通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

広島東照宮 通り御祭礼(江戸時代)のコースを歩く(その2)

2015年10月09日 | 見て歩き
通り御祭礼

江戸時代のコースを歩く

京橋から立町御門まで






2015年(平成27年)、

広島東照宮(以下、「東照宮」と略す)に祀られた

徳川家康(とくがわ いえやす)の400回忌ということこで、

家康没後50年ごとに行われてきた神輿行列の「通り御祭礼」が、

200年ぶりに復活する。





↓通り御祭礼については、こちら↓

「広島神輿行列「通り御祭礼」」広島東照宮





その、通り御祭礼の行列が江戸時代に練り歩いたコースを

3回に分けて紹介している。

今日はその2回目で、京橋から立町御門(たてまちごもん)まで。







京橋川に架かる京橋を渡って

西に向かって進むと…、







和菓子の店、青柳屋(あおやぎや)の前には、

石見屋町(いわみやちょう)の碑が。







青柳屋の向かい側の角を左(南)に曲がる。

(写真では左から右奥へ)







銀山町(かなやまちょう)電停交差点を渡り、

この角を右(西)へ曲がる。

(写真では右奥から左へ)







堀川町(ほりかわちょう)のこのあたりは「仏壇通り」と呼ばれ、

仏壇店が多いことで有名。







流川(ながれかわ)のとあるお店には、

今年3月まで放送されたNHK朝ドラ『マッサン』で有名になった、

ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝(たけつる まさたか)と

その妻リタの看板が…。




流川いうたら、広島はもとより、

中四国一の歓楽街でとしても有名じゃの。







堀川町交差点を渡り、

廣文館金座街本店前で左(南)へ曲がって、

パルコ広島店本館前を右(西)へ曲がると、

本通りへ。







パルコ横(西)にある並木通りは、

1956年に埋め立てられるまで

平田屋川(ひらたやがわ)いう川じゃった。





平田屋川は、広島城築城の時

資材を運搬するために作られた運河で、

今の並木通り、地蔵通りを通って、御幸橋あたりまで流れとったそうな。







平田屋町(ひらたやちょう)の町名は、

広島城を築城した毛利輝元(もうり てるもと)の招きで

広島の町づくりを行った平田屋惣右衛門(ひらたやそうえもん)にちなむ。







広電(=広島電鉄)電車の立町(たてまち)電停あたりに、

立町御門という広島城の門があった。





つまり、今、広電電車が走っているところは、

広島城のお堀を埋め立てたところなんじゃの。





撮影日:2015年10月3日





今日は、広島東照宮の通り御祭礼が江戸時代に練り歩いたコース、

京橋から立町御門までについて話をさせてもらいました。

次回は立町御門から御旅所(おたびしょ)の広瀬神社までを紹介する予定じゃ。

ほいじゃあ、またの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする