「10月3日まで「広島の歴史的風景-文書館収蔵の絵はがきから-」を広島県立文書館でやっとるけぇ昨日(9月30日)、見に行ってきた」
「県立文書館は広島県情報プラザ(広島市中区千田町)にあって、「歴史資料として重要な公文書等」の保存・利用しとるところじゃね」
「県立文書館では、戦前の広島県内の様子を写した絵はがきを2,500点ちかく収蔵しとられるそうじゃ」
「ほー、2,500点も!」
「絵はがきは、日露戦争後の明治末から昭和のはじめにかけて大量に発行されたらしいのう」
「へぇー、絵はがきが…」
「今じゃったら、携帯やスマホ、デジカメで好きなだけ写真を撮ることができる」
「ねぇ」
「が、今のように写真が一般に普及しとらんかったころの絵はがきは、今日では時代を写した貴重な画像資料になっとるそうじゃ」
↓「広島の歴史的風景-文書館収蔵の絵はがきから-」については、こちら↓
「収蔵文書の紹介展」広島県ホームページ
「…で、この絵はがきが今回のタイトル「戦争と地図」とどういう関係があるん?」
「『この世界の片隅で』で、広島の江波から呉にお嫁に来たすずさんは、義姉・経子さんの娘・晴海さんから呉湾に停泊中の軍艦の名前を教えてもらうシーンがある」
「大和が2つおる。1っこ(いっこ=ひとつ)は武蔵じゃ、…ってやつじゃね」
「そんな晴海さんのために、すずさんが高台にある畑から軍艦をスケッチしよったら、憲兵が来て「間諜(かんちょう=スパイ)行為」と決めつけて、愛用のスケッチブックを押収したのを覚えとるかの?」
「あー、おったね。うちゃ、権力をかさにきてああいうことをする人が大っ嫌いなんよ。それはともかく、うちが疑問に思うのは、なーんですずさんがスケッチをしちゃいけんかったんじゃろ?」
「なんでかいうと…。いざ戦争となったときに、一番必要なものは何じゃと思う?」
「戦争になったら、やっぱり兵隊さんとか兵器とかが要るよね」
「その次は?」
「うーん…、戦うとなったら食料とか弾薬とかの補給とかも要るじゃろうし」
「わしが考えるに、実際の戦争・戦場で一番必要なんは、その戦闘が行われるであろう場所の詳細な地図じゃ」
「なんで地図が必要なん?」
「今からどっかの国と戦争をやりますとなったとき、戦場となる場所も決まってくる。次に、自分の軍隊の陣地をどこに置いたらええか、そこから敵をどう攻めて、敵からどう身を守るかを考えんといけん」
「山や川、平地がどこにあるかっていう、地形的なことを考えて配置を決めんといけんわけじゃね」
「そういう地形的なことを考えると、必要になってくるのが?」
「地図!」
「そのとおり。山や川、平地がどこにあるかを詳細に描いてある地図が必要となる。自分はその地図が欲しいが、相手にはその地図を…」
「絶対に渡しちゃいけんね」
「今回「広島の歴史的風景」の展示に、「絵はがきの検閲と作為」というコーナーがあった」
「絵はがきの検閲と作為?」
「手書きじゃったら描く人の主観で誇張したり省略したりすることができるが、写真はそうはいかんよの」
「写真はそのまんまを写してしまうけぇ、写っちゃいけんものも写してしまうよね」
「そこで、写っちゃいけんものは「消してしまえ!」となるんじゃ」
「軍にとって不必要、不都合なものは、事前に検閲して消してしまえと」
「絵はがきでは、たとえば山や島の形のように、その場所を特定しやすいモノが写っている。それを軍の検閲=圧力で消してしまう」
「すずさんは、そんな「軍にとって不都合なもの」、つまり日本一の軍港・呉湾に停泊中の戦艦を丁寧に丁寧に描いとったんよね」
「これは、見る人から見たら「とんでもない行為」なわけじゃ」
「で、憲兵さんに捕まってしもうた」
「こうの史代さんが描く『この世界の片隅に』では笑い話でオチがついとるが、中沢啓治さんの『はだしのゲン』では、間違いなく拷問にあわされとったじゃろうの」
「このあたりは、こうのさんと中沢さんの世代の違いじゃろうね」
「1935年(昭和10年)、呉市で行われた「国防と産業大博覧会」の観光案内書の末尾にこんな一文が書かれているそうじゃ」
呉軍港一帯では写真撮影は勿論その描写等は国法で固く厳禁されて居ります。若し(もし)撮影せんと思ふ方は予め(あらかじめ)鎮守府の許可を得なければなりませぬ
「1935年の段階で、こんな風に書かれとったんじゃね」
「『この世界の片隅に』ですずさんが呉湾をスケッチして憲兵に捕まったのが、終戦1年前にあたる1944年8月じゃったんじゃの」
この事をよく注意せないと(=しないと?)飛(と)んでもない大迷惑を蒙(こうむ)ることがありますからカメラマンは大いに注意をして下さい。
「呉湾に停泊していた軍艦をスケッチしとったすずさんは文字どおり、飛んでもない大迷惑を蒙ってしもうたんじゃね」
「以下、余談。今年9月、桐生祥秀選手が100メートルで日本人初の9秒台となる9秒98を出したのは記憶に新しいよの」
「広島出身の山縣亮太選手は10秒00を出したよね」
「「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳選手が、当時の世界タイ記録である10秒3を叩き出したのが1935年じゃったんじゃの」
訪問日:2017年9月30日
「今日は、「戦争と地図」ということで、広島県立文書館で展示されている「広島の歴史的風景」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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戦争と地図
広島の歴史的風景
この世界の片隅で
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