今回は広島県の話題じゃないんじゃが、個人的に興味があるので取り上げてみたんよ。
「マラニック」は、「マラソン」と「ピクニック」を組み合わせた造語じゃ。
タイムを競うのではなく、個人のペースで完走する。
走る距離も、数十キロから数百キロまで、いろいろある。
【問題】
ゴールデンウィークに中国地方で行われ、最長250キロのコースがあるマラニック大会は、次のうちどれでしょうか?
1.出雲石見街道マラニック大会
2.中国横断岡山米子マラニック大会
3.ピースロード広島マラニック大会
4.山口100萩往還マラニック大会
【正解】
4.山口100萩往還マラニック大会
【解説】
維新の志士が往来した道をたどる山口100萩往還マラニック大会(中国新聞防長本社など後援)が2日、山口市で始まった。
マラソンやウオーキングでゴールを目指す4部門のうち最長コースの250キロに挑戦する335人が出発した。
瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔前を午後6時にスタート。
美祢、長門、萩の3市を巡り、48時間以内に同塔前に戻る。
最高齢の奈良県天理市、福山隆夫さん(74)は「70歳から挑戦し、まだゴールしたことがない。今年はどうしてもしたい」と意気込み、夕暮れの街に繰り出した。
3日は140キロ、最終日の4日は70キロ、35キロとウオーキング部門(35キロ)がスタートする。
(「萩往還250キロ 335人挑む」中国新聞 2010年5月3日)
250キロに参加する人だけで、335人!
しかも、参加料3万円を支払って!!
あんたぁ、信じられますかいの!?
世の中には、物好きな人がおってんじゃのう…。
もっとも、16年ぐらい前までは、わしもその物好きな人の1人じゃったんじゃがの。
わしがマラソンをやっとったころ、阿蘇カルデラスーパーマラソンで100キロを完走したことが、1回だけある。
ほいでこの大会にも出場しようと考えとったんじゃが、48時間の制限時間内に250キロを走らんといけん。
マラソン雑誌を読んだり、人の話を聞いたりすると、「仮眠する場所はあるが、夜もほとんど寝ずに走る」そうじゃ。
結局、参加しとらん。
そのころ、間寛平がギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」(246キロ)を走る番組を見たことがある。
真っ暗な夜道を、ペンライト片手に走る姿を見たら、泣けてきた。
同時に、「わしゃ、そこまでして走りとうはないのう…」とも思うたんじゃがの。
寛平はご存じのとおり、2008(平成20)年12月から、マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦されとります。
↓くわしくは、こちら↓
間寛平アースマラソン 公式ブログ
寛平の息子で歌手の間慎太郎が、広島フラワーフェスティバルに出演されます。
5月3日(月)
11:00~ チューリップステージ
14:50~ カーネーションステージ
17:00~ デイジーステージ
話がそれてしもうたが、萩往還マラニックについて。
この大会は、以下の全5種目で行われるんよ。
●マラニックの部
250キロ(制限時間48時間)
140キロ(同24時間)
70キロ(同12時間)
35キロ(同7時間)
●歩け歩けの部
35キロ
夜も走るので、白っぽい服装、懐中電灯、反射板が必要になる。
健康保険証写しや救急薬品、現金(1万円程度)を持って走る。
何かあったときに必要なんじゃろうの。
順位の表彰はされとらんそうじゃが、昨年のトップは、250キロを26時間37分で完走しとられます。
歴史の道「萩往還」は、全種目に共通したコースです。
峠越えの険しい山中でも、ここですれ違う選手達は声を掛け合い励まし合いながら共にゴールを目指します。
記録や順位を競うだけでなく、選手同士、またエイドのスタッフやボランティア達とふれ合い親睦を深めることも、この大会ならではの楽しみです。
(大会概要)
マラソンの楽しみのひとつが、エイドステーション。
オリンピックや有名な大会では、マラソン選手が給水所で水を取って、走りながら飲むのを見られたことがあるじゃろ。
一般人の参加するマラソン大会では、そこで立ち止まって飲んだり、食べたりする人もおる。
飲み物は、水かスポーツドリンク。
食べ物は、バナナ、カロリーメイト、あんパン、アメ、など。
変わったところでは、スイカや焼きそばなんてものあったのう。
あと、スタッフや沿道の人に応援してもらえるのも、ありがたい。
50キロ以上のマラソンや、参加人数の少ない大会になると、前にも後にも走っている人がおらんで、もちろん、沿道に観客の人もおらん、なんて時がある。
「わしゃ、ほんまにこの道を走っとって、間違いないんかいの?」と思うこともある。
そんなとき、応援してもらえると、うれしいんよの。
家の前にわざわざテーブルを出して、食べ物や水などを用意してくださる人もおってじゃ。
先にゴールした人が、後からくる人を応援するために、ゴールから逆走してくることもあるんよ。
「萩往還」とは、慶長9年(1604)毛利輝元が萩城築城後に山陰と山陽を結ぶ参勤交代道として開いた道です。
城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ全長約53kmのこの街道は、庶民にとっても重要な交通路となり、また幕末には維新の志士達が江戸や京へと往来し歴史的にも重要な役割を果たしました。
かつての道沿いには、藩主一行の宿泊所や休憩所となった御茶屋や駕籠建場など様々な施設が置かれ、また一里塚・往還松のような旅人のための道標も設けられており、今でもその面影を一部にとどめています。
こうして重要な交通路として明治中頃まで300年にわたり栄えていた萩往還ですが、山越えの険しい道であるが故いつしか姿を消してゆき、一部は廃道となっていました。
しかし、この貴重な古道や史跡を後世へ伝えようと、昭和56年から63年にかけ沿線の市町村が中心となって保存整備を行い、歴史の道「萩往還」として復元されました。
平成元年には国の史跡に指定、さらに平成8年には文化庁から「歴史の道百選」に選定されました。
(歴史の道 萩往還)
↓くわしくは、こちら↓
山口100萩往還マラニック オフィシャルサイト
今日は、萩往還マラニックについて勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。