通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

小学館 学年誌の100年

2022年10月03日 | 日記

(中国新聞セレクト 2022年9月23日)


わしが小学生のころは、
小学館の学年誌を月初めに
(毎月1日発売)
買うてもらうのが楽しみじゃった。

学年誌いうのは、
『小学一年生』から『小学六年生』までの
その学年の子どもを対象にした
学年別の学習雑誌。

たとえば、わしが小学3年生じゃったら、
内容も付録も小学3年生向けに作られとる
『小学三年生』を買うてもらうんじゃの。

ほいで、その表紙を飾るのは、
写真じゃのうて、
漫画のキャラクターでものうて、
写実的な手書きの絵じゃった。

1950年代から70年代にかけて
表紙画を手がけられたのが、洋画家の
玉井力三(たまい りきぞう)さん。

東京にある
千代田区立日比谷図書文化館では、
玉井さんの表紙画を中心に、
学年誌の100年をたどる特別展
「学年誌100年と玉井力三
描かれた昭和の子ども」が開催中じゃ。



↓「学年誌100年と玉井力三」については、こちら↓

「学年誌100年と玉井力三」小学館

日比谷図書文化館 特別展「学年誌100年と玉井力三―描かれた昭和の子ども―」千代田区立図書館




今日は、
学年誌の100年
についての話でがんす。



「学年誌の100年」のタイトルのとおり、
2022年は小学館の学年誌が創刊されて
100年になる。

100年前の1918(大正11)年といえば、
児童向けの雑誌として、
『赤い鳥』『コドモノクニ』などが
創刊されていた。

大正デモクラシーの影響で、
画一的でなく自由な教育で
子どもたちを伸ばそうという
風潮があったころ。


↓『赤い鳥』については、こちら↓

「「赤い鳥」とは」鈴木三重吉と「赤い鳥」の世界



小学館は、その名のとおり、
小学生向けの教育図書を出版するため
1922年に創立され、その年のうちに、
『小学五年生』『小学六年生』を創刊。

以後、
1923年に『小学四年生』、
1924年に『せうがく三年生』、
1925年に『セウガク一年生』
『セウガク二年生』と、
順次創刊された。



↓むかしの『小学一年生』については、こちら↓

「1925(大正14)年~1938(昭和13)年:『セウガク一年生』創成期」『小学一年生』


…見てもろうておわかりのとおり、
「男の子と女の子の二人組」の表紙は
このころに始まったんじゃの。

あと、このころの横書きの文字は
右から左へ書く「右横書き」じゃった。


1927(昭和2年)年、
「勉強マーク」制定。

「勉強マーク」は、
学年誌の表紙と背表紙に印刷してあった、
男の子と女の子が机で
向かい合って勉強している小学館のロゴ。

これは、小学館が学年誌を創刊してから、
似たような雑誌が多く売られたため、
一目見て分かるように作られたそうじゃ。


(編集・執筆/秋山哲茂、監修/円谷プロダクション『学年誌ウルトラ伝説』小学館 2017年)


1941年、小学校が国民学校へ
名前を変えたのに合わせて、
『小学○年生』から『国民○年生』
と誌名を変えた。

中沢啓治(なかざわ けいじ)さん描く
漫画『はだしのゲン』の主人公
中岡 元(なかおか げん)は、
国民学校の2年生じゃった。



↓『はだしのゲン』については、こちら↓

「はだしのゲン」株式会社汐文社



翌1942年、
『国民一年生』と『国民二年生』は
『良い子の友』へ、
『国民三年生』から『国民五年生』は
『少国民の友』へ統合された。


日本が戦争に負けた後の
1946年から1948年にかけて
学年誌は順次復刊された。


1963年生まれのわしは、
1970年に小学校へ入学。

それから6年間、毎月欠かさずに
学年誌を買ってもらった(はず)。

それと重なる時期
(1950年代から70年代)に
表紙画を描かれていたのが
玉井力三さん。


1980年代、
「ピッカピカの一年生」が
キャッチコピーの
テレビコマーシャルが放映された。



↓ピッカピカの一年生については、こちら↓

「ピッカピカの1年生」が1位! 秀逸すぎた昭和の懐かしCMフレーズランキング」小学一年生

「小学一年生 CM(ピッカピカの一年生)1982~ 小学館」YouTube




『小学六年生』は2010年2・3月合併号で、
『小学五年生』は2010年3月号で、
『小学三年生』と『小学四年生』は
2012年3月号で、
『小学二年生』は2017年2・3月合併号で、
それぞれ休刊となる。

『小学一年生』だけは、
今も毎月発売されている。



↓『小学一年生』については、こちら↓

『小学一年生』小学館の学習雑誌



以下、余談。


その学年の最後の号、
たとえば小学三年生の3月号とすると、
その表紙絵には、
小学四年生を手にした子どもたちが
描かれていた(と記憶する)。

学年誌は学年があがるとき
買わなくなるおそれがあるけぇ、
「4月号も続けて買ってね」
という編集部からのメッセージじゃったと
わしゃ理解しとるんじゃがの。



以下、さらに余談。


小学館学年誌100年の歴史には、
学年誌戦争に巻き込まれた
こともあったそうじゃ。

相手は、講談社。

講談社は1956年から1960年にかけて、
『たのしい一年生』から
『たのしい六年生』を創刊するも…、


この戦争は小学館の勝利で終わり

(中川右介『サブカル勃興史』角川新書 2018年 17ページ)



1963年の3月号をもって、
すべての学年誌を休刊とした。

このときに創刊されて、
今も発行されているのが
『たのしい幼稚園』。

…え、『たのしい幼稚園』って、
小学館じゃなかったの?

『たのしい幼稚園』は講談社で、
小学館は『幼稚園』なんじゃそうな。

ほぉか、講談社は『たのしい○○○』で
売り出されとったよの。



↓『幼稚園』については、こちら↓

『幼稚園』小学館の幼児雑誌



↓『たのしい幼稚園』については、こちら↓

「幼児誌」講談社



今日は、
学年誌の100年
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パンダコパンダとピッピ | トップ | 主人公は静弦太郎?!~アイ... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事