通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

オタフクソース100年

2021年11月27日 | 広島の話題
広島県民のソウルフードといえば、
お好み焼き。

できたてでアツアツのお好み焼きに
たっぷりとかけるのは、
トロッとトロミのある
お多福お好みソース。

わが家でも愛用しとります。





お多福お好みソースの
オタフクソースが
創業から100年を迎えるそうじゃ。




(中国新聞 2021年11月26日)

「ぶち幸せじゃ」
という広島弁を英訳すると、
「I'm very happy!!」
いうところかの。





今日は、
オタフクソースについての話でがんす。





オタフクソースが創業したのは
1922年(大正11)。

佐々木 清一が、広島市横川町で
酒、醤油類の卸小売業
「佐々木商店」を創業したのが始まり。



1938年(昭和13)、
醸造酢の製造を始め、
ブランド名を「お多福酢」とする。



1945年(昭和20)、
原爆投下により店も家も焼けてしまう。



翌46年、広島市祇園町長束で
醸造酢の製造を再開する。



広島カープがセ・リーグに参加した
1950年(昭和25)、
ソースの製造・販売を始める。

が、後発メーカーの悲しさ。

問屋や店でなかなか取り扱ってもらえず、
営業で苦戦する日々が続いた。



そんなある日、
「お好み焼きに合うソースがあったら
ありがたいんじゃがのう」
と、お好み焼き店主から相談を受けた。

お好み焼きは、
一銭洋食が始まりといわれる。

一銭洋食は、駄菓子屋で
水で溶いたメリケン粉を焼いたもので、
子どもたちがおやつ代わりに食べていた。

戦後、メリケン粉の上に
キャベツやネギなどの
野菜を入れて焼いたものを
店や屋台で売り始め、
食糧不足の人々の空腹を満たしていた。
(そばはまだ入っていなかった)

そのころ、
お好み焼きに使われていたソースは、
ウスターソース。

サラサラしたウスターソースを
お好み焼きの上にかけると、
お好み焼きにしみ込んでしまったり、
鉄板に流れ落ちてしまったりする。

お好み焼きにかけても、
流れ落ちずにその上に留まってくれる、
そんなトロミのあるソースが
店で望まれていた。



そこで、お好み焼きに合うソース
の開発を始め、試行錯誤の末、
1952年(昭和27)に
お好み焼用のソースを発売。



お好み焼用ソースのトロミを
どうやって作るかというと…。

ソースを作る過程で、
野菜や果実のパルプ(食物繊維)、
香辛料の粉末などが沈殿する。

サラサラのウスターソースには、
この沈殿物(=オリ)が邪魔になるので
捨てられていた。

このオリを使うことで
ソースにトロミをつけ、
お好み焼きから流れ落ちにくく、
しかも具材によく絡むソースが
できあがったという。

ソース=ウスターソースだった時代、
「ドロドロしたソースは気持ちが悪い」
と言われたこともあった。

が、次第に受け入れられていき、
わしが小さいころ(1960年代)には、
お好み焼きに塗るソースは、
オタフクソースじゃった。



オタフクソースでは、
お好み焼店のリクエストで
その店独自のソースを開発している、
という話をテレビ番組で見た記憶がある。





↓オタフクソースについては、こちら↓

オタフクソース





↓お好み焼きについては、こちら↓

「語り部一覧ページ」オタフクソース





以下、余談。



オタフクソースといえば、
お酢でも有名。

先ほど紹介したとおり、
オタフクソースはもともと、
醸造酢造りから始まった。

わしは毎年、
らっきょうを漬けるんじゃが、
この時に愛用しているのが、
お多福らっきょう酢なんじゃの。



(撮影日:2017年6月11日)



そういや、他社のホームページに、
次のように書いてあった。



ソースはその30%がお酢でできています。

(「ソース何でできてるの?」ブルドックソース株式会社)




へぇ、酢とソースには
こんな関係があったんか。

お多福が酢からソースに造りに
乗り出した理由が
分かったような気がする。





以下、さらに余談。



広島カープが初優勝した
1975年(昭和50)から、
ソースの原材料として
デーツが使われている。

デーツは、ヤシ科の高木
ナツメヤシの実。

もともとは砂糖の値段が高くなったので、
その代わりにデーツを使うことになった。

が、砂糖の値段が安くなった後も、
ソースに深みをもたらす隠し味として
今でもデーツが使われているそうじゃ。



デーツといえば、わしが通っていた
府中中学校では土曜のお昼に、
牛乳とデーツ3個をいただいていた
と記憶する。
(…いや、小学校の時じゃったか…?)



「土曜のお昼」という表現に
違和感を持たれた方のために、
説明しておくと…。

このころの学校は、
月曜から土曜もまであって、
土曜は半ドン、お昼までだった。

ふつうの学校は、
月曜から金曜までは給食があったが、
土曜日はなかった。

が、自動車会社のマツダの本社があり、
当時は裕福だった府中町の学校は、
土曜のお昼もこういった
簡単な給食が出とったんじゃの。

この話をしたとき、
広島市内の学校に通っていた女房は、
「あぁ、うち(=私)も府中の学校に
行きゃえかったね」
と残念がった。





以下、もひとつだけ余談。



わしの女房の両親は共働きだったので、
給食がないときのお昼は、
おばさんに作ってもらうか、
店屋物を食べるかしていた。

中でも一番よく食べたのが、
お好み焼き。

お好み焼き屋だけでなく、
駄菓子屋の隅っこに鉄板があって、
そこでもお好み焼きを焼いていた時代。

家に持ち帰って食べるときは、
(「テイクアウト」なんて
おしゃれな言葉はなかった)
店に皿を持っていく。

その皿の上にお好み焼きを載せてもらい、
ビニール(ラップはまだなかった)、
新聞紙をかけ、割りばしを置いた上から
パチンと輪ゴムをかける。

その皿を持った人とすれ違うと、
お好み焼きにかかったソースの
ええ(=良い)においがしたもんじゃ。

…あぁ、腹減ってきた。

今夜はお多福お好みソースをかけた
お好み焼きにしてもらおうかの。





最後に、
オタフクソースのCMソング
を一節。

♪かけて ふくふく(福福)~
オタフク(お多福)ソース






今日は、
オタフクソースについて
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スヌーピーが広島にやって来た! | トップ | ゼンジー北京さん、上方演芸... »

コメントを投稿

広島の話題」カテゴリの最新記事