通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

旧宇品線

2013年10月19日 | 広島の話題
「今週の月曜日、10月14日は「鉄道の日」じゃったのう」

「世間的には、体育の日じゃったんじゃけど。ハッピーマンデーで、いつの間にか(2000年から)10月の第2月曜日になってしもうたね」

「1964年(昭和39年)、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日は、誰がなんと言おうと、体育の日じゃ」

「10月10日は東京の「晴れの特異日」じゃったけぇ、その日を選んで開会式をしちゃったんよね」

「実は、10月10日は晴れの特異日じゃなかったそうじゃ」

「ありゃ、そうじゃったん」

「とはいえ、中継してとるNHKアナウンサーが、「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和」と中継するくらいの、ええ(=良い)天気じゃったそうじゃがの」

「7年後の2020年(平成32年)、東京で開催されるオリンピックは、夏にあるんじゃね」

「7月24日から8月9日の、あの暑い時期の17日間、東京オリンピックがあるんじゃそうな」

「今年の夏を経験すると、あんな時期に東京でオリンピックをするもんじゃないと思うけどねぇ…」

「それはともかく…、10月14日は鉄道の日なんじゃ」

「鉄道の日ということは、日本で鉄道が開業した日が10月14日?」

「そのとおり。明治5年9月12日(新暦:1872年10月14日)に開業したんじゃが、どこからどこまでを通ったか、わかるかの?」

「簡単よ。新橋駅から横浜駅の間じゃろ?」

「おー。よう知っとるのう」

「この歌を知っとったら、簡単じゃん」



♪ 汽笛一声(いっせい) 新橋を
はや我(わが)汽車は 離れたり

(『鉄道唱歌』作詞:大和田建樹(おおわだ たけき))




「で、鉄道の日じゃけぇ、今は廃線になっとる宇品線の話なん?」

「そのむかし、山陽鉄道(さんようてつどう)という鉄道会社があったのは知っとるじゃろ?」

「あぁ、兵庫の神戸から、山口の馬関(ばかん。現:下関)まで鉄道を通した会社じゃね」

「1888年(明治21年)から1901年(明治34年)まで、13年かけての。で、広島まで開業したのが、1894年(明治27年)6月じゃった」

「それからまもなく、日清戦争が始まったんよ」

「その広島駅から、5年前の1889年(明治22年)に完成した宇品港(うじなこう。現:広島港)を結んだのが、旧宇品線(広島駅~宇品間5.9キロ)。これは、陸軍省の委託で山陽鉄道が建設した、軍事専用の線路じゃったんじゃ」

「突貫工事で、17日間で開通させたといわれとるんよね」

「実際には、それよりも前に準備されとったという説もあるんじゃがの」

「それからの宇品は、日清・日露戦争から太平洋戦争まで、戦地に行き、そして戦地から戻ってきた兵士たちや、物資の輸送を担うことになったんじゃね」

「もちろん、いつも戦争のためだけに使われとったわけじゃない。日清戦争が終わったあとの1897年(明治30年)5月には、山陽鉄道が陸軍省から借入れて、一般の鉄道としても営業しとったんじゃ」

「戦争がないときは、運ぶものも少ないしね」

「とはいえ、戦争や軍の都合で運休することも、たびたびあったそうじゃがの。で、当時は、旧宇品線5.9キロを1日8往復、片道15分で走っとった。その宇品からは、宮島や呉(くれ)行きの汽船も出とったそうじゃ」

「宮島は分かるけど、呉行きの船もあったんじゃね」

「呉~海田市(かいたいち)間を結ぶ呉線が開通するのは、6年後の1903年(明治36年)12月のことじゃけぇの。ほいで、山陽鉄道が宮島渡航を買収して宮島航路を開設したのも、この年じゃ」





「ここで、旧宇品線の歴史を簡単におさらいしとこうかの」




1894年(明治27年)8月
   軍の専用線として開通

1897年(明治30年)5月
   山陽鉄道が旅客営業を開始

1906年(明治39年)12月
   日本国有鉄道に移行

1919年(大正8年)8月
   広島駅~宇品間旅客営業を廃止(貨物専用線)

1930年(昭和5年)4月
   芸備鉄道が旅客営業を開始

1937年(昭和12年)7月
   芸備鉄道から日本国有鉄道に移行

1945年(昭和20年)8月
   広島に原爆投下(宇品線に大きな被害なく翌日夕刻から運行を再開)

1966年(昭和41年)12月
   広島駅~宇品駅間の一般旅客・貨物営業を廃止(定期客専用)

1972年(昭和47年)4月
   広島駅~上大河駅の旅客営業を廃止(宇品四者協定線として貨物営業は存続)

1986年(昭和61年)10月
   宇品線廃止

(旧宇品線の看板より)




「旧宇品線は、1894年から1986年まで、92年の歴史を持っとるんじゃの」

「廃止してから、27年もたつんじゃね。1966年には、定期客専用になったん?」

「長船友則『宇品線92年の軌跡』に掲載されている時刻表(1972年3月25日付の写真)によると、「通勤通学定期乗車券所持以外の方は乗車出来ません」とある。そのころの旧宇品線は、利用者の9割近くが定期券で乗っとる人じゃったそうな。もちろん、一般の人でも乗ることはできたそうじゃが」

「そういや、「ゆうれい列車」と呼ばれとったというのは、聞いたことがあるよ」

「通勤・通学客が主な客じゃけぇ、時刻表に載せんようになった。そこで、「ゆうれい列車」と呼ばれるようになったそうじゃ。そうそう、さっきの時刻表を見よったら、13時台の列車が1便あったんじゃ」

「通勤・通学の人は、13時ころの列車には乗らんはずじゃけど?」

「それがの、「土曜日のみ運転」という断り書きがついとるんじゃ」

「土曜日のみ…? あ、そうか。あのころの土曜は半ドン(はんどん。業務や授業が午前中に終わって、午後が休みのこと)じゃったよね」

「あとは、8時台16時台が、それぞれ2本走っとったのう」

「あと、宇品線は日本で最悪の赤字路線で有名じゃったよ」

「1970年(昭和45年)度の営業係数が、なんと4,049!!」

「ということは…、100円稼ぐために、4,049円ものお金をつぎ込んどるわけじゃね」

「これは、旧国鉄のすべての路線の中でも、最悪のものじゃったんじゃ。その宇品線も、旧国鉄が民営化(1987年4月1日)する前の1986年(昭和61年)10月1日に廃止になったんじゃの」





↓旧宇品線については、こちら↓

「みなみ区回遊MAP」広島市ホームページ





【参考文献】

長船友則『宇品線92年の軌跡』(ネコ・パブリッシング 2012年)






「今日は、広島駅と宇品港を結んでいた、旧宇品線について話をさせてもらいました」

「これから何回かに分けて旧宇品線跡を歩いてみようと思う。ほいじゃあ、またの」

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