきたウルトラマン』だけで、関連本を何冊持っとってんじゃろか?」

「1973年からのオイルショックの影響もあって、『ウルトラマンレオ』をもって終了となるんじゃ」

「オイルショックいうたら、トイレットペーパーの買い占めなんかがあったね」




第3期ウルトラシリーズ

『ザ☆ウルトラマン』
1979年4月~1980年3月。全50話

『ウルトラマン80』
1980年4月~1981年3月。全50話




「『ザ☆ウルトラマン』って、アニメのやつじゃろ?」

「ほうじゃの。『ウルトラマン80』は学園ドラマを取り入れとったりしたんじゃが、正直なところ、この2作品は、あんまり見とらんのじゃ」

「4月13日(土)は、『ウルトラセブン』モロボシ・ダン隊員役の森次晃嗣(もりつぐ こうじ)氏と、『ウルトラマンA』北斗星司(ほくと せいじ)隊員役の高峰圭二(たかみね けいじ)氏の対談とサイン会があるって書いてあるよ」

「えぇい。仕事で見に行けんわい!!」





「今日は、明日からふくやま美術館で開催される『ウルトラマン創世紀展』について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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