通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

ピースウォークひろしまツーデー(その15) 中央公園から緑大橋

2013年01月12日 | 見て歩き
2日目
宮島街道と商工センターから
市内の橋を巡る 20キロ

その1 中区
中央公園から緑大橋まで






「昨年(2012年)11月25日(日)は、ピースウォークひろしまツーデーの2日目「宮島街道と商工センターから市内の橋を巡る(20キロ)」に参加してきたんじゃ」

「どのへんを歩いたん?」

「次のようなコースじゃの」



中区:中央公園→元安橋→西平和大橋→緑大橋

西区:緑大橋→新己斐橋→草津橋→新八幡川橋→庚午橋→南観音橋

中区:南観音橋→空鞘橋→中央公園




「8時に中央公園をスタートして、平和記念公園、平和大通り、宮島街道を通って、商工センターにある新八幡川橋まで、西へ西へと歩く。そこから広島湾を見ながら歩いた後、太田川放水路と天満川に沿って中央公園まで戻る20キロのコースなんじゃ。1時間に5キロ歩いたとして4時間。それに休憩を入れて4時間半で完歩の予定じゃ」

「前の日(2012年11月24日)は35キロを歩いたばっかりじゃん。もうすく50歳なんじゃけぇ、ちいたぁ(=少しは)年齢を考えんさいよ」

「うーん、ちいと腰が痛いが、ま、大丈夫じゃろう」

「それで今日は?」

「今日は、中央公園(ちゅうおうこうえん)から緑大橋(みどりおおはし)までじゃ。前の日は、晴れたりくもったり小雨がパラついたりと、変な天気じゃったが、この日は、ええ天気じゃったのう」









「スタート前、沼田高校の吹奏楽部の方が演奏してくれたんじゃ」

「朝早いし、寒いしで、演奏が大変じゃったろうね」








「今日も中央公園からスタート。中央公園から出ると、左に曲がって城南通りを東へ歩く。広島県立総合体育館前交差点の地下道をくぐって、広島県立総合体育館(グリーンアリーナ)の前に出る。写真の左手前にある石積は、発掘された広島城の石垣が使われとるんじゃ」



この石積は、広島県立総合体育館建設工事の際に発掘された広島城中堀跡の石垣に使われていた石材で築いたものです。

広島県教育委員会

(案内板より)




「このあたりが、広島城の中堀(なかぼり)じゃったん?」

「ほうじゃの。今の広島城の堀が内堀(うちぼり)で、旧広島市民球場と原爆ドームの間にある相生通(あいおいどおり)が外堀(そとぼり)になるんじゃ」

「そうか。外堀(外濠)を埋め立てたところに、広島電鉄の電車を通したんじゃったね」



↓グリーンアリーナについては、こちら↓

広島県立総合体育館 グリーンアリーナから元気を発信!











「ファミリープールの横には、馬碑があるんじゃ」

「馬碑?」

「戦前、基町(もとまち)には、第5師団に属する歩兵第11連隊、砲兵隊、輜重隊(しちょうたい)、騎兵隊、幼年学校なんかがあったんじゃの」

「新島八重(にいじま やえ)が日清戦争の時、従軍看護婦として4ヶ月間働いた陸軍予備病院も、このあたりにあったんよ」



馬碑の由来

昭和三年、馬碑は輜重兵第五聯隊の兵舎西南太田川沿いに建立された。

昭和二十年八月六日朝、米軍機の原爆投下により、輜重隊は壊滅、多くの兵士が犠牲になった。
その中で、馬碑は熱風を受けながらも唯一残った。

昭和五十七年、廣輜会(原隊の戦友会)により、隊跡馬碑と表示、復元された。

(略)

平成十八年
元中支派遣 第三十九師団輜重隊
 第百三十二師団輜重隊

有冨部隊戦友会




「このあたりには、輜重隊があったんじゃ」

「輜重というのは、戦争をするとき、戦争に必要な物資を運ぶ部隊のことじゃね」

「兵器や弾薬、食糧なんかじゃの。車のない時代は、重い物を大量に運ぶのに馬を使いよった。もちろん、人間が乗って戦うためにも使われたがの」

「『めんこい仔馬(こうま)』(作詞:サトウハチロー)という歌もあったよ」

「映画『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』(1992年)で使われとったのう」







「ファミリープールのところで左に曲がり、本川(ほんかわ。旧太田川)に沿って南に向かって歩く」







「左手に、こども文化科学館が見える」

「子どもたちが小(こ)まいころは、よう(=よく)連れて来よったね」

「迷路のようになっとる「たんけんとりで」、床が回る「くるくるステージ」、ピョン太と競争する「ピョン太とかけっこ」なんかがあるんじゃの」

「ボールキャッチャーや、かみなり遊びなんかもあるんよ」

「4階にはプラネタリウムがあるけぇ、天井が丸くなっとるんじゃ」



最近,主投影機の老朽化が深刻になり,交換部品も無い状態である。
デジタル化には数億円かかるとされ,問題となっている。

(「広島市こども文化科学館)ウィキペディア}




↓こども文化科学館については、こちら↓

広島市こども文化科学館







「相生橋の下をくぐって行くと、相生橋跡碑(左)と原爆ドームが見える」

「うーん。逆光で見えづらいね」







「元安川(もとやすがわ)の向こうに、平和の時計塔が見えるよ」

「これは1996年(平成8年)、環境省の「残したい日本の音100選」に選ばれとるんじゃ」



世界人類を象徴した直径2mの球体が、平和都市ヒロシマの市民の深い祈りの手と、苦難を超え、無限に伸びていく平和への希望を表した高さ20mの鉄塔3本に支えられています。

(「7 平和の時計塔」広島平和記念資料館バーチャル・ミュージアム)








「元安川に架かる元安橋を渡ると、レストハウスが見える」

「むかしは、大正屋呉服店という店じゃったんよね」

「1943年(昭和18年)末からは、広島県の燃料配給統制組合が使いよったんじゃの」

「原子爆弾が投下された日、たまたま地下に下りていた方だけが生き残られたんよ」

「この建物には37人の方が勤務されとって、そのうち8人は建物を脱出されたんじゃが、全員が死亡されたんじゃ。ちなみにここは、爆心地から170メートルという距離じゃ」



この建物は、大阪に本店を持つ大正屋呉服店が、対岸の細工町から新築移転したもので、木造家屋が主流の当時としてはめずらしい鉄筋コンクリートのモダンな建物でした。
1~3階はショーウィンドウのある売場で土足が可能で、屋上からは市内が一望できました。

(「17 レストハウス(元大正屋呉服店)」広島平和記念資料館バーチャル・ミュージアム)








「あっという間に、天満川に架かっている緑大橋に着いた」

「平和公園から緑大橋までは前回紹介しとるんで、興味のある方は、こちらをご覧ください」



ピースウォークひろしまツーデー(その5) 緑大橋から西平和大橋

ピースウォークひろしまツーデー(その6) 西平和大橋から平和公園

ピースウォークひろしまツーデー(その13) 平和公園前交差点から元安橋

ピースウォークひろしまツーデー(その14) 元安橋から中央公園






「次回は西区、緑大橋から草津橋まで を紹介する予定じゃ」





【メモ】

緑大橋通過時間/8時45分ころ
(スタートから約45分)






「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの2日目、宮島街道と商工センターから市内の橋を巡る 20キロ、中央公園から緑大橋までについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする