通でがんす

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ゼンジー北京さん、上方演芸の殿堂入り

2021年11月29日 | 広島の話題


(中国新聞セレクト 2021年11月2日)

マジシャンの
ゼンジー北京(ペキン)さん(81歳)が
上方演芸界での功績をたたえる
「第24回上方演芸の殿堂入り」
名人に選ばれ、
11月9日に表彰式が行われました。

おめでとうございます。



今回、なぜゼンジーさんを
取り上げるかというと、
ゼンジーさんは
広島県呉市のお生まれなんですね。





今日は、
ゼンジー北京さんについての話でがんす。





ゼンジー北京さんといえば、
最初の写真にあったとおり、
中国風の衣裳を着て、
「…アルヨ」という独特の話術で
手品をするマジシャン。

たとえば、手品をするときに
「タネも仕掛けもちょこっとだけアルヨ」
という話し方をする。

広島生まれをネタにするときは、
「ワタシ、中国は広島の生まれアルヨ」
という。

これは、中国(中華人民共和国)と、
広島県のある中国地方を
かけたものである。





ゼンジーさんより前は、
バックに音楽を流しながら
無言で手品を披露するのが主流。

それを、他の人と差をつけるため、
手品の合間におしゃべりを入れる
おしゃべりマジックの先駆者となった。

実はあがり症で
おしゃべりが苦手だったという
ゼンジーさん、
「…アルヨ」という異国風のアクセント
を使うことでそれをカバーしたという。





「手品」という漢字をよく見てみると、
「手」が1つで、「口」が3つある。

「品」には「口」という漢字が
3つありますよね。

つまり、手品では
「手」の技術(=技)より、
「口」の話術(=おしゃべり)が
3倍大事ということになる。

そういう意味では、
ゼンジーさんのしゃべりながらの手品は
的を射たものであったといえる。

こじつけではあるが…。





↓ゼンジー北京さんについては、こちら↓

「ゼンジー北京のマジック演芸 1994年1月」YouTube





以下、余談。



ゼンジー北京さんは、
1回だけお目にかかったことがある。

今から39年前の1982年12月、
サンリブ府中が
オープンして間もないころ、
催しのひとつとして手品を披露された。

交通整理のアルバイトをしていたわしは、
トイレに行く途中にチラッとだけ
ゼンジーさんの手品を見た。

見たといっても、
たくさんのお客さんが集まっていたので、
遠くから眺めるだけじゃったが。

その時、ゼンジーさんは、
舞台の後ろに吹き抜けがあって、
しかも、後ろに囲いがないところで
手品をされていた。

つまり、後ろ(上の階)から
手品のネタが丸見えという状況でも、
「今日はとてもやりにくいアルヨ」
と笑いをとりながら、
ゼンジーさんは手品をされていた。





↓サンリブ府中については、こちら↓

「サンリブ府中」サンリブ グループ




以下、さらに余談。



ゼンジー北京さんが
「…アルヨ」という異国風のアクセントで
話していると書いたが、これは
「役割語」と呼ばれている。



役割語とは、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いである。

「役割語」ウィキペディア




たとえば、
「わしは……のように考えておるのじゃ」
というセリフから、
「この人はお年寄りか、または博士か」
と想像できる。

同じ「わし」「じゃ」を使っても、
「わしゃ……と考えとるんじゃが、
違(ちご)うとりますかいの」
という広島弁にすると、
「この人はヤクザじゃ」
と想像できるように。



「…アルヨ」は、
「ワタシ中国人アルヨ」というように、
中国人特有の語尾とされている。

石ノ森章太郎さんの代表作
『サイボーグ009』の
006こと張々湖(ちゃんちゃんこ)
がそうであるように。

この「…アルヨ」という言葉はもともと、
幕末から明治の外国人居留地で
自然発生した日本語といわれている。





006 張々湖と
003 フランソワーズ・アルヌール

(石ノ森章太郎『サイボーグ009 第4巻 ベトナム編』メディアファクトリー 1998年)






今日は、
ゼンジー北京さんについて
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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