タイトル----礼は、謙虚さをもって、相手を尊ぶことを教える。 第282号 21.12.3(木)
〈大上(たいしょう)は徳を貴(たっと)び、其の次は施報(しほう)を務む。禮は往来を尚(たっと)ぶ。往きて来(きた)らざるは、禮に非ざるなり。〉(新釈漢文大系・竹内照夫著『礼記』明治書院)
通訳「人間社会における最高の交際方歩は互いに徳をもって交わり、礼も挨拶も必要としない方法である。(ということは、徳をもって交わるそのものが「礼」行為そのものではないかと思う。多くのお稽古ごと、習い事をしてきた私は、経験上そのように思う)そして一方から施すと他方から報いるという方歩は次善のものである。即ちそれが礼であって、礼には往と来が必用である。(それが意思の疎通ということであろうか。)」(前掲書)参照。
〈来りて往かざるも、亦禮に非ざるなり。〉(前掲書)
通訳「こちらから往ったのに、あちらから来ないとか、あちらから来たのに、こちらが往かないとかでは、礼にならないのである。(いわゆる手前の心情に先方が応えてはじめて、心が行き交うということであろう。)」(前掲書)参照。
〈人禮有れば則ち安く、禮無ければ則ち危うし。故に曰く、禮は學ばざる可からざるなり。〉(前掲書)
通訳「人が礼を心得ておれば安全に生活し得るが心得ていないと危うい。それゆえ古人は、「礼を学ばずには済まされないもの」と言った。(ここで言う〈危うい〉とは人間関係に支障を来たすということであろうか。私の体験上、それは有りうると思う。)」(前掲書)参照。
〈夫れ禮は、自ら卑くして而して人を尊ぶ。負販の者と雖も、必ず貴ぶ有るなり。而るを況や富貴なるをや。〉(前掲書)
通訳「----礼は、自己を(精神的にも)低くして相手を尊ぶことを教える。たとい相手がささやかな行商人であっても(身分に関係なく)、必ず相手に尊重して扱うのであるから、まして相手が(精神的も)富貴ならば、なおさらである。」(前掲書)参照。
〈富貴にして禮を好むを知れば、則ち驕らず淫せず。貧賤にして禮を好むを知れば、則ち志懾れず。〉(前掲書)
通訳「人は富貴であっても、礼を好むことに心がけるなら、必ず驕り高ぶるようなことはせず、物欲に溺れないであろうし、もしまた貧賤であっても、礼を好むことに心がければ、必ず志望を高尚に保って、富貴や威武を恐れないのである。」(前掲書)参照。
人間、他人よりか優位に立ちたいと思っている人が多いと思う。ところがその思いが相手にどうとられるかで、人間の値打ちは決まるであろう。金持ちで、頭がよくて、仕事上で上位の役職にあった人が、退職後もその辺の普通の人々よりか上であるなどと思い込んでいるとしたら、一種の病であろう。そういうつもりで人々に接したら、かえって逆効果を招き人望も何も吹き飛んでしまうであろう。
ところが「礼を弁えた人は」そういうそぶりを見せないのである。どんなに下に見られようが、顔色一つ変えず普通に相対しているのである。相手を見下げるなどの振る舞いをしているとしたら、実は、自分の人格を落としているという事に気づかなければならない。
真に礼を学んだ人間の内面に潜む「観察眼」ほど怖いものはないのである。それを見抜く洞察眼があって始めて、世に君臨できる人物と言えると思う次第である。