通でがんす

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広島東照宮 通り御祭礼(江戸時代)のコースを歩く(その1)

2015年10月08日 | 見て歩き
通り御祭礼

江戸時代のコースを歩く

広島東照宮から京橋まで






2015年(平成27年)は、

広島東照宮(以下、「東照宮」と略す)に祀られた

徳川家康(とくがわ いえやす)の400回忌。





広島では、家康没後50年ごとに行われてきた

神輿行列の「通り御祭礼」が、

200年ぶりに復活するんじゃ。





復活する通り御祭礼は、

東照宮を出発して

饒津神社(にぎつじんじゃ)までを練り歩くというもの。





ほいじゃが、江戸時代に行われた本来の通り御祭礼は、

東照宮を出発、西国街道に沿って西に向かい、

本通りを通り抜けて北に向かい、

寺町の南側にある広瀬神社までの

約4キロメートルを練り歩くという、

大掛かりなものじゃったそうな。





江戸時代、通り御祭礼の行列が練り歩いたコースを

今回から3回に分けて紹介してみようと思う。





↓通り御祭礼については、こちら↓

「広島神輿行列「通り御祭礼」」広島東照宮





1回目は、東照宮を出発して、桜の馬場(さくらのばば)を通り、

猿猴川(えんこうがわ)に架かる猿猴橋(えんこうばし)を渡り、

京橋川(きょうばしがわ)に架かる京橋(きょうばし)まで。







通り御祭礼の行列は、東照宮を出発し…、







二葉の里2丁目交差点を渡り、

JR広島駅方面(南)に向かって進む。





今はのうなって(=なくなって)しもうたが、

東照宮から猿猴川まで続く参道の両側には桜の木が植えられ、

「桜の馬場」と呼ばる花見の名所じゃったそうな。





↓桜の馬場については、こちら↓

「由緒・歴史」広島東照宮







駅西高架橋北交差点を渡り、

高架橋の上に架かる新幹線乗り場を見上げてみると

そこには…、







なんと、「桜の馬場架道橋」と書いてあるではないか。

こいつぁ、新発見じゃ!





余談じゃが、架道橋(かどうきょう)いうのは、

道路や鉄道線路の上をまたぐように架ける橋

のことじゃの。







振り返ってみると、高架橋から東照宮まで、ほぼ一直線。

このあたりが、かつての桜の馬場じゃったんじゃろう。







JR広島駅をくぐる地下道を通り、

広島東郵便局西側交差点を渡って行くと、

猿猴川に出る。





ここで左(西)に曲がり、

猿猴川に沿って川を下る。

(画面手前から奥へ)







駅前大橋の下を通って…、







猿猴橋を渡る。





猿猴橋は、今から425年前の

天正19年(1591年)に架けられたと伝わる橋で、

江戸時代、猿猴川に架かる橋はこの橋だけじゃった。





今の橋は1925年(大正15年)に架けられたもので、

橋には照明灯や、地球儀の上で羽ばたく鷲の像など

豪華な装飾が施されとったそうじゃ。





ところが、太平洋戦争中の金属類回収令によって、

これらの装飾品は全て供出され、そのままの状態じゃった。

今は、1925年に架けられた当時の猿猴橋に復元する工事が行われとる。





猿猴橋から西国街道(さいごくかいどう)に入る。

西国街道は江戸時代の街道のひとつで、

京都から下関までを結ぶ道じゃった。







駅前大橋南詰交差点を渡り、ラポール横に行くと

西国街道の碑がある。







ラポールの横(南側)の道を

西へ向かって行くと…、







京橋川に架かる京橋に着く。





京橋も、猿猴橋と同じく

天正19年(1591年)に架けられたといわれる。

余談じゃが、天正19年は、広島城を築城した

毛利輝元(もうり てるもと)が広島城に入城した年でもあるんじゃ。





「京橋」という名前は、

広島城を出て京都(東)方向へ向かうとき最初に渡る橋じゃけぇ、

「京都へ続く橋」から「京橋」と名づけられたといわれとるんじゃの。





撮影日:2015年10月3日





今日は、広島東照宮の通り御祭礼が江戸時代に練り歩いたコース、広島東照宮から京橋までについて話をさせてもらいました。

次回は京橋から立町御門(たてまちごもん)までを紹介する予定じゃ。

ほいじゃあ、またの。
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