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パンダコパンダとピッピ

2022年09月23日 | まんが・テレビ・映画


(中国新聞セレクト 2022年9月17日)

今年、2022年は、
アニメ映画『パンダコパンダ』
の公開から50周年にあたる。

そこで、『パンダコパンダ』と
続編の『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』
の2作品が、9月23日から2週間限定で
全国の劇場で特別上映されるそうじゃ。



↓『パンダコパンダ』については、こちら↓



「『パンダコパンダ』公開50周年特別上映予告編 2022年9月23日(金)より2週間限定上映」YouTube




広島では、
イオンシネマ広島、
イオンシネマ広島西風新都
の2館で上映中。



↓イオンシネマ広島については、こちら↓

広島 イオンシネマ



↓イオンシネマ広島西風新都については、こちら↓

広島西風新都 イオンシネマ



『パンコパンダ』について話す前に、
語っておかなければならない作品がある。

アストリッド・リンドグレーンという
スウェーデンの人が書いた、
『長くつ下のピッピ』という
児童文学作品。

天真爛漫(てんしんらんまん)で、
世界一強くて、赤毛の女の子
ピッピが主人公の物語である。



↓アストリッド・リンドグレンについては、こちら↓

Astrid Lindgren



↓『長くつ下のピッピ』については、こちら↓

「長くつ下のピッピ」岩波書店



今日は、
パンダコパンダとピッピ
についての話でがんす。



1971年、アニメ制作会社
Aプロ(現:シンエイ動画)で
『長くつ下のピッピ』の
アニメ化企画が持ち上がる。

そのAプロには、
劇場アニメとして企画された
『ルパン三世』に参加するため、
東映動画から移ってきた
大塚康生(おおつか やすお)さんがいた。

ルパンは最初、テレビアニメじゃのうて、
劇場用アニメとして
企画されとったんじゃの。

ピッピの話を聞いた大塚さんは、
演出に東映動画の後輩・
高畑 勲(たかはた いさお)さんを推薦。

その高畑さんは、同じく東映動画の
宮崎 駿(みやざき はやお)さんと
小田部 羊一(こたべ よういち)さんを
誘って、東映動画からAプロに移ってきた。

彼らはピッピのアニメ化に向けて
準備を進めた。

宮崎さんは、ロケハンの目的で、
『ピッピ』のアニメ化を企画した
東京ムービーの
藤岡 豊(ふじおか ゆたか)さんと一緒に
スウェーデンに行く。

宮崎さんは、現地の風景や家屋をもとに
イメージボードを描いた。

しかし、藤岡さんは原作者から
アニメ化の許可を得ることができず
(面会すらできなかったとも)、
『ピッピ』は結局、
日の目を見ることはなかった。



1972年9月、日本と中国は
「日中共同声明」に署名して、
国交を結んだ。

このとき、中国から日本へ
2頭のジャイアントパンダが贈られ、
カンカン、ランランという名前が
日本でつけられた。

パンダを一目見ようと
上野動物園には人が押しかけ、
2時間並んでもわずか30秒しか見られない
というような状態だった。

このパンダブームに乗って
企画されたのが、
『パンダコパンダ』。
(ウィキペディアによると、
高畑さんはそれより前から
パンダものの企画を立てていたという)

宮崎さん、高畑さんがストーリーを、
小田部さんがキャラクターをまとめ、
大塚さんが作画監督をした。

そう、
『パンダコパンダ』のメインスタッフが、
実は『ピッピ』を手がけるはずの
人たちだったのだ。

『ピッピ』のために用意された設定が、
惜しみなくこの作品につぎ込まれた。

たとえば、
主人公のミミちゃんが
ひとり暮らしをしているところ、
髪を三つ編みにしているところ、
オーブン付きの台所があるところなど。




ピッピ



ミミちゃん
(『宮崎 駿 イメージボード集』講談社 1983年3月)


3人(高畑・宮崎・小田部)ともまだ小さな子供がいましたから、子供への贈り物といった気分で楽しい仕事になっています。

(大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫 2013年4月 211ページ)



10月から始めて1ヶ月弱で完成させた
『パンダコパンダ』は、この年の12月に
東宝チャンピオンまつりの一本として
公開された。

作品の評判が良かったこともあって、
翌1973年3月には、
40日ほどで完成させたという
『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』
も公開された。


今回、この2作品が、
同時上映されるんじゃの。



↓映画『パンダコパンダ』については、こちら↓

映画『パンダコパンダ』公式サイト



『パンダコパンダ』が公開された後、
高畑さん、宮崎さん、小田部さんの3人は、
Aプロからズイヨー映像に移り、
『アルプスの少女ハイジ』(1974年)
を手がける。



小田部さんによる、ハイジの初期キャラクターデザイン

主人公のハイジも、
ピッピ、ミミちゃんと同じく
三つ編みのイメージで
キャラクターが描かれた。

ところが、
ハイジはわずか5歳という設定。

5歳の女の子が自分の髪を
三つ編みすることができるか?
…できない。

あのアルムおんじが、
ハイジの髪を三つ編みに
することができるか?
…できない。

ということで、
ハイジの三つ編みは却下され、
今のような髪型になったという。



以下、余談。


アストリッド・リンドグレーンさんが
亡くなった後、
著作権継承者からスタジオジブリに対して
『ピッピ』アニメ化のオファー
があったが、宮崎さんは
「時機を逸(いっ)してしまった」
と述べたという。

何事も、タイミングというものがある。

宮崎さんとしても、
『ピッピ』をアニメ化したい
と熱望したときにアニメ化できず、
その気がなくなったときに
アニメ化しても良いですよ
と言われても困るよの。


2014年にNHK BSプレミアムで
リンドグレーンさん原作の
『山賊の娘ローニャ』がアニメ化された。

この作品の監督を務めたのが、
宮崎 駿さんの長男、
宮崎 吾朗(みやざき ごろう)さん
だった。



↓アニメ『山賊の娘ローニャ』については、こちら↓

「山賊の娘 ローニャ」NHKアニメワールド



今日は、
パンダコパンダとピッピ
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。

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